歳が15を過ぎてから父に似とると言われ始め、20を過ぎたら所長になるんもそろそろやと言われ。25になった今では嫁と跡継ぎはまだかと期待を寄せられる。祓魔・警邏・深部と三つに分かれた部隊の内の祓魔一番隊隊長として、そして志摩家の跡取りとしての重圧が日々俺の肩に重くのしかかってくる。
ある日の夜、出張所からの帰り道にふらりふらりと蛇行するような千鳥足で俺の先を歩く一人の女に会うた。何や酔っ払いかと後ろから声を掛けて肩を叩けばそいつは月が注ぐ白い光を明かり代わりにして本を読んどったらしく、びくりと肩を震わせて俺を見上げた。見た目は二十歳そこらの嬢さんにも関わらず今時の若い子のようなきつい香水の匂いとは全く異なる花のような甘い香りを纏い、濡れたような黒髪をふわりと揺らしながら幼馴染みである蝮のようなつり目とは対照的にとろりと溶けるような垂れ目をぱちくりと瞬かせ、月光に照らされ白く輝く肌から浮かび上がったような桜色の唇を僅かに開いた。
何か、と問い掛けてくる彼女から目が離せず、俺は一瞬にして彼女に一目惚れしてしもうた。


「名前」

「柔造さん、こんばんは」

それから俺達はあっちゅう間に恋に落ち、週に一度真夜中のほんの僅かな間だけ愛を深めている。出張所の輩に見つからんように木の影で寄り添いあい、仕事中に金造がサボってお父に拳骨食らっただの今日も幼馴染みとくだらん事で喧嘩しただの、そんな俺の他愛もない話に黙って耳を傾け時折口元を覆ってくすくすと笑う姿がたまらなく愛しく感じる。
別れ際、決まって名残惜し気に俺の背中に腕を回して抱き付いてくる名前を壊れもんを扱うように優しく包み込めば彼女からふわりと甘い香りが漂う。彼女を抱いてこの甘い香りを嗅げばそれだけで満足してしもうて、未だに枕を交わす所かキスすらも出来とらんのは自分でも情けないと思う。

「家まで送ろか?」

「いいえ、近いですし此処で良いです」

「ほな、ハロウィンの夜に」

「はい。お待ちしていますね」

携帯で時間を確認すれば既に日付は変わっていて逢瀬の度に危ないから家まで送る言うんに名前はいつも首を横に振って控え目に断る。ほうか、と俺は頷き木の影から抜け出し名前は木の影に潜んだ儘俺が見えなくなるまで白い手を小さく振って見送る。これがいつしか俺の中で決まり事のようになっとって、自宅へと歩みつつも時折何度も振り返り手を振る名前の姿を確認するようになっていた。名前を抱き締めた後も暫く漂っているあの甘い香りは帰りの途中で風に吹かれて直ぐに消えてしまう。香水なら鬱陶しく身体に移って皆に冷やかされるんに、家に帰って来た時洗面所で歯磨きをする金造に何も言われへん所からするとあれは名前の体臭なのかもしれない。


名前は幼い頃に両親と死別してから色んな人に助けてもらいながらずっと一人で生きてきたらしい。人はこんなにも温かいのですね、そう呟く彼女を見て俺の脳裏に浮かんだんは鬱陶しいとまで思っとった結婚の二文字だった。両親は身寄りのない彼女を相手として認めてくれるだろうか、そんな不安もよぎったものの今の俺にはべったり腕に纏わりついては柔造さん聞いて下さいと自分の事しか言わへん女達を相手にするより、黙って僧正の跡取り、一番隊隊長という重圧に耐える俺の話を聞き気持ちを汲んでくれる名前しか考えられへんかった。
結婚して、お父とお母みたいに沢山の子宝に恵まれたい。悪ガキに育った子供が悪さしたら俺が拳骨を落とし名前がやんわりと叱る。子供が好きで良かった、名前との子なら尚更溺愛してしまいそうやけど、子供が名前に懐いたら妬いてまうかもしれん。
次会う時に正直に話してみよ、きっと名前も喜んでくれる筈や。そう考えながら布団に潜り込みどんだけ経っても直らず今じゃ慣れてもうた金造のいびきを子守唄に俺は目を閉じた。


名前との逢瀬の日。十月三十一日、ハロウィン。
朝起きたら仕事着でもある法衣が吸血鬼のコスプレセットになっとった。光の早さで金造に詰め寄れば法衣は全員纏めてクリーニングに出し明日の朝まで戻って来ないという。お父に話を聞きに行けば小姓のような足首が見える法衣を着たお父の傍らには一つ目小僧の被り物があった。何でそないにノリノリやねん、お父!
仕方ないと自分に言い聞かせながら吸血鬼の衣装に腕を通していく。口にこれまたご丁寧に用意されとった牙を篏め込み洗面所の鏡を覗き込めば口元を手で隠しながら笑う名前の顔が思い浮かんだ。


満月の光に照らされながら名前、と木陰に潜む影に声を掛けるとひょこ、と顔を出した名前の表情が驚きの表情に変わる。仕事中は外しとった牙は今俺の八重歯に篏め込まれ朝と寸分違わん姿で俺はそれらしく振る舞おうと恭しく頭を下げた。

「吸血鬼ですか」

「金造達に法衣取られてん。珍しく早起きした思たらこれや…」

「ふふふ」

白いチュニックにカーディガンを羽織っただけの名前の格好が寒う感じて自分のマントを使うて彼女をいつものように抱き締める。彼女の黒髪を掻き分け耳元に唇を寄せると僅かに肩が跳ねる。

「…こんなとこでこそこそ女と会うとる聞いたら親は何て言うんやろなあ」

「…やっぱり、身寄りのない私なんかが柔造さんとお付き合いするだなんて…」

「せやから」

俺の腕の中で不安気な表情を浮かべた名前は顔を横に逸らしその白い首筋を剥き出しにする。すかさず顔を近付け作り物の牙をちくりとした痛みになる程度に食い込ませれば、首筋に顔を埋めているせいかひゅう、と名前が息を吐き出す音が聞こえた。

「今度は俺の家で会わへんか。両親に俺とお前の事を認めて欲しいねん」

言えた、ようやっと言えた。牙を離し首筋に顔を埋めた儘彼女の小さい身体を抱き締める。
ふわりとまたあの甘い香りに鼻孔が満たされ、この温もりや甘い香りを手離したくない。そう思て彼女を抱き締める腕に力を込めようとするも、何故か身体に力が入らない。
ふわり。首に顔を埋めとるせいかいつもより濃い香りが俺の頭を支配していく。興奮しとるのかと思て慌てて身体を離そうとするも名前のしなやかな腕が俺の背中に回って来て離す事も出来へん。
ふわり。まるで銘酊しているかのようにふらふらになった俺はとうとう彼女から離れて背後の木に背中を預けずるずると座り込んでしまう。
くらくらしてうまく働かん頭に連らなるように焦点がぶれてぼやける視界の中で、スカートから伸びる名前の足の間でゆったりとした動きで揺れる尻尾を見つめ……尻尾?

うまく動かん頭を上にずらし彼女を見上げれば、月光に照らされた彼女の表情はまさに無。濡れたようにしっとりとした黒髪の間が覗くのは焦げ茶ではなく金色の瞳。桜色の唇から覗くのは今の俺の格好と同じ、鋭い牙。ゆっくりと身体を屈め俺の首筋を愛しげに撫で口元を歪める姿は俺の知っとる名前ではなく、ただの吸血鬼やった。

甘い香りを漂わせた彼女が俺に顔を埋めるなりちくりと首筋に痛みが走り何かが首へと食い込む。じゅるりじゅるりと血を啜る音が頭に響く中で何かが俺の首に落ち、ゆったりと胸へと伝っていく。最初は牙が刺さった所から血が流れとるのかと思うもののそれは俺の首から溢れているのではなく、上に居る奴から落ちて来たものやと分かった頃にはもう意識が混濁して口もきけへん状態になっとった。
銘酊感が続き目も開かんせいで真っ暗になった視界の中で生暖かいそれは牙が抜かれた首に幾つも落ちては流れていく感覚だけを感じる。阿呆か、泣くくらいやったらお前の返事聞かせろや。そんな悪態も吐く事も出来ない儘俺の意識は引き摺り込まれるように闇へと落ちていった。