アマイモンの肩に担がれてすぐ、後ろから奥村兄が手にしていた木刀から刀が入っているらしい赤い布を持って追って来る。
アマイモンが木の枝を足場にして移動する為に体が酷く揺さぶられ、昨日の夜に八割方奥村兄が作ったカレーをうっかり戻してしまいそうになるのを必死に耐えるので精一杯だった。

「待て!」

奥村兄が声を荒げると木の枝の上でくるりと奥村兄と向かいあったアマイモンは、自身の言いなりとなり人質となった杜山さんを暫く見つめていたもののふと思いついたように一つ頷きこの女をボクのお嫁さんにしよう、と言い放った。奥村兄を煽るように結婚式の時に牧師がよく言う誓いの言葉をつらつらと並べていくアマイモン、誓いますかと問えば言いなりになっている杜山さんが迷う事なく澱んだ瞳で頷くのが反対側の肩から伝わる振動で分かる。
背中を向いているせいで状況が全く掴めないが、ただ分かる事は杜山さんが頷いた直後下から炎のような怒りが這い上がって来るのを感じた事だけだ。
首だけを動かして後ろを見てみると其処には杜山さんの唇を噛み千切ろうと口を大きく開けたアマイモンに赤い布に包まれた儘刀を振りかぶる奥村兄の姿だった。青い瞳を見開いた奥村兄の口元が大きく開き「ふざけんな」と象られた次の瞬間、奥村兄を注視していた筈の私の視界はぐるりと回り何故か水平線から朝が近付いている空を見上げていた。足を纏める腕も腹を圧迫する肩も、何も感じない。視界に映る景色は空から森、遠くにある地面、先程まで私を抱えていた手を握り力むアマイモンと瞳を見開いた儘私を見つめる奥村兄の姿へと一回転した所で、視界の回転は終わり私の身体は下へと落ちていく。

「…あ……え……?」

「名字……ッ!!」

「ふざけんなはこっちの台詞です」

あ、私、今豪快なバク転してる。
自分の状況をやっと理解したと同時に奥村兄がアマイモンの拳によって豪快に殴り飛ばされる。木々を根こそぎ引き抜いていく程の力に思わず自分より奥村兄の心配をしてしまう。
これ足から落ちてるけど大丈夫かなあ、奥村兄生きてるかなあ、これって拐われ損じゃないかなあ。せめて頭蓋骨くらいは守ろうと色々な事がよぎる頭を腕で抱えて地面に叩きつけられる衝撃を待つ。……が、いつまでもその衝撃は来ず代わりに私の両肩に鉤爪のようなものが引っ掛かっていて、寧ろ肉に食い込みそちらの方が痛い。恐る恐る目を開けてみると地面まであと三十センチ程の所で私は宙吊りになっていた。
濃いピンクのポリエステル生地に覆われた傘の骨が足のように折れ曲がり私の肩に食い込んでいる。痛い、そう呟きながら上を見上げてみると蝙蝠のような顔付きの悪魔らしきものがばさりばさりとドーナツやケーキの柄入った羽根を羽ばたかせ私を持ち上げていた。

「まさか私の元へ運ぶ前に落とされるとは…いや、失敬。我が愚弟がとんだ粗相を」

「り、りじちょ…」

まるでタイミングを合わせたかのように現れた理事長は猫足チェアに座って幽雅に足を組み三段重なったシルバープレートからサーモンピンクのマカロンを摘まみ一口かじる。椅子に腰掛けて菓子を食べる姿はよく見る極々普通の景色にも関わらず私の口が開いた儘だったのは理事長も猫足チェアもシルバープレートも全て宙に浮かんでいたからだ。

「マカロン食べます?」

「いえ…あ、あの…理事長は何故此処に?」

蝙蝠傘―私が今決めた―は羽根を動かして私を理事長へと近付けチェアの肘置きへと下ろしすと私から離れて背凭れに下り立った。蝙蝠傘をじっくり眺めていると理事長さんの紫色の手袋が真っ白なマカロンを乗せて私の肩口に押し付けてくる。それをやんわりと押し返しながら理事長が此処に居る理由を問えば理事長の口元が愉快気に歪められるのを見て私の背筋がぞくりと震える。

「騎士團の犬どもと賭けをしたいのですよ」

「騎士團の犬…?」

「それと。…貴女に全てをお教えしようと思いましてね」

「え」

宙に浮かんだティーポットが傾き繊細に描かれた花に彩られたカップに紅茶を注いでいく。カップを手に取りゆらりと立ち上がる湯気に鼻先を埋め香りを楽しむ理事長が続けた言葉に私は思わず身構えてしまう。
紅茶を一口含む理事長の和やかな雰囲気に反して木々の向こうでは訓練の際に支給された魔除けの花火と思しき光が空へと向かって飛んでいく。奥村兄は刀しか持っていなかったから恐らく他の塾生達の仕業だ。もしアマイモンの先程の攻撃で魔法円の効力が切れていたら?花火を打ち上げる人の中に出雲様も居たとしたら?それならば私は全てを知るより出雲様を助けに行きたかった。

「あ、の!まずは"地の王"をどうにかしないと…正十字学園には生徒や一般市民も居ますし…」

「ご心配無く。"地の王"の狙いは奥村燐ただ一人なのだから」

「な、で…おわっ!」

理事長がまだ中身が満たされた儘のティーカップを手離すと同時にぐん、と椅子に力が加わり木々より少し低い位置に居た私達は一気に森林区域全体が見渡せるくらいの高さまで上昇した。落ちたらそれこそ洒落にならないので背凭れに掴まりつつ先程私達が居た場所を見下ろせば、其処は凄惨な風景と化していた。


先程奥村兄が殴り飛ばされたせいか、テントがある囲みの一角はまるで森林伐採が行われたように綺麗に木々が根こそぎ吹っ飛んでいて、その上から崩れた岩が重なりまるで即席の崖のようになっている。
先程の花火のせいかアマイモンの攻撃に巻き込まれた塾生がちらほら見える。近くの木に凭れかかり腹を押さえる志摩、腕を押さえて踞る三輪、未だ寄生された儘の杜山さんを抱えながらアマイモンは勝呂の首を掴み巨体とも言える彼の身体を軽々と持ち上げていた。テントから即席崖へと向かって視線を送る出雲様の姿もあった。良かった、魔法円からは離れてなかったらしい。
アマイモンに首を絞められ呻く勝呂を眺めていた奥村兄は覚悟を決めた、そう言いたげな表情で初めて私達の前で刀を覆う赤い布を取り去った。日本刀にしては鍔がやけに特徴的な、彼の瞳と同じ色の鞘に収まった刀だった。

出雲様達とは違う方角の森の中から銃を持った儘出て来た奥村先生が叫ぶ。これは罠だ。誘いに乗るな。奥村兄は何かを呟くが、小さくて空にいる私には聞こえない。彼の手が柄と鞘に掛かったのを確認した理事長が徐ろに立ち上がりマントを翻して両腕を広げた。

「イッツ・ア・ショータイム!」

ゆらり、まるで目眩がしたかのように私の意識が大きく揺れる。視界の真ん中で青い炎が噴き上がる。元々尖っていた耳が更に長く尖り、腹には巻き付いた黒い尻尾。頭には角を模したような青い灯火が二つ、ちりちりと窮屈そうに揺らめいていた。
目的は奥村燐と言った理事長の言う通り青い炎を纏った奥村兄へと完全に興味が移行したアマイモンは、勝呂と杜山さんを乱雑に岩へと落とし其の儘奥村兄へと向かっていく。

ぐらり、私は目眩に耐え切れず肘置きから先程まで理事長が座っていた椅子の中に倒れ込む。意識が朦朧としているのに眼下で広げられている会話はとてもよく聞こえる。珍しく声を荒げる奥村先生、退却を促す霧隠先生、私を探す出雲様…。皆の声を上から塗り潰すかのように獣の如く咆哮する奥村兄の声がやたらと頭に響く。
徐々に閉じていく視界の中で青い炎の柱が立ち上がる。炎の中で肌を焼かれて苦しみもがくアマイモンを見て人間から悪魔へと意識が変わっていく奥村兄の顔が見えた。
頭をそっと革が行き来する。皆の声も奥村兄の声も遠くなっていく中で理事長の低い声が私の身体に染み渡っていく。

「奥村燐が正気に戻るその時まで、良い夢を」

眠気を誘うようなその手付きに遅いテンポでリズムを刻むメトロノームのように左右に揺れる私の意識は頭を撫でる手に委ねられ、ゆっくりと落ちていった。

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