「ふふふー、ふふふーん」

「……」

ヴーン、と低い音を立てているオーブンレンジの中を覗き込みながら機嫌良く鼻歌を歌う名前が視界の端に入る度に胸がきゅうと締め付けられる。二月十三日、バレンタインの前日。名前に頼み込まれて旧男子寮の食堂を貸し出しながらレシピ片手に菓子作りに奮闘する名前を見守りたまに口を出す役目を請け負ってしまった。何で俺がこんな役回りと思いつつも承諾してしまう辺り、惚れた者負けという言葉が俺の胸をぐっさり貫く。
名前と一緒にいるとすげぇ楽しい。一緒のクラスで、席は離れてるけど手紙回したり消しゴム投げあったりして馬鹿やってる時間が好きで。見た目が不良っぽいとか言われたり、雪男と比べられたりするのに俺を俺として見てくれて。いつの間にか名前の事が好きになっていた。
好き、だけど言えない。折角仲良くなれたのに俺の気持ちだけでこの関係を崩したり出来ない。

「そんなに楽しいか?」

「うん!早く焼きあがらないかなー」

オーブンレンジの中で橙色の灯りに照らされて順調に焼かれているフォンダンショコラを見つめる名前の頭の中を占めているのは誰なんだ、なんて柄にもない事を考えたりして。既に焼き上がって冷ましている途中の友チョコ用のチョコチップクッキーに目を向ける。この中の何枚かが俺の胃の中に収まるのだろうと思えばやっぱり切なくて、悔しくて。やり場のない気持ちをエプロンの裾を握り締める事で何とか昇華させた。


透明な袋に適当に詰め込んだクッキーとは違いフォンダンショコラは名前の手によって箱に収められ丁寧に深緑の包装紙で包まれていく。ラッピングされた箱に付けるリボンを作る為にレースを鋏で切る名前の眼差しは酷く真剣で少しだけ寂しさを感じた。

「それ、本命?」

「うん」

「美味そう」

「でしょ?すっごく気持ち込めた」

「不味そう」

「タイキック!」

「いってぇ!」

なあ名前。好きなんだよ、お前の事。隣にずっと一緒にいてずっとお前の事考えてんのに、お前は何処の男の事考えてチョコ作ってんだ。
器用にレースを箱に巻き付けて両端を蝶々結びにしている名前の背中がやけに遠く感じる。純日本人のくせにくりだしてきたタイキックはすげぇ痛くて、蹴られた後ろの腿がいつまでもじんじんと鈍い痛みを訴えていた。

自分がこんなにも女々しかったのだと自覚させられた、拷問に掛けられているかのような数時間だった。片付けを終わらせた後、出来上がった菓子を大切そうに紙袋にしまってから名前は俺を真っ直ぐ見てお礼を言ってきた。そういう真っ直ぐな所が好きだ、そう言えたらどんなにいいか。でもあと一歩が踏み出せない、っつーかフられるって分かってんのに告白するのもおかしい話かもしれない。
そうぼんやり考えていると「これ、」とコートとマフラーを着込み帰り支度を済ませた名前が唐突に目の前に何かを突き出してきた。正面にある名前の顔から肩、二の腕、手首と視線を辿っていった先にある物に俺は一瞬言葉を失った。深緑の包装紙、白いレースのリボン。其れは今さっき名前がまるで自分の子供のように大切に大切に包装していたフォンダンショコラが入っていた箱だった。
友チョコ確定の俺に渡してくるっつー事はあれなのか。お前の、本命は、まさか、雪男、なのか?

「ずっと好きでした」

紡がれた言葉は脳裏によぎった嫌な予感を簡単に砕いてくれた。
本命に菓子作り手伝わせるとかどうかしてるよね。自嘲気味に呟いた言葉と共に突き出された箱を無理矢理手渡される。嫌なら食べなくていいから、最後にそう言って名前は俺と目を合わせる事なく食堂から出て行ってしまった。
暫く箱を片手にぽかんと呆けていたものの我に返った瞬間、無意識の内に床を蹴って走り出していた。まさかお前も俺と同じ事考えてるなんて思ってなかった、これってすげぇ奇跡じゃね?でもさ、好きな奴に背中押されるって何か格好悪ィよな。それでもお前、俺の事好きだって言ってくれるか?
答えてくれよ、もうすぐ俺の腕は耳まで真っ赤になったお前を捕まえるから。