ふと瞼を開けると目の前は暗闇に染まっていて、一瞬寮のベッドに戻って来たのだろうかという期待は儚く消え去る事になる。ベッドのマットレスどころかタオルケットが掛かっている感覚もなく、湯気に浮かされているかのように不規則且つ不安定に身体が揺れまるで揺りかごのようだと思う。

少し離れた所で私が起きるのを待っていたかのように青白い炎がふわりと華を咲かすように静かに現れた。

その炎を知ってるよ。
さっき眠くなる直前に知り合いが出していた。
その炎の正体を知ってるよ。
いつか知り合いが言ってた、「魔神サタンが持つ炎」だって。
ねえ、奥村燐。藤本獅郎を父だと言う貴方が何故サタンの持つ青い炎を出せるの。

心の中で投げ掛けた問いに呼応するかのように青い炎は静かに横へ広がり二十インチ程の長方形へと形を変える。形を変えた儘微動だにしない炎をじっと見つめているとまるでテレビの画面のように長方形に映像が流れ出した。
修道院、正十字学園に入学が決まった弟、就職先も決まらず喧嘩帰りの兄、そんな兄に喝を入れ口論になる中年男性…。

「センセイ」

普段私が見ていたのと寸分変わらないカソックを着て丸い眼鏡を掛けた藤本獅郎が其処に居た。雪が溶けかけ、奥村先生の荷造りもあらかた終わっている事から春休み中何とか私が使えそうな武器の扱いを一通り網羅し「塾でまたしごいてやるよ」とにやつくセンセイと別れた後の話のようだ。

センセイから紹介された料亭の板前見習いの面接に行く途中、同い年と思われる男子に絡まれた奥村兄はそいつに悪魔がとり憑いているのも気付かない儘弟の悪口に反応を示し暴れ始めたかと思えば、羽交い締めにされ押さえ込まれる。見下したように笑う悪魔が嘲笑を浮かべながらナイフを取り出すと、静止する仲間の男を殴り飛ばし「面接するなら丸坊主」と笑いながら奥村兄の額に宛てわざと皮膚に刃先を埋めた瞬間。

「……ッ!」

命の危険を感じたからか炎が覚醒し一気に視界の中の色が変わり燃え上がる青がちらつく。
散り散りになって逃げていく男達の中で一人悪魔に憑かれた男だけは高笑いし喜びに身体を震わせる。そしてきっぱりと言い切ったのだ、奥村兄がサタンの息子なのだと。


場面は変わり修道院の一室で荷物と刀が入った赤い布を持った奥村兄と焦燥の表情を浮かべ胸元を押さえ苦しむセンセイが居た。
センセイの耳が伸び目が狂気を孕み穴という穴から血が溢れ出て来る。奥村兄を息子と呼び悪魔の神様と名乗るその悪魔こそが、サタンだった。
よりによってセンセイに憑依するなんて…!
見るもおぞましい光景に目を覆いたくなるが身体は首以外は金縛りにあったように動かず、見たくないという意志に反して私の目は目の前で広げられている光景をじっくりと記憶に焼き付けるように見つめている。
 ゲヘナゲート
虚無界の門が床に召喚されるなり、ぽっかりと口を開け赤黒い顔を浮かべた珠のようなものがボールのプールのように波打ち飲み込む者を待ち構えている。身体を引かれ虚無界の門に引き摺り込まれていく奥村兄の前で高笑いをしてサタンの一瞬の隙を突いて正気に戻ったセンセイが迷わずとった行動は、自害だった。
持ち歩いていた十字架を胸に突き刺しサタンの息子にも関わらず奥村燐は自分の息子だと言い切ったセンセイは力尽き倒れ、そしてそれっきり動かなくなった。
覚悟を決め刀を抜いて虚無界の門を縦に切り裂いて祓い、サタンからの脅威から身を守った奥村兄の目が事切れて床に転がるセンセイを捉えるなりぼろりと涙が溢れるのが見える。
もうこの世界の何処を探したってセンセイはもう居ない。大切な者を守り沢山の人に色々な物を残して逝ってしまった。あの日射撃場で見たセンセイの射撃の腕にはまだまだ届かない。沢山教わりたい事もあった、私はもっと強くなりたかったのに。
まるで奥村兄とシンクロしているかのように私の瞳からも大粒の涙が零れた。一つ零れて止まってくれればいいのに、それは堰を切ったように溢れて止まらなくなる。拭いたくても手は動かないので何も出来ずに私は静かに涙を流す事しか出来なかった。


「……名前っ!名前!!」

愛しい人の声がする。
恩師が逝去したと知っても私は前に進まなくてはならない。きっと皆それを望んでいる。理事長も霧隠先生も私にセンセイの話をしてくれた塾の先生方も、センセイ本人も。
私は私がやれる事をすればいい、自分に言い聞かせるように心の中で唱えれば私の身体を下から揺らしていた湯気のようなものが消えていき、出雲様の呼び声に呼応するかのように意識が浮上していく。

「…う、んん…」

「っ、…名前…っ!」

緩やかに瞼を押し上げると先程まで上空に居た私はいつの間にか室内に移動していて、私の顔を覗き込む出雲様を筆頭に遠くから塾生達が私の様子を伺っていた。
ぐるりと室内を見渡してみれば塾の医務室らしい。三輪を初めとして怪我を負っている面々に目を向けた私に志摩がへらりと笑い掛けてきたので直ぐに目を逸らす。
何やってるのよ馬鹿、アマイモンに連れ去られたかと思えば…!と語気を荒げる出雲様の肩が震えていて、心配させてしまったのだと理解すれば何だか申し訳ない気持ちになった。

「すみません、出雲様…」

未だ私の身体の下にある猫足チェアに座り直し出雲様に向き直る。小刻みに揺れる背中を擦って差し上げればゆるゆると息を吐き出し目を閉じて落ち着こうと自念してらっしゃる横顔が見える。

塾生達の表情は暗い。
奥村兄弟はおろかもう一人の引率である霧隠先生も、私と共に行動していた理事長の行方も分からない儘だ。奥村兄が炎を出してからの事の顛末は出雲様に聞けば直ぐに分かるだろうが、何せ空気が悪くて何も言えない。
ヴァチカンで大掛かりな裁判が行われているとも知らずに私は小さく溜め息を吐いて撫でる手を出雲様の背中から手へと移動させたのだった。

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -