いつものように出勤して来ると、私の勤め先である美容院の中は人で溢れていた。事前に話を聞いていたとはいえ、いつもは和服の着付けに訪れる若い女性が多い店が男性で溢れる様を見るのはある意味圧巻と言える。ちらりと視線を向けた先に居た男性が抱える風呂敷の中身を想像しただけで私の口元が緩んでいくのが分かった。


此処は京都のとある美容院。カット、パーマに縮毛矯正に振袖や袴の着付けなんかも担ったりする何処にでもあるありきたりな店だ。店に勤めるお姉さん達の中に混じって働いている私も今年の春に東京から越して来てこの店で働き始めたごく普通の社会人。
そんな美容院で働き始めて半年、十月の始めに入って来た予約のお客様はすぐ近くにある正十字騎士團京都出張所からだった。今年のハロウィンを祓魔師を増やす為の宣伝材料にしようと偉い方が目論んでいるらしく、この京都出張所も例外無く騎士團の宣伝に駆り出される事になったらしい。
予め支給された衣装を持ってぞろぞろとやって来た祓魔師の皆さんを迎えると和服や洋服の着付けは店長さんや職務経験の多い先輩方に任せ、私は小物の取り付けに四苦八苦している方々の手伝いに回る。
「名前ちゃんやんか、久しゅうやなあ」

「柔造さん、お久しぶりです。夏におしぼり届けに行った時以来ですね」

この店の店長さんが出張所の所長さんである志摩八百造さんと関わり合いがあるせいか、散髪をしに来るお客さんは出張所に勤める祓魔師の方。八百造さんの息子さんの柔造さんもその中の一人で、柔造さんが来店した際は従業員達のカット担当の取り合いで軽く戦争になる。私はまだまだ新人な為生身の人間に対してシザーを握る事が出来ずシャンプーだったりブロー、後片付けだったりゴミだしだったり…結論からすると雑用係といったところだ。
雑用の私にも気を掛けてくれて散髪モデルのマネキンとばかり向き合っているせいか軽いノイローゼになりかけた時も声を掛けてくれて話を聞いてくれたりで、彼がモテる理由も何となく分かる気がする。
彼が身に纏っているのは今流行りの海賊映画の主人公の衣装で、ボロボロになっている所が既にハロウィンっぽい。本格的だなあと考えながら小物である小刀やプラスチック製の玩具の拳銃をホルダーに差していると、店長に慌てた様子で名前を呼ばれる。柔造さんに断ってその場を離れ店長の元へと行くと狭い美容院だけじゃ対処仕切れないので出張所の部屋も借りたい旨を伝えて来てくれと伝言係を頼まれた。

「お父やったら出張所に居るから、出張所に会うた人に聞くとええよ」

「ありがとうございます、柔造さん!失礼しますね」

話を聞いていたらしい柔造さんに丁寧に所長さんの探し方を教えてもらい、私は頼まれた伝言を何回も復唱しながら美容院を飛び出していった。



「……」

「……」

会った。出張所の入口の扉を開けた瞬間目の前に居た人に驚きのあまり小さな悲鳴をあげてしまったのは仕方ないと言ってほしい。かっちりと黒スーツを着ているのに頭はジャック・オ・ランタン、更にその上に黒のシルクハットを被った人が立っていたら誰でも叫びたくなると思う。
外に出たいのだろうかと思って横にズレても微動だにしないので横を擦り抜けようとすると、私がズレた方へと素早く移動してとおせんぼされてしまう。

「……」

「……」

ジャック・オ・ランタンの向こうは真っ暗で被っている人の顔は見えない。意図が分からず段々怖くなってきた私は一度美容院に戻って電話で所長さんに取り次いでもらおうと考えを改め勢い良く踵を返して走り出した。これでも高校の頃は陸上部の短距離で結構良い成績を残したおぎゃぁぁあああ!追って!追ってきてるッ!ジャック・オ・ランタンが追いかけてきてる!!

「ぎゃぁあああッ!!」

南瓜な為当然ながら無表情、その上無言の儘私を追いかけてくる恐怖に思わず絶叫しながら本来の目的である所長の伝言も美容院に戻る事も忘れて私は無我夢中になって足を動かす。途中美容院の前を通り過ぎた際に頭にバンダナを巻いてすっかり海の荒くれ者となった柔造さんが何かを叫んでいたが、逃げる事に必死だった為何も耳には入って来なかった。



何処をどう走って来たのかさっぱり覚えていないが人気の無い山道の真ん中で私はとうとう力尽きた。高校を卒業してから運動を呼べるものとは全く縁が無かったので当然ながら身体は鈍り膝なんてがくがくと震えて力が入らない。流石に此処までくれば大丈夫だろうと安堵の息を吐き出した私の直ぐ後ろでジャリッと砂利を踏みしめる音が聞こえ肩がびくりと震えた。そ、そうだきっと柔造さんだそういえばさっき目が合った気がしたきっとそうだ柔造さんだクルッと振り替えればイケメンパイレーツな柔造が居るんだよーし頑張れ名前勇気を振り絞ってはいレッツゴー!……うん、これが柔造さんなわけないよね!だって彼はイケメンパイレーツであって南瓜頭ではないんだから!
ぶつぶつと独り言を呟きながら後ろを振り返り死んだ魚のような瞳になった私の目には勿論柔造さんの姿は無く、ぜえぜえと肩を揺らしながら立ち尽くすジャック・オ・ランタンが居た。

「ひ…!」

息切れのせいで悲鳴もまともに出ず後退りしようとして尻餅をついたのを好機と読んだのかじりじりと近付いてきたジャック・オ・ランタンが私に手を伸ばしてくる。もう終わった、私の人生オワタ!そんな考えが頭に浮かんで来てどうしようもなくなり、最後の抵抗として自分の腕で身体を抱き締め縮こませる。すると頭上に居るジャックランタンが僅かに息を吐き出した。いや、これは、笑っている。

「ふ、は…ハハハッ」

「……?」

伸ばされた手は何をするわけでもなく私の頭に乗り犬にするような手付きでわしわしと撫でられる。その撫で方には嫌という身に覚えがあり思わず頬が引きつる。一頻り笑い尽くした男は自らの頭部を覆うジャックランタンに手を掛けすぽりと取り去る。その下には。

「相っ変わらずおもろいな、名前」

「わ、わあー…志摩くんだあ…」

柔造さんのような爽やかな笑顔を浮かべた志摩金造が其処に居た。忘れもしない高校時代の同級生である志摩金造とは高校一年生の時に一度だけ席が隣になった事があり、其処から変な縁が続いていた為彼には毎回弄ばれ女子達には睨まれたりと散々な高校生活を送っていた。卒業と共に志摩くんは就職、私は専門学校に進学した為奇妙な縁は切れたのだと思っていたのに。
思えば八百造さんと柔造さんが同じ職場に勤めている時点で気付けば良かったのだ。いやしかしアホの金造とまで言われていた志摩くんが祓魔師になっているだなんて誰が想像出来ようか!慌てて後退って距離を置こうとした私の腕をあっさり捕まえた志摩くんは爽やかな笑みから一転、口元をひくひくと痙攣させながら私を睨み付けてくる。

「久しぶりに会うたいうんに逃げた挙げ句"志摩くん"は無いやろ。金造呼べ言うたん忘れたんかアホゥ」

「あ、あほは志摩くんでしょ…!」

「ほーん?口答えとはええ度胸やのう」

ごろりと砂利道を転がるジャックランタンとシルクハットを見つめながら、お仕置きやなと呟いた志摩くんに其処はハロウィンぽく悪戯にしとけと悪態を吐きたかったが、言えばきっと彼の黒い笑みを助長させるだけだと染み込んだ身体が分かっていたので私は黙って強く目を瞑った。