長い地獄のような合宿も終わり、また元の様な生活に戻っていく。共有スペースである洗面所の鏡の前で首元の包帯を外して指でなぞる。幸い奥村先生や杜山さんの処置のお陰で右手共々痕も残る事なく完治してくれた。
包帯をくるくると巻いて洗面台に置くと身体を屈めて洗顔を始める。

タオルで叩くように顔の水気を拭いながら食堂にやって来るも、未だ出雲様と朴さんは来ていなかったので、代わりに奥の厨房で慌ただしく働くおばちゃん達に挨拶しつつ三人分の朝食を用意して席に座る。
サンドイッチがメインの洋食だったので食堂内にある自販機でフルーツ牛乳を購入して出雲様の分の盆に置く。

「うわあ、ごめんね名前ちゃん。準備させちゃって」

「おはようございます。出雲様、朴さん」

「やっと包帯取ったの?今日の調理実習でまた包帯巻く羽目にならないようにせいぜい気をつけなさいよ」

暫くしてそれぞれ寝間着姿の出雲様と朴さんがやってきて私の向かいに座る。既に七月、未だ朝夜は涼しいと言えどやはり暑いものは暑い。袖が短いTシャツから覗く出雲様の麗しい白い肌が眩しくて思わず視線を下に落とす。
合宿で行われた試験の後、出雲様を恋愛対象として見ている自分に驚きつつもすんなりと受け入れてしまった。そしてその気持ちはそっと心の奥に仕舞いこむ事にした。私がどんなに努力したとしても出雲様は私を恋愛対象として見るなんて事は有り得ないと思っているからだ。

「調理実習の班、三人共分かれちゃったね」

「出雲様、これを機に朴さん以外にもご友人を作っては如何ですか?」

「馬鹿言わないでよ。あたしには朴が居ればじゅーぶんよ」

今日の三、四時限目の授業は普通科らしく家庭科の調理実習だ。班はくじ引きで決めたので出雲様と離れてしまったのは悲しいが、目を向ければ直ぐ其処に居る事だしたまには悪くないかなと思った。



「今日は先週言った通り、クッキーを作ってもらいます。エプロンと三角巾は持って来たわね?」

四十人近い生徒を六つの班に分けて、それぞれ班ごとに好きな種類のクッキーを作る。
私の班は型抜きクッキーを作るので、今日はクッキーの抜き型を持ち合う事になっている。
調理台の上に皆が持って来たハートや花、ひよこなどお菓子作りが好きな一般家庭にありそうな抜き型が並ぶ。

「やっぱハートとか有りがちだったねぇ。男子とか食べにくそう」

「名前ちゃんは何持って来たの?」

班の皆が腕を組んでどれを使うか吟味する中、偶然同じ班になったルームメイトの子に聞かれ私は持って来た型を取り出した。


「タコを持って来ました」

班の皆が私を二度見した。何故だ。


後ろでくすくすと出雲様の笑う声が聞こえたので振り向こうとするも、珍しさ故に班の子達がわらわらとタコに群がってきたので型を渡すとすごいだとかこんなの初めてだとか言ってはしゃいでいる。それにしてもその言い方、何だかいやらしく聞こえるのは私だけですか。

「何でタコなの!名字さん面白すぎ!」

「クッキーの型ってハムやチーズにも使えるじゃないですか。出雲様に弁当を作った時にベタな型じゃつまんないって言われたので、ちょっと変わった型は結構持ってるんです」

タコはハムに使ってたんですよーと笑いながら他の型も出していく。コウモリ、キリン、錨、ハイヒール、流れ星…出せば出す程班の子から歓声が上がる。何故だ。

「抜き型ってこんなにいっぱいあるんだあ!凄いねぇ」

班の子達がはしゃいでいる間にプレーン味の生地を手で混ぜ合わせていると、ルームメイトの子がそう言いながらボールを押さえてくれたので力を入れて生地を纏めていく。小麦粉をふって均等な厚さに伸ばす作業を終えると型抜きの作業を皆に任せて、私は続いてココア味の生地の作成に移った。


「ああ…疲れた…」

生地を練り終えると丁度休み時間になり、休んでていいよと言ってくれた班の子達の言葉に甘えて型抜きも焼き作業も任せて一人階段に座って腕を擦りながら項垂れる。すると上から聞き覚えの有る声が私の名前を呼ぶので思わず私の眉間に皺が寄る。

「あー、名字さんやぁ」

笑いながら私の横に勢い良く座ったのは予想通り志摩だった。名字さんのクラスは調理実習でお菓子作るんやってな、出雲ちゃんと班一緒なん?なんてうだうだと喋る志摩を無視して私は立ち上がる。

「コイツどうにかして。鬱陶しいよ」

「諦めぇ。こいつのコレは既に病気の領域や」

親玉的存在の勝呂に助けを求めると呆れたように溜め息を漏らしながら首を横に振られた。こいつのこの悪い癖は小さい頃からあったもので、勝呂も三輪も既に匙を投げている事を知る。

「志摩さんは人より煩悩二倍あるんちゃいます」

「子猫さん酷い!」

夫婦漫才のような、仲の三人を見ていると何だか出雲様に恋心を抱く私がおかしいんじゃないかと思えてくる。吊り橋効果とかそういう物だろうか、そう考えながら調理室へ戻ろうと踵を返すと勝呂に呼び止められた。

「お前、ああいうん辞めぇや」

「ああいうのって?」

「神木の世話役みたいなん、辞めろ。お前、あいつの友達なんやろ。杜山さんみたいな事せんでも…」

「…何言ってるの?私と出雲様は友達じゃないよ」

合宿の時に朴さんと同じような事を勝呂にも言われた。何で私が出雲様と友達というくくりにされるのか全く理解が出来ず、にっこりと笑って否定をすると勝呂のみならず志摩や三輪の表情まで強ばった。三人の表情が私を憐れむように見つめる朴さんの顔と重なる。じゃあね、と小走りで三人の元から去ると後ろから名字、待て!と再度呼び止められるがなりふり構わず調理室へと戻った。



「……アンタにしてはうまく出来たんじゃないの」

こんがりと焼き上がったクッキーが甘く香ばしい匂いを立てる。三つに小分けしたクッキーの袋をお渡しすると、珍しく出雲様からお褒めの言葉をいただき自然と笑みが浮かぶ。しかし出雲様の表情は険しく、機嫌はすこぶる悪そうだ。
どうしたのだろうと首を傾けると出雲様は突然ギッと私を睨み小分けされた出雲様の班が作った絞りだしクッキーの袋を投げ渡される。

「アンタって誰にでもホイホイ自分の物を渡すのね!」

そう怒鳴った出雲様はさっさと塾の鍵を取り出して塾へと向かってしまった。バタンと勢い良く閉じられた扉をぽかんとした表情で見ていると見送りに来てくれた朴さんがくすくすと笑いだす。

「名前ちゃんが持って来た型は、出雲ちゃんだけが使っていたかったんじゃないかなあ」

笑いながらそう言った朴さんから出雲ちゃんの分も渡しておいてね、とオーソドックスなバタークッキーが入った袋を二つ貰う。
その言葉を聞いて私は嬉しくなった。ほらね勝呂、私が言った通りだ。私は出雲様の"友達"ではなく"所有物"なのだ。友達だなんて陳腐で上辺だけの安っぽいものより、物として彼女の役に立つ方が何倍も幸せなのだ。
朴さんと別れて鍵で塾の廊下へと出る。出雲様の後を追う私の足取りは勝呂達から離れる時よりも遥かに軽やかに感じた。

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