非常口の緑色の明かりが廊下を妖しく照らし出す。何処までも伸びる廊下の先は暗くまるで無限に続いているかのようだった。
ばたばたと走り抜ける足音に混じって聞こえるひたひたと床を這う音が耳からこびりついて離れず、振り向いて背後を確認する行為すら躊躇われてしまう。
真っ暗だった廊下の先が不意に途切れクリーム色の壁へと体当たりする。その先にある非常階段へ出ようとドアノブに手を掛けるも鍵が掛かっているのか、はたまた錆びているのか扉が開く気配は一向にない。
ひたり。先程から理由も分からない儘に追い回されていた何かが立てる音が一際大きく廊下に、耳に、響き渡る。
握り締めているドアノブが氷のように冷たく、そう、手や腕が震えているのはきっとドアノブが冷たいせいだ。後ろにいるのだってきっと建物に迷い込んだ野良犬か野良猫の類に違いない。
もう時間も遅いし帰らないと終電に間に合わない。ほら、振り返って。野良に追い回されて震えるなんて馬鹿馬鹿しい、そう考えながら振り返った女性の目に入り込んだのは野良犬でも野良猫でもなく四つん這いの体勢だというのに首が九十度に曲がって天を仰ぐように顔を上へ向けて女性を睨み付けている血だらけの女の姿だった。

「ぎゃー!!」

「……っ、」

「ひぃっ、いやあっ、ああっ、駄目だ逃げてー!ぎゃあああ捕まったぁあああ」

「……名字さん」

腰が抜けて床に座り込んでしまった女性に女が至近距離まで迫ったシーンで不意に画面がブラックアウトする。テレビの画面の右上には停止の文字、共にテレビを見ていた筈の奥村さんの手にはリモコンが。タオルケットに包まれて絶叫の限りを尽くしていた私が顔を出すと呆れ顔で眼鏡のブリッジを押し上げた奥村さんと目があう。

「ホラー映画で絶叫だなんて…貴方は何歳ですか?」

「だだだだってあんなの怖すぎるでしょう!」

「怖いのが苦手なら借りてこなければいいのに…」

「奥村さんが居るなら大丈夫かなって思ったんです…!」

パチリと音を立てて部屋が明るくなったのを確認してから渋々DVDを取り出してケースにしまう。レンタルビデオ店のロゴが入った袋の中に収まっている他のDVDの中から純愛系の邦画を取り出し新たにプレーヤーにセットすれば奥村さんがあからさまに溜め息を漏らすのが分かった。

「まだ見るんですか?」

「今度は純愛モノです!ずっと気になってたけど映画館に行く時間がなかなか無くて…」

「……へえ」

先日ゲーセンでゲットしたビーズクッションを抱いて映画を見る体勢を作る私を見て、映画に興味を抱いたのかシャワーに浴びに行こうとしていた奥村さんがタオルや着替えを置いて私の隣に座る。
その姿に純愛モノに興味あるのかなあ、と思ったのはたった一瞬で直ぐに始まった映画に意識を集中させれば奥村さんの存在は次第に私の意識下から薄れていった。

「はぁあ…感動した…」

黒い背景の中でエンディングテーマと共に流れるスタッフロールを眺めながら丸めたティッシュで目元を拭う。気持ちがすれ違った儘離ればなれになってしまった二人が十数年後の再会の際に互いに燻っていた思いを伝え合う場面はとても感動した。
それにしてもあんなに怖いのは嫌だと言ったにも関わらずホラー映画を勧めてきた大学の友人には明日説教をしなければならない。今日の夢に出て来たらどうするんだ。
壁に掛かった時計を見れば既に十一時を過ぎている。映画に集中するあまり奥村さんの事をあまり意識していなかったが、確か映画を見ている間一度も席を立たなかった筈だから風呂もまだな筈。長居してしまった事を詫びつつもう帰ろうと隣に視線を向ければ、其処に居たのは私のように感動してティッシュで目元を拭うわけでもなく、所詮作り物の話だと呆れたような視線を向けるわけでもなく。ソファに寄り掛かり私の腕に頭を寄せて目を閉じる奥村さんの姿があった。

「…お…奥村さーん」

「……」

「映画終わりましたよー」

「……」

「……えっ」

肩を揺すっても頬をつついても一向に起きる素振りを見せない奥村さんに少なからずショックを受ける。そんなに疲れてるなら追い出してくれれば良かったのに…もしかして気を使ってくれたのだろうか。
私は力持ちではないのでベッドに運ぶのは諦めつつ奥村さんの眼鏡を引き抜いてテーブルに置き、タオルケットを身体に掛け二十五度まで下げていた冷房を二十八度に上げてからDVDを回収して出来るだけ音を立てないように部屋を出た。

もうちょっと気をつけて奥村さんを見るようにしよう。反省をしながら胸元に抱いていたDVDの袋をぎゅうと抱き締めた。

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