「滅びよぉぉおおげほっごほっ」

駄目だった。やっぱり駄目だった。三回試して駄目なら最早諦めるしか…いやいや、これ位でへこたれてどうするの名字名前!…と気合いを入れたって私の身体を蝕む風邪は簡単に滅んでくれる筈もなく、私は大人しくベッドに転がっているしかなかった。
気合いを入れて作った生チョコは行く宛てもなく鞄の中に入った儘。折角仲良くなった同じクラスの志摩廉造くんに渡そうと思って友達に手伝いを頼み込んで作ったのに、明日渡すのも何だか気恥ずかしくて出来ない。どうしても今日渡したくて、さっきから風邪を滅ぼそうとして叫んでるけど心無しか悪化しているような気がする。
ああ、朝起きた時はしんどくてご飯どころじゃなかったけどお腹空いてきたなあ。寮母さんが夕飯にお粥作ってくれるって言ってたし、それまで寝てようかな。ぬるくなったおでこの冷却シートを剥がして新しく貼り替えて寝る準備をしていると廊下からぱたぱたと足音が聞こえてきた。
誰だろう、何か忘れ物でもしたのかな。ぼんやりそう考えていると足音は私の部屋の近くでぴたりと止まりぱたぱた、ぱたぱた。迷っているのかうろうろと私の部屋の前を行ったり来たりしている。
ちょっと煩いから早く行ってくれないかなあ、なんて愚痴を心の中で漏らしながら机の上にあるペットボトルを取りに身体を起こしたと同時に私の部屋の扉が開いた。

「あきませんよー病人は寝とかな治りまへんえ」

ペットボトルに手を伸ばしてしまった儘硬直してしまったのも仕方ないと言って欲しい。部屋に入ってきた柔らかな声色と独特の京都弁はまさしく私の想い人である志摩のものだ。しかし、目の前にいる人物は……。

「志摩…くん?」

「そーですよぉ。志摩廉造ですえ」

「……何で、女子の、制服を、着てるの…?」

ふわりと揺れる薄紫のスカートとクリーム色のブレザーは何処からどう見ても正十字学園女生徒用の制服だった。まさか志摩くん、そっちの趣味が…!とあわあわしている私を見てくすりと微笑んだ志摩くんは部屋の扉を閉めて私に近付いて来た。胸元まで垂れ下がった髪を緩やかに一撫ですると垂れ目がちな瞳がきゅう、と細くなる。

「名字さんが心配やったから。名字さんの為やからこないな恥ずかしい格好も出来た」

間近に迫る志摩くんの整った顔とお世辞にただでさえ赤い顔にじわじわと熱が集まってきて、慌ててベッドの中へと逃げ込む。あらら、と笑ってペットボトルを渡してくれる志摩くんに礼を言ってペットボトルを受け取ると、興味深げに部屋の中を見渡していた志摩くんが二段ベッドの下のベッドで横になっている私を見下ろしてくる。

「そういえば、名字さんの友達が名字さんが俺に渡したいものがある言うてたんやけど。何ですのん?」

「うぎゃっ!な、な…!?」

私の友達とは、きっとチョコレート作りを手伝ってもらった友達の事だろう。な、何て事をしてくれるんだ…お陰でチョコレートを渡さざるをえなくなってしまったじゃないか!いや、元から渡すつもりだったけど!グッジョブ!
うう、と唸りながらベッドから身を乗り出して側にあった自分の鞄を引き寄せ、昨夜志摩くんの事を考えながら丁寧に包装紙に包んだ箱を取り出して志摩くんに差し出す。

「チョコ、渡したかったの。初めて作ったから上手く出来なかったけど…味見はしたから味は大丈夫だよ!」

「わ…ほんま?ありがとお」

へにゃへにゃと表情を緩ませて包みを受け取ってくれた志摩くんに羞恥心が込み上げて、布団に潜り込む。何だか熱が上がってきた気がする、恋の力ってすごいなと考えながら布団を口元まで引き上げる。ぎしり、とベッドが軋む音に目線を上げると顔の横に両手を付いて、滅多に見ない真剣な表情を浮かべている志摩くんと目が合いどくりと心臓が大きく跳ねる。
目を逸らそうとすると「こっち見て、」と吐息混じりに囁かれぐっと顔が近付き思わず息が詰まってしまう。

「チョコ、他に誰にあげるん?坊とか奥村くん…弟の方にもあげたり?」

「わ、わ、しま、く…っ」

「答えて。どうなん?」

「あ、あげない…!志摩くんにだけ、だよ…っ」

こつん、と短い前髪のせいで剥き出しになっている志摩くんのおでこと私のおでこがぶつかりふう、と吐き出した志摩くんの吐息が私の唇にかかる。半ば自棄気味になって正直に答えるも彼は尚もほんまに?と詰め寄ってくる。これ以上近付いたら私の心臓が口から出ちゃうよ…!必死になってうんうん言っては頷くと先程のようにくすりと微笑んだ志摩くんの表情が柔らかいものになり、私の唇にふにっと柔らかくて暖かいものが押し付けられた。え、ちょ、これ、は…!

「し、しま…く…っ!」

「名字さん、ほんま嬉しいわあ。俺な、実は名字さんのこと……?あれ、名字さん?名字さーん?」

「…はぅ…」

志摩くんの言葉を最後まで聞きたかったけど心臓に悪い出来事の数々に私の体温はオーバーヒートし、意識がフェードアウトして暗転してしまった。私のこと、の続きは何だろう?出来れば、出来れば私の望む言葉であって欲しいな。「次は逃がさへんから」と妖しく微笑む志摩くんの呟きも届かない儘私の意識は深い深い闇の中へと落ちていった。