使い古しのノートパソコンとレポート用の資料を抱えていつものように隣人の部屋に忍び込んで数時間、私が彼と遭遇したのはトマトを使った冷製パスタを作っている最中だった。玄関に繋がる廊下の途中にある台所で汗を拭いながらぐらぐらと湯だつ鍋の中に菜箸を突っ込んで茹で途中のパスタを掻き回している所に、少々乱暴な音を立てて急に開いた扉に今日は何か嫌な事でもあったのかと顔を向ければ其処に居たのは何処か奥村さんの姿がダブる男性の姿だった。

「ゆっきおー!来てやったぞー!飯ちゃんと食ってる…か……?」

「……」

「……あ、ども」

「どうも」

「……」

「……」

「今の、聞いた?」

「ばっちり」

「ぎゃあああああ」

黒い髪に濃い青の瞳。私の中ではイケメンの部類に入る。
口元からちらつく八重歯が特徴的な男性は私を見て一度会釈し、恐々とした声色で問いを投げた後顔を覆って絶叫しだした。少しそんな彼を見て私はぼんやりとご近所さんから怒られそうだなあと思いつつ茹で上がったパスタを笊に上げて氷水で冷やす。イケメンに免疫が無かったら今頃顔を真っ赤にしてトイレに逃げ込んでいただろう、そう思えば奥村さんと交流を重ねるようになった事は決して無駄では無かったのだろう。目の前で頭を抱えてぐぬぬと呻く正体不明の男性を見ながら私は深い溜め息を吐き出したのだった。

◆ ◇ ◆

イケメンに耐性が無く滅多に男性と会話を交わす所を見せない私がこんな状態なのだから、帰って来た奥村さんが硬直してしまったのも無理はないと思う。
テーブルの上に転がる酎ハイの缶がこの部屋を包むハイテンションの原因を物語っていた。

「雪男はなー泣き虫がデフォなんだよなァ」

「そんな可愛い子がチャリ漕いでる人間をスプリンターよろしく全速力で追い掛けてくる人間に育つなんて…何があったんでしょうねぇ」

「ぶっほ!マジで?それマジで?」

「気持ち眼鏡逆光してたり」

「ぶふっ!」

「手もなんかシュッて真っ直ぐになってて、にひ、ひひひ」

「……」

まだ中身が入った酎ハイの缶をちゃぷちゃぷと音を立てて左右に揺らしながら奥村さんのお兄さんである奥村燐さんと顔を寄せ合ってけらけら笑っていると、不意に隣に居た燐さんが居なくなり代わりに玄関の辺りから短い悲鳴が聞こえた。半分も開かない目を凝らして顔を上に上げれば涼しげな水色のシャツに身を包んだ部屋の主が静かに此方を見下ろしていた。

「おかえりなひゃい奥村ひゃんー」

酒が入ったせいでいつもより脱力した声色と共にへらりと笑みを浮かべて一緒に飲みますぅ?と首を傾ければ、奥村さんは溜め息を吐き出し私へと手を伸ばしてきた。ふわりと宙に浮く感覚の後、優しい手付きで何処かに横たわらせられた。ひんやりした布の感覚に身を捩らせれば頭をぽすりと大きくて温かいものが覆った。

「んん、う」

「いつの間に兄さんと仲良くなってるんですか…」

「うー、だって燐さん、奥村さんのこと、たくさんはなしてくれるから…」

宥めるように行き来する温かいものに先程まで高揚していた気分がゆるゆると降下していき、自然に瞼が重くなる。綿が詰まった枕に頬を半分埋めながら夢現で問いに答えるも、一気に引き摺り込まれるように眠りの世界へと飛び込んでいった。傍では驚愕のあまり眼鏡の奥の瞳を丸くさせた奥村さんが慌てて私の名前を呼んでいるのも知らない儘。

「……は?ちょ、待って下さい。なんで兄さんは名前で……!名字さん、説明して下さい名字さん!」

「……ぐぅ」

「……」

こうして朝、奥村さんの部屋に居た儘夜を過ごしてしまった事に気付いて飛び起きた私の目に飛び込んで来たのは目の下にクマを拵えている奥村さんと、玄関で腹を出して爆睡している燐さんの姿だった。どうしてこうなったのか、昨夜の記憶を探ってみるも夕飯の支度中に燐さんがやって来た所までしか覚えていない儘、奥村さんによって叩き起こされた燐さんと一緒に正座をしながら奥村さんから昨夜についての尋問を受ける羽目になった。

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