何時から居たのかも、何故居るのかも分からない。少女は自身が気付いた頃には既に此処に居た。どういう過程を経て、どんな理由があって此処に来たのか…自問しても少女の記憶が答える事はなく、ただ少女の名前を紡ぐだけだった。名字名前、これが少女の名前であり少女の中に残る唯一の記憶だった。

少女は名前が刻まれた立派な石の隣に立っていた。刻まれた名前から見ると此処は公園のようだった。毎日子供が来ては遊具で遊んだり広い場所で鬼ごっこやかくれんぼ、ドロケイをして遊ぶ。カップルや犬を連れた老人も多く訪れ公園はそれなりの賑わいを見せていた。しかし人間達は誰一人少女に意識を向けるどころかちらりと一瞥する事も無く、まるで少女が空気であるかのように振る舞っていた。無邪気で好奇心旺盛な子供、道行く女子高生、優しそうな顔をしたお婆さんであっても、少女に視線を向ける事は無かった。時折目の前を通り掛かった野良猫や母親に抱かれた赤ん坊が珍しそうに此方を見る、それだけだった。
それでも少女は立ち続けた。流れる景色の中で晴れの日も雨の日も風の日も。雷鳴轟きに怯える事も無く、吹き荒れる吹雪に凍える事も無く。まるで何かを待っているかのように。

そうして流れていく季節をただ眺めているだけだったとある日の夕方。桜が舞い散るその中で少女はようやく邂逅する。母親らしき女性と大きなカメラやガンマイク等撮影器具を抱えた数人のテレビクルーを引き連れて、彼女は姿を現した。何処かへ向かうらしい彼女は公園の前で足を止め、子供やお年寄りで賑わう園内をぐるりと見渡して一瞬、しかししっかりとその瞳に少女の姿を映した。
クルーに声を掛けられた彼女は直ぐに立ち去ってしまった。しかし少女は確かに自分を視認していた彼女の瞳が頭から離れず、此処に立つようになってから初めて自分以外の人間について疑問を抱いた。
何故彼女は私を見る事が出来たのだろう?
何故彼女の周りにいた人間は私に気付かなかったのだろう?
何故沢山の人間に囲まれているのに彼女は孤独なのだろう?
少女は色々な疑問が浮かんだが既に彼女の姿は無く、胸の奥が燻っているようなもやもやする煙たい気分だけが残った。

少女が興味を抱いた彼女は直ぐにまた姿を現した。今度は誰も連れず、何処かに向かう途中でも無く。少女を真っ直ぐに見つめて静かに問い掛けてきた。

「何故此処に居るのか…覚えてる?」

何百回何千回と自分に問い掛けて来た問い。少女は分からなかったので正直に首を小さく左右に振り、とある事に気付いた。
覚えているのかという彼女の問いはすなわち自分はやはり理由と過程が合って此処に立っているという事。此処に立ち始めた時より前の事は何も覚えていない事、そして目の前に立つ彼女は忘却の彼方にある理由を過程を知っている事。

「私じゃ駄目。自分で思い出さないと」

少女の考えている事を見透かしているかのように彼女は首を横に振って目を伏せた。まるで少女の事を哀れむように、慈しむように。
まだ幼さの抜けない彼女に少女は共感と興味を同時に抱いた。多くの人間に囲まれているのに、どうしてかその真ん中に居る彼女と少女は孤独だった。何処か無感情で無感動、決して表情を表に出そうとしない彼女がまるで自分のようで、そしてその彼女が自分を唯一視認出来るという事実。そして此処で初めて少女の中に自我が芽生えくるりくるりと思考が回り始めた。

「私、名字名前。あなたは?」

   ツユリ
「…五月七日小羽」

「小羽。小羽、また会える?」

桜が舞う四月。こうして名前は小羽と邂逅を果たした。これをきっかけにして全ての歯車が回り始める。ヒトがひしめく世界の中で孤独だった二人は出会い、そして短い時間の間で確固たる絆を築き上げていった。

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