目を覚ました時に一番最初に頭に浮かんだ事はやけに頭痛が酷いな、だった。呑気だった。別に頭痛もどうでも良かった。
知らない部屋の真ん中で椅子に座っていた。ワンルームなのか、扉は一つしか見当たらない。窓が一つ。ベッドが一つ。チェストが一つ。黒いプラスチックの箪笥が一つ。私の目の前にパソコンが一つ。いや、パソコンは一つと表現するには些か頭が悪い。パソコンが一台。ならばあのプラスチック製の箪笥はどの単位で呼べばいいものか。ぼんやりどうでもいい事を考えていると扉が開いてハンディタイプのビデオカメラを持った男性がゆったりとした足取りで入って来た。部屋は少し暗くて男性の顔までは判別出来ない。暗いという事はもう夜も近いのか。夕飯を作らないといけないし弁当箱も洗わないといけないし、勉強もしなくてはいけない。
帰りたかった。帰れなかった。椅子に座った私の身体は縄でぐるぐる巻きにされて椅子と一心同体になっていた。足も然り。

「すみません」

「あれ、起きてたの」

声を掛けてみれば、彼はにこりと微笑しながら気分はどうかな、と聞いてきたので素直に頭が痛い事を話した。彼は顎に指を添えてうんうん頷きながらそりゃそうか、と言って私の頭を優しく撫でた。頭を撫でられるのなんて何年振りだろうか、きっと両手の指程だろう。

「これは…あの、俗にいう誘拐とやつでしょうか」

「この場合は拉致監禁じゃない?君、縛られて動けないし此処に来たくて来たわけじゃないだろう」

「自分の意志なのかは生憎記憶がないので分からないのですが…今すぐ家に帰りたいのでこれは拉致みたいです」

淡々とした受け答えをすると男性は驚いたように目を瞬かせた後ふは、と息を吐いて微笑んで私の目の前にあったパソコンの椅子を引いて腰掛け、右足に左足を重ねて足を組んだ。流れるようなスマートな動きに一瞬彼に兄が重なる。

「……で。そのビデオカメラは何なのでしょうか」

「スナッフビデオを撮ろうと思って」

「スナッフビデオ…?」

「人を殺す所を録画したビデオの事だよ」

「……」

超展開だった。兄が中学の時にレギュラー達に一試合につき一人二十点のノルマを課していた事を緑間くんから聞いた時より驚いた。つまり私は拉致監禁された上に殺されるらしい。
あーあ。どうして私だけこんな目に遭うんだろう、なんて悲劇のヒロインぶるのも今だけ許していただきたい。底辺な私なんかが死んでもただのメシウマネタになるだけなんだろう、マスコミは人間は皆平等な命だのなんだのとうそぶいて、両親や兄は「大事な家族を奪った犯人が許せない」と周囲に吹聴しつつ裏ではほくそえむ。
ついでに産まれた人間一人が居なくなっても、世界が変わるわけないのだ。

「とてもいい案だと思います」

気付けば、目の前にいる彼にそう溢していた。

「私の存在なんて…ただの"ついで"ですし。ようはいらない子なんですよね」

「兄と比べられるのが辛かった。凡人が天才を越えられるわけなくて。…兄に全部吸い取られたから普通の子なのかもね、なんて親戚に言われた日には笑っちゃいました」

こんなに喋ったのは初めてかもしれない。すらすらと言葉を紡ぐのを他人事のように感じていた。目の前の彼の表情は分からない。見えない。見てない。見たくない。いっそ喋っている間に殺して欲しかった。

「もう、いいです。私十分頑張りました。勉強を頑張ったって、何をしたって結局兄を抜く事は出来ないし。両親は兄にしか興味はないし…なんか、もう、いい、やあ」

歌いきったように、長い長い物語を読みきったように、壮大な内容の映画がエンドロールに入ったように。もういいやあと諦めの言葉で独白を締め括った私はぐったりと項垂れた。喋るのは案外体力を消費するらしい、こんなに喋るのはこれきりにしよう、ああ、でも今死ぬから後は文字通り"これきり"だった。忘れていた。すっかり抜け落ちていた。
知らない所でひっそりと死んでいく私を許して下さい、なんて誰かに許しを求めてみた。ああ、そうだ。一応兄と両親には報告しなければならない。私は死にました、安心して下さいって。

「……良かったらそのスナッフビデオ、ダビングして私の実家と兄の寮に送っていただけませんか。住所は…ええと、口頭でもいいですかね」

お伺いをたてようと顔を上げたら、彼は鼻水を垂らして泣いていた。一体何があった。

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