身体の下から湧き出るように響くボールが弾む振動に意識が浮上していく。鼻先を擦るポリエステルの硬くごわごわした手触りの中に嗅ぎ慣れた洗剤の匂いが混じる。この感触はジャージだが今日は体育の授業はないから私のものではない…とすると。

「あら、起きちゃった?」

すぐ上から優しい声が降ってくると同時に顔に掛かっていた髪が横に払われ視界が一気に広くなる。ボールが床を叩く音は止み替わりに此方に向かって走って来る足音が聞こえてきた。
身体と共に横を向いていた頭だけを上に向けてみると此方を覗き込む実渕さんと葉山さんの姿があった。葉山さんの額にはうっすら汗が滲んでいて、先程までボールを弾ませていたのは彼の方だと直ぐに思い至った。

「わ、いもーとちゃん起きた!」

「起こしたの間違いでしょ」

胸を圧迫していた気持ち悪さは既に消えていたのでのそのそと起き上がろうとすれば、実渕さんが手を貸してくれ身体に掛かっていたジャージを膝の上に掛けてくれた。裏を捲ってみると素材や洗濯方法が書かれてある白いぴらぴらしたのに私と同じ名字が黒い油性マジックで書き込まれていた。うん、とても妙な気分である。

「匂いがーって、言ってたじゃない?あれ多分香水の匂いじゃないかしら」

「香水?」

バニラっぽいような…お菓子を焼いた時に匂ってくる、あの匂いに近かった事しか覚えていない。思い出しただけで胸焼けしそうだ。暫く甘いものは見たくも食べたくもない。世界中、ありとあらゆる全ての甘いものが秋田の某高校で今もお菓子を貪っているであろう男子に飛んで行けばいいのに。

「そういう甘い匂いがする香水、流行ってるらしいのよ。具合が悪くて嗅覚が過敏になってたのかもね」

だからって保健医まで付けなくてもいいのにね、なんて言って実渕さんはけらけらと笑った。
俺はあの匂い結構好きだけどなー、と一人呟いた葉山さんは私が先程まで寝転がっていたマットに腰を下ろしタオルで額の汗を拭った。

「あたしって男だけど、心は女なのよね」

体育館を明るく照らす電灯を電気代が月にどれ位掛かっているのか考えながらぼんやりしていると、不意に実渕さんがぽつりぽつりと話し始めた。私は何も喋らなかったし、葉山さんも茶化したりしなかった為自然と実渕さんの一人語りになる。

「中学の頃は男子にも女子にも陰で笑われたりして辛かった時期もあったわ」

「……」

「初めて会った時、あなたはどう感じた?あたしを気持ち悪いと思った?」

「…そういう人なんだな、とは思いましたけど……すみません、その他は特に…あの時は色々あったもので」

「そういうものよ。こたちゃん、あなた妹ちゃんを初めて見た時どう感じた?」

話の矛先が葉山さんへと向き、しかも話題が私の第一印象へといきなり変わった為、話について行けず硬直した私に対して葉山さんはうーん、えーとね、と間延びした声を上げてドリンクから口を離した。今まで黙っていたのは水分補給をしていたからだったらしい。

「赤司はほら、背中から威圧感出てるけどいもーとちゃんは…何か別の威圧感?みたいなの出てるなーとは思った」

「別の威圧感?」

「どうにでもなーれ、みたいな」

呼吸をするのを一瞬忘れた。
それは威圧感というより悲愴感というものではないのだろうか。それは毎日毎日目が覚めない事を祈ってる内に無意識に背負っていたものだろうか、葉山さんがそう感じる位なのだから実渕さんや兄はとっくに…。

「まあ、悲愴感みたいなのは漂ってたわね」

お見通しだったらしい。
無意識の内に背負っているらしい悲愴感とやらを払うように肩に手を置いて数度払う仕草をする。消えてなくなれ悲愴感。ついでに私も消えたい。

「そうじゃなくて。征ちゃんはキセキの世代を束ねる天才の中の天才、そんな彼の双子の妹なのよ?どう思った?」

「んー、まー、普通だなーとは…っつーかレオ姉だってそう思っただろ。…でも、何かちょっと安心したかも」

「……安心?」

「いもーとちゃんも洛山にいるお陰で赤司も人の子なんだーって思える機会が結構あったなー」

私のお陰?そんな言葉を貰うのは初めてで、意味が理解出来ずに首を傾けた。あの日拉致監禁されるまで殆ど繋がりが無かった私達だというのに、兄に一体何があったのだろうか。私のお陰で何故兄が人の子だと思えるのだろう、というか葉山さんの中で兄はどんな種族に属されているのか。

「征ちゃんと壁を作るのは貴女の個人的な問題だから口出しはしないけど…征ちゃんだって天才ではあるけど完璧超人じゃないのよ」

兄は…こんな私でも自分の妹として認めてくれているだろうか。私を恥だと思った事はないのだろうか。

「いもーとちゃんが普通に接したら赤司絶対喜ぶって!」

そうかな、私はそうは思わないけど。満面の笑みで言い切った葉山さんに否定の言葉を吐く事が出来ず、膝に掛かった兄のジャージを握り締める。
中学以来二回目となる葛藤。兄への接し方について私は暫し悩む事となった。

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