ぎい、と車輪が軋む音が室内に響き渡る。彼女の耳にも届いたのかぴくりと肩が動いたのが暗闇に慣れた視界に映る。
車輪を押して彼女に近寄ろうとしてふと窓の外に意識が移る。ああ…そういえばあの日も雨が降っていてやけに肌寒く、共に任務へと向かったあいつが吐く息が宙を白く舞っていたのを思い出す。

「いい加減に起きろ。私もシャワーを浴びられない」

「……」

ソファに散らばる髪に指を通して数度優しく梳いてやればブランケットを抱くように被っていた彼女が漸く顔を出した。暗闇ではその表情は細かく察する事は出来ないが、何を考えているのか位は俺でも分かる。
宥めるようにブランケットから覗く頬を撫でると俺の手の意図に気付いたのか彼女が不満気に唸った。

「……まだ整理がつかねんだ…」

「燐の事か?もう良いだろう、あれは事故だった、張本人の俺が何よりそう理解している」

「アイツは!アイツは逃げた。動けなくなったお前を見捨てて…っ」

ぎい。車輪が軋む。
こいつとの付き合いも伊達に年数を重ねてはいない。お前が気に入らないと喧嘩を売られ、勉学で勝ったかと思えば実技で負けたり、常に口論は耐えなかったがいざという時は互いの弱点をカバーして実力を発揮し名コンビと呼ばれたり。背中を任せて戦えて、遠慮無く意見交換も出来た。互いに昇格を重ねて隊長格になる頃には既に同棲を始め身体を重ねる事も少なくはなかった。
長年共に過ごして来て一度も涙を見せなかった彼女が、車椅子無しでは生活出来ない私を見て泣きじゃくっている。歳をとって涙脆くなったのか、そう軽口を叩けば煩いと控え目に腕を殴られた。

『エンジェル!』

俺の手を掴む熱。
容赦なく目に入ってくる雨で視界はきかなかったが、アイツは確かに俺を助けようとしていた。
雨で滑り徐々に失っていく握力、遠くから聞こえる敵の増援の報告。…気付け、シュラ。俺を見捨てたのは燐ではない、俺自らなのだ。足を滑らせ足場から落ちそうになった俺を燐が見捨てたとお前に報告したのは以前から燐に恨みを抱いていた奴で、お前も以前燐の悪口は言うなと叱っていたじゃないか。

「シュラ、もう風呂に行こう。シャワーを浴びればいくらか頭もすっきりする」

「……ん、」

ソファの背凭れ越しに重ねた唇はぬるく湿っていて下ろした儘の彼女の赤みを帯びた髪が視界一杯に広がる。首の後ろに回るしなやか腕に共に背中を合わせて戦った日々が思い出される。俺達は、いつから命を賭して戦う覚悟を忘れたのだろう。隊長という立ち位置に己を過信し過ぎていたのはいつからだろう。
俺の足に未来は無いが、俺自身には隊に属していた時より確実な未来がある。ヒステリックに暴れ回り隊の人間を数人に怪我を負わせた上に燐を引きこもりにさせた彼女の謹慎が解かれる前に、支部長と一度話をしたい。
出来る事なら、燐とも。

俺の名を呼ぶ悲痛な叫び声は、今も脳裏で助けを求めているかのように響き渡り続けている。

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