ことりと置かれた温かい茶が注がれた湯飲みは一週間以上にも渡って私が所持していた奥村さんの湯飲みだった。断るのも失礼なので早速湯飲みを口元に運び一口啜る。美味しい。
ラグが敷かれた床に正座をする私の向かいには同じ湯飲みを傾ける奥村さんがスーツ姿の儘ソファに腰を据えていた。取り敢えず着替えた方が良いのではないでしょうか、とあくまで心の中で呟いただけなのに眼鏡の奥から向けられる視線に身体を縮こませてしまう。
事の次第を説明するには十分程前まで遡らなければならない。

今から十分前。私の目の前には水に濡れて濃い灰色に色を変えたコンクリートが広がっていた。

「ご迷惑をお掛けして申し訳御座いませんでした」

正座をして姿勢を正し指先を揃えて勢いよく頭を下げたら床にごつりと額をぶつけてしまった。は、と頭上から漏れる息とも声とも聞き取れる言葉を発した奥村さんは戸惑っているようだった。
そりゃあ彼が戸惑うのも仕方無い話だ、家に帰って来たかと思えば隣人の女子大生が濡れ鼠の儘泣いていていきなり逃げ出したかと思えば急に土下座をしたのだから。此処は未だにアパートの廊下で、指先から伝わるコンクリートの冷たさが私の身体の熱を奪っていく。

「と、とりあえず、」

「切腹でしょうか。奥村さんには介錯役を頼みたいのですが」

「名字さん、っ」

「嫌ですか?腹切りの介錯すらしたくないともごごご」

「落ち着いて下さい!」

まぁ、拉致られたわけなんですが。
隣に行けば着替えがあるのにわざわざ彼の服に腕を通さされ、バスタオルも借りた所で漸くは私はここ数日の悩みの種であった湯飲みを返す事が出来たのだった。その湯飲みも五分後には再び私の目の前に置かれるのだが。
着替えたとは言え微妙に下着も湿っているしやっぱり寒いし落ち着かないしで私は今すぐ部屋に戻りいのだが、上から突き刺さる視線がそうはさせてくれなかった。

「…まさかそんな事で悩んでいるとは…」

イケメンにとっては"そんな事"でも私にとっては一大事なのだ。ああ、何故この世にはイケメンという人種が存在するのか。眼鏡のブリッジを押し上げこれ見よがしに溜め息を吐き出す奥村さんをぎろりと睨み付けると、彼はやれやれと頭を左右に振って改めて私と向き直る。

「この際ですから白黒はっきりさせましょう」

ソファから床に私と同じように正座をして向き合った奥村さんはぎゅっと拳を膝の上で握り締め真面目な表情を浮かべるものだから、つい私も身構えてしまう。実は僕はゲイで貴方の背後に取り憑いている男性の幽霊が目当てなんです!とか?だとしたら私にはどんなイイ男が憑いているのだろう。こういう時霊感が無いのが悔やまれる。

「貴方はいつもいつも言っていますが…僕はイケメンではありません」

先生ーこの人今嘘吐きましたー。

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テーマ「人外ファンタジー」
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