進めば進む程辛くなるものなんて登山以外にないと思っていた。
平坦なコンクリートの道路が文字通り荊の道に見えて来てどうにもやるせない。
迷子になったり近場の公園で休憩を挟みつつ、ひたすらにあの胞子の元へと真っ直ぐに走っていたものの進めば進む程胸が苦しくなって咳き込んでしまう。その内走っていた足が小走りになり、早歩きになって徒歩になってふらつくまでに体力が削られていく。咳も酷さを増していき一度咳き込むだけでえずいてしまう。夕飯をそっくり吐き出してしまいそうになるのを耐え全身から脂汗を滲ませながらひたすらに山を目指して歩いていく。

進んで、咳き込んで、吐き気に耐えて、また顔を上げる毎に胞子の形はめまぐるしく変わっていく。
最初はカマキリの卵のようにぶよぶよとしたただの塊だったものが次第に形を変え柱を作り壁を作り、塊が一つの建築物へと姿変えていく。今はその建築物を紅い炎が膜を張るように覆っている。そのせいか大分咳も吐き気も落ち着いてふらふらしていた足取りも小走り出来る位には回復していた。
あんな物を追い払おうとしているなんて、廉造が通っている塾は一体何を教えている塾なのだろう。
数年前からヒットしている魔法学校に通う少年の話を描いた映画を脳裏によぎらせながら尚も進んでいると、不意に頭上でパン、と何かが破裂する音が聞こえる。
気付けば何処かのお寺がある路地に迷い込んでしまったのか黒い袈裟に身を包んだ人達がちらほらと道路に出て山を不安気に見上げている。
袈裟姿の人達に倣うように山を見上げれば建築物と化した胞子を覆っていた紅い炎の膜が弾け飛ぶように消えてしまっていた。
やばい、また咳と吐き気が来る。慌てて口元を覆った所でぐらりと視界が上下左右に歪む。身体が支えも無くしたようにふらつき地面へと倒れ込む。ああ、そういえば宿を出てから水分摂ってなかったな。熱中症かもしれない、頭も上手く回らないし視界もぐらぐらして身体に力が入らない。唯一機能する聴覚は少し離れた所でざわりと人が騒ぐのを捉える。

「一般人か!?」

「何故こないな所に…オイ、キミ!大丈夫か!?」

答えを紡ぎたくても再び出始めた咳が邪魔をして声が出ない。暑い。気持ち悪い。頭が痛い。視界がぼやけて目の前のコンクリートすらも滲んで見えて、ああ私死ぬんじゃないかなんて笑える想像をしていると袈裟姿の人が手を貸してくれたのかうつ伏せから仰向けに体勢が変わる。上半身にはヒト特有の温もり。下半身には熱を孕んだコンクリートの熱気。視界には夜空の黒と異物と青い……青い、光?

「うわあああああ!」

「あれは…魔神の青い炎や!」

「あかん…坊や廉造はん等もおらへん言うんに、まさか山に登って巻き込まれたんちゃうか!」

廉造。たったその一言で朦朧としていた意識が一気に醒めていく。
朧気だった視界にははっきりとあの異物を含め山肌を舐めるように広範囲に渡って広がっていく青い炎が見てとれた。あれを袈裟姿の人達は魔神の炎とか言って恐れている様子だった。魔神といえば、一般人でも分かる悪魔の名前だ。
それよりさっきの人は何て言ったか。坊…坊は、廉造が勝呂くんを呼ぶ時に使っていた。勝呂くんや、廉造が巻き込まれた?あれに?

「あれは人を殺す炎や!あんなん浴びたら去んでまう!」

「……ぅ、あ…っ!」

人を殺す炎。巻き込まれた。死ぬ。フラグは立っていた。最後の最後にあんな科白吐いて切って…!
山肌を舐める炎は消えていた。異物は文字通り消え去り空は濃紺から徐々に白みを帯びていく。宿を出たのが日付が変わる少し前だったから、かなりの時間さ迷っていたらしい。
此方に炎が来ないと判断した袈裟姿の人達の動きが活発になる。これから山に登るのだろうか。

「れ、れんぞ、う…っ」

「あ?アンタ、廉造はんの知り合いかいな」

じわりと視界が滲み目頭が熱くなった所で再び咳き込んでしまいえずく私を、抱き抱えていたおじさんが優しく背中を撫でてくれた。
炎に巻き込まれたのかどうかすら分からずもういっそ意識を手放してしまおうか、なんて考えていた所に近くの建物から慌てた様子で出てきた男性が周りの人達に向かって声を張る。

「おーい、今所長等から無線で連絡来たで!おっさまは重傷らしいが他は皆無事やそうや!」

「!、ほうか!」

「日本支部が今ヘリで救助に向こてるさかい、俺等は布団敷く仕事するで!」

「おう!」

路地にちらほらいた男性達は安堵に包まれたような表情を見せつつ建物の中へと入って行く。それをぼうっと眺めていると私を抱えていたおじさんがあやすように優しく頭を撫でてくれた。

「廉造はんも無事みたいやな」

「……ッ!!」

その言葉を待っていたかのように一気に胸に苦しさが込み上げて来る。滲む程度だった目からも枷が外れたように一気に涙が溢れて出て来た。あんなに胸の奥を揺らしていた焦燥感もとっくになりを潜めていた。これで漸く安心して正十字に帰れると身体の力が抜けた瞬間、一気に視界と意識が暗転した。

「ちょ、おい!しっかりしい!!」

最後におじさんの声を間近に聞きながらどうやって宿まで帰ろうか考えながら私は暗い意識の底へと沈んでいった。
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