どうぞ、と奥村先生から手渡されたのは弾丸が入ったアルミ製のシガーケースのような箱だった。中央に正十字騎士團のレリーフを親指の腹でなぞれば夏場の暑さに染み入るような金属の冷たさが伝わってくる。頼んでいた弾丸の補充をする事が出来て良かったと安堵の表情を浮かべ奥村先生に礼を言うと銀色のケースをウエストポーチの中に仕舞い込んでそっと息を吐き出した。

奥村兄の料理上手という意外な特技の露見や皆で灯りを囲みながら食べたカレーはとても美味しかったというのに、今から始まる合宿訓練のせいで胸のもやもやは未だに晴れない。
三日以内にこの森林区域の何処かに三つだけある提灯に火を点けて持って戻る、という聞いただけなら簡単な訓練を告げられ、一部の血気盛んな塾生達の間では限られた数しかない提灯の奪い合いを予測しているのか静かに火花を散らしている。
三日分の食料や水、シュラフ等が詰め込まれたショルダーバッグのずっしりとした重さを感じながら各々魔法陣に沿ってぽっかりと黒い口を開ける森へ向き合う。時刻は八時丁度、空に向かって引金を引かれた銃声と共に全員が一斉に何が待っているのか分からない森の中へと突っ込んで行く。
行く宛ても無く走って進んでいくと直ぐに懐中電灯を握る私の右手にぺちりと何かがぶつかりその独特の軽さとさらりとした感触に私の眉間には皺が寄る。同時に視界を覆い尽くす程の大量の虫に囲まれる。不快感を煽る鳴き声、目のような模様が刻まれた羽根…これは、蛾だ。虫豸と呼ばれる、血を吸う蛾…悪魔学の教科書にも乗っていたのを見て出雲様が気持ち悪いと漏らしてペンケースで標本にされた虫豸の写真を隠していたのを覚えている。

「ぎ…っ、ぎゃぁああ!!」

「……ッ、出雲様!?」

「成就せずということなし!」

ふと直ぐ傍の茂みでチカチカッと懐中電灯の光がちらついたかと思えば恐怖の入り混じった叫び声が聞こえ私は思わずその声に反応してしまう。森に響く威嚇する狐の鳴き声の元へと行こうと纏わりつく虫豸を腕で薙ぎ払い懐中電灯の明かりを消して生い茂った草むらの中へと突っ込んでいく。
茂みを抜けると懐中電灯の光に群がる虫豸を飛び跳ねながら追い払おうとする白狐達と可愛くないものは基本的に嫌うがゆえに、蛾に対して例外なく嫌悪感を示して半分パニックになり両腕を振り回す出雲様が視界に入って来る。大きく揺れる頭のてっぺんでくくられたポニーテールになりふり構わず出雲様に走り寄るとぎゅっと目を閉じうつ向いた顔を包むように彼女を抱き締めた。

「出雲様!落ち着いて下さいっ」

「ひっ!い、いや…っ!!」

「私ですよ、名前です。懐中電灯を消せば虫豸は寄って来ませんから。もう大丈夫ですから、ね?」

左手で小さく悲鳴をあげた出雲様を抱き寄せ落ち着かせるように背中を撫でながら、出雲様が握っている懐中電灯へ右手を這わせるとそのスイッチを切る。真っ暗になった森の中で暫く虫豸の羽音が響いていたもののやがてその数は減り、我にかえった私が今自分がしている事の大きさに気付いて背筋に冷や汗を滲ませる頃にはその気配すら消え去っていた。
勢いに任せて怯える出雲様を抱き締めしまったものの此処からどうすればいいのだろう。ふわりと香る女の子特有の柔らかくて優しい、愛しい出雲様の匂いにざわざわと波立っていた私の胸の奥がばくばくと音を立てて暴れ回っているのが分かる。あああああ落ち着け変態か私は志摩じゃないんだから落ち着け落ち着け名字名前お前はやれば出来る子だ大丈夫だからクールになれ!!

「いつまでもくっついてんの。暑苦しいんだけど」

「ひぎゃっ!す、すみません出雲様…!!」

一人煩悩と格闘している真っ最中に水を差すかのように耳元で少し掠れた声でぼそりと呟かれ、慌てて私は腕を解いて出雲様から身体を離す。ほっぺたが湯気でも出るんじゃないかって火照っていて此処が真っ暗で良かったと安堵する。出雲様がどんなお顔をされているかは分からなかったけど、ふんと鼻を鳴らして歩き出した所から見るとそんなに怒ってはいないらしい。
良かった良かった、虫豸に怯える貴女が可愛くていっそ押し倒そうかと思っちゃいました!なんて口を滑らせた日には間違いなく絶交される。それだけはごめんだ。
改めて自分が抱く感情に蓋をし直して元来た道へと戻ろうと茂みを片足を突っ込んだ所で先を進んでいた出雲様がくるりと振り返るなりまるで滝のように怒声を浴びせかけてくる。

「ちょっと、何戻ろうとしてんのよ!早く行くわよっ」

「……へ?え、あの」

「トロ!愚図!さっさとしなさいったら!!」

「は、はい!すみません今行きます、行きますから!」

眉を寄せて怒声が徐々に貶しに変わって来た所で慌てて茂みから足を引き抜いて出雲様の元へと走り寄る。暗闇に慣れてきた目で辺りを見渡すと呆れた顔で私と出雲様を見比べる白狐二匹に気付き何見てんのよとぷりぷり怒りながら再び歩き出した出雲様の耳が赤く染まっている事に気付いてしまい、冷めかけていた私の頬がまた熱を帯びていく。
礼を言えなくて照れているのだろうか、また虫豸が襲ってきそうで怖いと思っている自分が恥ずかしいのか。…それとも私に抱き締められたのを気にして……くれているのなら嬉しいのに。どんなに仮説を立てて最後には私への好意を期待してしまうような考えに至ってしまう。浮かんでは有り得ないと消えていく期待にやっぱり私は出雲様に振り向いてもらいたいという望みを持っているのだと思い知る。友達としてもスタートラインにすら立てていないのに恋愛感情?ああ、私っていつからこんなに馬鹿になってしまったのだろう。出雲様に日常茶飯事の如く馬鹿馬鹿言われているから、本当に馬鹿になってしまったのかもしれない。
邪念を払うようにふるりと首を横に振りそれ以上の思案は辞め、白狐達と共に提灯探しに奔走する事に集中する事にした。

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