携帯を見れば既に時間は深夜どころかそろそろ太陽が昇って来る時間で、私の虚無界訪問はたった半日だったのにも関わらず二、三日は居たような気分だった。取り敢えず噴水に浸かって泡を吹くメフィストさんをアマイモンさんに担いで貰って私の家へと向かった。メフィストさんを適当に床に転がしながら私はアマイモンさんが見事キャッチしたバクダン焼きを何個か分けて貰った。何故か爪楊枝を貸して貰えず直接アマイモンさんが指で摘まんで食べ与られるという何だかへんてこな構図になってしまった。


   ファントムトレイン
「え?幽霊列車って乗っただけで魂を取られちゃうんですか?」

ずっと着ていたアマイモンさんのジャケットを脱いで消臭スプレーを吹っ掛けながら私が虚無界へと入ってしまった理由の一つである幽霊列車についての話を聞く。するとどうだろう、あの列車は車体が胃袋になっていて乗り込んだ人間の魂を奪ってしまうらしい。
アマイモンさんの話を聞いて思わず自分の足元に目を落としてしまった。良かった、足はある。

「アマイモンさん、良いですよ無理しなくて。確かに片手で包帯巻くのは難しいですけど…やろうと思えば出来ますし」

「ボクがやります」

消臭スプレーを持つ手の反対側では救急セットを広げたアマイモンさんが怪我をした掌に消毒液をぶち撒けてコットンで血を拭い、ぐりぐりと薬を塗布してガーゼを宛てがい包帯を巻き付けていく。正直かなり痛いのだが、大雑把な治療とは裏腹に恐る恐る行き来するアマイモンさんの手付きの優しさに文句の一つも言えない。
やんわりと自分でやりたいと言ってみてもボクがやる、ボクがやります、終いには集中しているので黙っていてくれとまで言われてしまい私は結局彼に任せる事しか出来なくなってしまった。
長く黒い爪が私の手を傷付けないようにゆっくりと動くのを見ながら私はぽつりと独り言を漏らした。

「なら、何で私は魂を取られなかったんだろう」

「それは簡単!貴方は異世界からやってきた所謂異端の存在、この世界には存在していない人間なのですから」

「ぎゃっ!メフィストさん…人を宇宙人のように言うのを辞めて下さい…」

いつの間に意識を取り戻したのか、濡れた儘放置していたせいでフローリングに水溜まりを作るメフィストさんが綺麗なサバラハンドを決めつつ私とアマイモンさんの間に出て来ると、私をまるで宇宙人のように言い切った。存在していない人間、それは事実なのだがやはり改めて言われてしまうとちょっぴり悲しくなってしまう。

「というか、私貴方に言いたい事色々あるんですよ!?アマイモンさんに何変な事吹き込んでるんですか!恥ずかしかったんですから、私!!」

「フラウロスの事ですか?あれは我ながら名案だと思ったのですがねぇ」

「ち、が、い、ま、す、よ!しらばっくれないでください!」

何でこの悪魔は本当にトラブルメイカーなのかな!怒っているとは言えど養ってくれている人に流石に手は出せないので、ポタポタと水滴が落ちるメフィストさんの帽子をアッパーによって床に落とすと空いた右手でメフィストさんをびしっと指で差し、きょとんと隈に縁取られた瞳を丸めるメフィストさんを睨みつけた。

「アマイモンさんに嫁がどうとか言ったでしょう!氷の女王の前で俺の嫁宣言されてすっごく恥ずかしかったんですよ!?」

「……名前をボクのお嫁さんにするのを決めたのはボクです」

包帯の端を結び付け手を離したアマイモンさんが相変わらず平坦のない口調で私の顔を見て首を傾けた。
え、なんて気の抜けた声が漏れたのを皮切りに身体が脱力していく。あの発言は明らかにメフィストさんが吹き込んだものだと推測していたのだがどうやら違ったらしい。

「ボクは名前と初めて繋がった時から、ずっと名前が欲しかった。それが何故なのか、ずっと分からなかったんですが…」

「え?え?えぇえ?」

「おやおや、アマイモンが此処まで人間に執着するなんて…名前さん、貴女は実に興味深い方ですね!」

唐突なアマイモンさんからの告白に私は状況を把握出来ず、兄であるメフィストさんは顎髭をなぞりながら愉快気に口元を歪めた。
確かに文通していた頃から何だか過激な人だと思っていたがまさか此処までとは。何だか過保護なお兄ちゃんな気がして私の心臓がきゅんと淡く疼いたあと、皮膚の下で暴れんばかりに鼓動を早めていき、徐々に頬にも熱が集まっていく。そんな私の肩を掴みながらアマイモンさんは真剣な目付きで私の瞳を射止めてきて、その視線から逃れる事が出来ずに私はただただだらしきなく口を開けた儘彼の顔を見つめるしか出来なかった。

「名前、スキです。ボクが名前が欲しいのも、名前に会えなくて苛々していたのも、契約の時に名前にキスをしたのも、全部全部」

アナタがスキだからだったんです。そう囁いたアマイモンさんに掴まれた肩が引き寄せられ私はアマイモンさんの胸元に鼻先を埋めて抱き締められた。花と土の香りに包まれて壊れ物を扱うかのように私を抱く腕に切なさを感じる。今までこういう風に人を抱き締めた事などないのだろう、そう考えると私の腕は自然とアマイモンさんの背中に回る。

「わ、私、も…アマイモンさんのこと、す、好き、です…」

「…本当ですか」

「で、でも!私、アマイモンさんとお付き合いをするにはですね、色々足りないというか…」

「…タリナイ…」

何が足りないんだ、と言いたげな表情で首を傾けるアマイモンさんに私は必死に主張を続けた。アマイモンさんと付き合うのなら必然的に悪魔とも親交が増える。私の無知故に"地の王"の評判が落ちてしまうのは嫌だという事、正式にお付き合いをする前にまずは悪魔について学びたいという事。
話を聞いていき私の抱える漠然とした不安を理解してくれたのか、アマイモンさんが隣で静観していたメフィストさんに視線を向けた。

「…兄上」

「ふむ。ただでさえイレギュラーな存在の彼女が"地の王"のファーストレディになる為には、それなりの知識が必要になるだろうな」

私が好きで堪らないらしいアマイモンさんと、好きだけど付き合うには色々と不安要素がある私に何か案があるらしく、パチンと指を鳴らしてウインクを決めたメフィストさんがきらんと瞳を輝かせてアマイモンさんの腕の中の私に笑いかけて口を開いた。

「では、アマイモンの正妻見習い…なんてどうでしょう?人間でいう同棲みたいなものです、この際ですから夜の相性も深めごぼめっ」

言わせねーよ!とばかりにメフィストさんの腹に勢い良く蹴りを入れて彼を黙らせる。兄を敬うアマイモンさんがその案を見逃す筈もなくそれがいい今日から名前はボクの正妻見習いですと嬉々とした声色で紡いていくアマイモンさんの声を何処か遠くで聞きながら私は明後日の方向を見遣る。
一日も経たない内に目まぐるしく変わっていく状況に脳味噌が沸騰してもう何も受け付けられない。私が虚無界に行ったのもメフィストさんプロデュースによる虚無界の悪魔達への"地の王"正妻お披露目会のような気がしてならない。仕組まれた陰謀、確実に進んでいくアマイモンさんの恋人というポジション、そして順調に育まれているアマイモンさんへの恋慕の情。そして明日からは再びメフィストプロデュースによる"地の王"正妻見習いの花嫁修行が始まるのだろう、私は全ての思考をくしゃくしゃに丸めて何処か遠くに飛ばした。
もう好きにして。
諦めの感情を込めてそう呟くと分かりましたと頷いてアマイモンさんに唇を塞がれた。違う、そういう意味じゃないんです!

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