さらりと指を撫でる白は別にこまめに手入れをしているわけではないし、する必要もないのだ。未だに筆一つ入れられない儘季節は巡り秋がやって来ようとしている。再来月には取引の期限である文化祭が迫っているというのに私が抱えるカンバスは下書きの鉛筆さえ入れられない儘今日というこの日を迎えてしまった。三年生がテニス部から去り、新たな部長が決まる日が。

「二年間の部長生活、どうだった?」

部室で一人佇んでいた白石に声を掛けてみれば彼は何も言わず黙って微笑み返すだけだった。思えば保健室で愚痴を聞いてやる仲の私がそんな事を聞くのは少々おかしかったかもしれない。
机の上に置かれた最後のオーダー表は白石や渡邊先生は一切手を加えずに各々が組みたい相手と声を掛け合ってオーダーを組んだ。てっきり白石とやりたがるのかと思っていた遠山くんが「ワイ千歳とやりたい。せやから、白石は財前とな!」と言い出してきたのには本当にびっくりした。
その後白石が光に「やるか?」と声を掛ければ光は無言で頭を縦に振った。普段はやる気無さそうに突っ立っている光だが強い相手に勝ちたいという野心はある。相手が部長である白石ならば尚更だ、だからこそ光は戸惑いなく首を縦に振ったのだ。

「今日はえろうでかい相方連れとるな」

「〆切文化祭だから。今から描かないと間に合わなくて」

「大変やな。…それに、あの万華鏡まだ渡せてないやろ」

薄紅色の万華鏡は府大会、関西大会、全国大会を挟んだ事により渡すタイミングを完全に失ってしまっていた。万華鏡は二つ共美術室の皆の作品と一緒に箱の中に仕舞われたままだ。
てへぺろ!と舌を出してとぼけてみたものの二人の間に残ったのは虚しい沈黙が残っただけだった。これ以上惨めなアタイを見ないで!と嘆きながら顔を覆えば白石は笑いながらそろそろ行くで、と言ってオーダー表を手に取った。

「よし、皆集まっとるな」

「渡邊先生がまだだけど」

「オサムちゃんはええねん、その内コケシ抱えて来るやろ。ほなランニングから始めるで!」


渡邊先生の扱いのなんと酷い事か。ホワイトボードに張り出したオーダー表を眺めながらうちのクラスの担任に僅か憐憫の情を抱いている内にランニングとストレッチを終えた選手達が続々と三つあるテニスコートへと入りレギュラーとの最後の試合へと望んでいく。
私は真っ白なカンバスを抱えてベンチに座ってその試合を見届けた。一氏くんと金色くんのお笑いテニスを、小石川くんの地味だけど決して隙を見逃さないテニスを、千歳くんの詰め将棋のようなテニスを、忍足の極限まで追い求めたスピードテニスを、石田くんの他を寄せ付けないパワーテニスを、白石の自分のテニスを封じてまで極め二年間皆を引っ張り続けたパーフェクトテニスを。パワーもスタミナも申し分無い遠山くんのテニスを、そして、まだまだ不完全ながらもフォームの改善やラケットの角度修正を経て一回り成長した光のテニス。
自分のペースで聖書と呼ばれるパーフェクトプレイを繰り広げる白石に必死に食らい付く光の姿を見ていると頭の中に自然とフォームの一つ一つがカメラの連写機能のように残っていった。やがて幾多のフォームを残していった脳内は中でも特別目につく一枚を一際強くイメージをさせる。それがその儘頭の中にあるカンバスの中へと描かれていき、カンバス全体が光の両足で埋まった瞬間私の身体は弾かれたように立ち上がっていて気付けばコートから飛び出していた。後ろから忍足や一氏くんの焦ったような声で私の名前を呼ぶのが聞こえるも私の足は止まる事を知らず、午後は日当たりの良い美術室へと転がり込んだ。ちらほらとカンバスに向き合っている美術部員が驚いたように肩を跳ねさせているのを横目に見つつ隣の準備室にある真っ白なカンバスを掴んだ。

「私が描けなかったのは、足りなかったからだ」

テーブルに並べたカンバスは抱えていた物も含め六枚、縦長の長方形になっているそれは巨大な一枚のカンバスと化していた。鉛筆を掴んで頭の中のイメージをその儘なぞるように迷いなく滑らせていく。美術教諭からカンバスを渡された瞬間から描きたいものは決まっていた。だからこそスケッチブックを持ち歩きその瞬間が来るまでの練習をしていたのだ、ご丁寧に一番描きたい場面が最後のページに来るように計算までして。だけど描きたかったものはこの目で見る事が出来なかった、だからカンバスは真っ白な儘なのだと思っていた。

「私が描きたかったのは『全国大会で優勝する光』じゃなくて『テニスをする光』だった。描けなかったのは、」

描けなかったのは、一枚のカンバスでは己の気持ちを全て描ききる事が出来ない事に私自身が気付いていなかったからだ。下書きを終えたカンバスに指を這わせゆるりと目を細めた私はカンバスを六枚纏めて抱えると、いきなり美術室にやってきたかと思えば大量のカンバスを並べて下書きを始めた私を遠巻きに眺めていた美術部員の一人へと目を向けた。まずは技術の先生の所に行ってカンバスを繋げて貰わねばならない、それから絵の中の光に命を入れる為に必要不可欠な物も用意しなければ。すみません、と声を掛けてから用件を述べる私に美術部員は怪訝そうに眉を寄せたものの何も言わずに準備室へと向かい言われた物を取って来てくれた。礼を言って其れを受け取ると私は再び駆け足で廊下を走り出し技術教諭がいるであろう職員室へと向かった。

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