膝に手をついてぜえはあと息を乱しホームの真ん中で落ち込む私に行き交う人々の視線が刺さる。玉のように浮かんだ汗を拭いながら先程まで居たと思われる鉄の塊に憂い、溜め息を漏らす余裕すらなくただただ呆然と線路を見つめていると制服のポケットに入っている携帯電話が振動して着信を告げる。発信元は分かりきっている為画面を確認する事なく通話ボタンを押す。

「よぉ、遅刻っ子」

「あああすみませんすみませんすみません…!」

「にゃはははっ!やーい遅刻っ子ー」

ガタガタと新幹線が線路を走る音が電話の向こうで微かなBGMとなっている。霧隠先生はにゃはにゃはと笑っているがこれが奥村先生だったとしたら今頃どうなっていたか、考えただけで頭が痛くなる。
事の始まりは終業式の日、林間合宿に参加した私達の前に現れたアマイモンと互角の戦いを繰り広げ、森を青い炎が覆った明け方の翌日。正十字学園最深部から"不浄王の左目"が盗まれた事が始まった。北正十字で左目の偽物を使って暴れに暴れ一般人に被害をもたらした犯人は未だ逃走中、左目が盗まれた上に京都に保管されている右目にも危険が迫ったという事で候補生の私達は魔障を受けた人達への手当をする為に京都へ向かうよう学園長から直接指示を受けた。…受けたのは良いのだが。
京都に向かう朝、私が目を覚ました時間は駅に集合する時間の十分前だった。此処から正十字駅まで走って行っても十分は掛かるし、支度にも時間は掛かる。身体から血の気が引いていくのを感じながら取り敢えず霧隠先生に報告をしようと携帯を取り出した私はこんな大事な日に遅刻をしてしまったのだった。

「取り敢えずしょうがねぇし、車で京都来て。後から京都に向かう予定の奴に迎えに行くよう手配しといたから」

「分かりました」

「合流したら覚えてろよー?みっちり働いてもらうからな」

「うぐ…覚悟しておきます」

遅刻をしょうがないと言ってのけてしまう霧隠先生にこの人将来大丈夫かな、と思いつつへこへこと見えない相手に頭を下げる私に再び視線が集まる。電話を切って顔を上げる時には既に視線は散っていたけれど、悪い意味で注目を集めるのはやはりいい気分ではない。駅前で迎えを待とうと傍らに置いていたバッグを肩に掛けて改札へと向かった。

日陰になっている花壇に腰を下ろして既に乱れが収まりつつある呼吸を整えながら、頭の中では今頃新幹線で気まずそうに座っている奥村兄の事を考えていた。"左目"が奪われる日、杜山さんと教室で言い争っていた奥村兄は何処か虚勢を張っているようだった。サタンの炎は人を焼き殺す。だからと言って息子の炎が人を殺せるとは限らない。もし、私が林間合宿の時にセンセイの最期、もとい奥村兄の記憶らしきものに触れた時に穏やかに揺れていた青い炎が彼のものだとしたら。出雲様曰く森を焼き尽くした後、学園長に連れられてきた時には正気を失っていたという奥村兄が単に炎をコントロールしきれていないだけだとしたら。
サタンの息子という肩書きだけで彼を評価してしまうのは間違っているのではと思う。

邪魔、どいて。
少し幼さが残る声が私の脳裏に浮かんでくる。たった一言で女子達を蹴散らしていった事、あの日貴女に助けられた事、貴女に全てを捧げる誓いを立てた事。
無愛想、偉そう、生意気。彼女へのイメージや第一印象もまた彼女の本質を知るには乏しい材料であった。

「…出雲様」

あの時、私を変えてくれた貴女を守りたい。その想いはこれからも変わる事はないだろう。
林間合宿に続き今回も寮で留守番をしているアサルトライフルを思い浮かべつつ膝に置いていたずっしりと重みがある鞄を抱き寄せる。足りない素質は力で補わなければならない。補う為に必要なのは経験だ。
今回の京都遠征において必要になりそうなセンセイの研究レポートの要点を纏めたノートだけでは心許ない。センセイの元に一年通い詰めて得た射撃の腕だけでは不安要素がありすぎる。騎士か手騎士か、共に習得する手も考えねばならない。
思考を巡らせる私の近くで停車した四人乗りの小さな車から降りて来た黒いワイシャツ姿の中年の男性が近付いて来て、制服姿の私を見下ろしてにこりと笑みを浮かべた。

「君が名字名前さんだね?初めまして、京都までご一緒する藤堂三郎太といいます」

遠くで蝉がじわじわと鳴いて短い命を削っている。誰も知らない所で物語は動き出していた。

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