クモ   カケハシ
 雲 に 梯

叶えられない高望み 



使用人を始めてやっと仲の良い人が出来た。使用人は全部で五人。私を除く四人は元々京都で竜士様のお父様の世話係だったらしい。そりゃあてきぱき動ける筈だ、何故勝呂家は私なんかを採用したのかが理解出来ない。

「清川さん、洗濯物畳みと仕分け終わりました」

「お疲れ様。少し休憩にする?」

「いえ、トイレ掃除がまだなのでそっちに行って来ます」

清川さんは右も左も分からない私に掃除の手順や道具の使い方を教えてくれた。これでも普段は内気で他の使用人との交流もあまりしないらしく、いつもうつ向いて家事をこなす姿から次郎長さん達からは影で"幽霊"と呼ばれているらしい。中年のおじさんおばさんがいい歳してやる事が小学生だ。
細い身体も儚い桜色の着物も、緩く結わえた長い黒髪も素敵なのに。清川さんの魅力が分からないなんて人生の半分は損しているんじゃなかろうか。

ランドリールームのロッカーからトイレ掃除用の用具を引っ張り出して竜士様やお客様が使う手洗いへと向かう。一般家庭にあるような便座がぽんと置かれただけの使用人の手洗いとは違い、此処の手洗いはデパートのトイレのように広く便器も大小各々四つずつ並んでいる。
私がこの家に来てから客の来訪は無く、竜士様も清潔に使って下さるので特に目立った汚れも無い。しかししっかり隅々まで掃除をしなければ次郎長さんからお叱りの言葉が飛んで来る。綺麗なら眩しくて目が眩む位磨いてやろうじゃないか、気合いを入れ直して布巾をゴム手袋をした手でぎゅうと握り締めた。

ふう、と息を吐き出してずっとしゃがみこんでいた身体を起こす。くらりと立ち眩みを起こし壁に寄り掛かりながら手洗いを見渡す。床はいまいちだが便器は埃一つ無く綺麗に磨きあげる事が出来た。
誰も居ない手洗いの中で盛大にどや顔をしつつ続いて洗面所の清掃に入る。洗面所もこれまた広く洗面台が三つ並んでいて、左端の隅に竜士様の歯ブラシやコップ、タオル等が置かれたラックが置かれていた。
ラックを床に下ろして左側の洗面台から掃除を始める。粉末クレンザーを振り掛けスポンジでじっくり汚れを落とし、軽く水で流した後布巾で蛇口や縁まで丁寧に磨いていく。やっと一ヶ所終わった所でにわかに廊下が騒がしくなった。

「坊!便所借りますねー!」

ドタドタと足音を立てて手洗いに入って来たのは竜士様ではなく金髪の人だった。竜士様より少しだけ小柄で横髪をヘアピンで纏め上げている。布巾を持った儘振り返った私と目が合うなり彼の身体がぴたりと硬直した。

「…初めまして。先日からこの家で使用人をしております、夜野蛍と申します」

慌てて布巾を後ろに隠しながら次郎長さんから叩き込まれた挨拶を口にして頭を深く下げる。すると硬直していた金髪の人がくるりと踵を返して廊下の方へ叫び声を上げた。

「坊!トイレにメイド服着た痴女が居る!」

ええええ!さっき自己紹介したのに!衝撃を受ける私にはぁ?という怪訝そうな声と共に廊下からひょっこりトイレを覗き込んだ竜士様と目が合いほっと息を吐き出した。しかしその後ろからひょこひょこと更に二人の男性がトイレの中を覗き込んで来て、緩んだ私の緊張ゲージが一気に跳ね上がる。
手洗いの中に入って来た竜士様が私の手にある布巾や道具から掃除中だったと悟り、初めての来訪者に緊張する私の隣に立ってわしわしと頭を撫でながら軽い紹介をしてくれた。

「八百造、柔造、金造。コイツは先週から新しく仕えてくれとる新入りや。ほら、挨拶せえ」

「あ、はい。夜野蛍と申します。初顔合わせがこんな所で申し訳御座いません…。宜しくお願いします」

改めて三人に自己紹介するとぽかんとした表情を浮かべいた中年の男性が豪快に笑い出し、黒髪の男性が目を吊り上げて金髪の男性の頭を勢い良く叩いて説教を始めた。
突然の出来事に今度は私がぽかんと呆けていると隣にいた竜士様がおとんとこで昔から働いとった奴等や、と耳打ちして教えて下さった。暫くして説教が終わったのか黒スーツ姿の三人が改めて私に向き直る。

「いやあ、堪忍な。ウチの金造が失礼しました。志摩八百造いいます、此方は私のせがれです」

はっはっは、と笑いながら軽く頭を下げた八百造さんにその息子さん達から改めて自己紹介をしてもらった。黒髪の男性が柔造さんで、私を痴女呼ばわりした金髪の男性が金造さんというらしい。よろしゅうに、と笑う柔造さんの前を足早に通って手洗いに入って行く金造さんの背中を見ながら私は胸に何かが引っ掛かりを感じた。志摩という名字と名前に必ず造と入っているものに何か聞き覚えがあるような見覚えがあるような…。
うんうん唸って考えていると助け船を出すように

「…ああ。八百造、コイツ志摩とクラスメートやねん」

「おぉ、うちの廉造とか!」

れんぞう。その響きは確かに私のクラスメートの志摩廉造のものだ。確かによく見ると八百造さん達の顔立ちとそっくりだ。志摩くんは休み時間の度に竜士様のいるクラスに飛んで行ってしまうのに、女好きで有名の男子でクラスの女子はあまり彼の事を良く思っていないみたいだった。
漸く胸の引っ掛かりが取れてすっきりした気分になり、八百造さんの問いに肯定の返事をしつつあまり接点は無いですがと付け加えるとハハハと笑った柔造さんが優しい表情でフォローしてくれた。

「アイツ小さい頃からスケベやエロ魔神言われててん。アンタはあんまり関わらん方がええ」

こう言っては柔造さん達や竜士様に失礼な気もするが私は学校でこの家の関係者とは一切関わりを持ってはいけないと決めているし、この家に来たときに次郎長さんからキツく言われた上に顔写真まで載ったリストも頂いている。
曖昧に笑いながらご忠告有難う御座います、と礼を言うとええ子やわ!と八百造さんと柔造さんにわしわしと頭を撫でられた。

「すっきりしたわ!」

「ほんなら俺等は行こか」

「はい、足をお止めしてしまってすみません」

「ええよええよ。俺等三人で下の階に住んどるし仲良うしたってな」

トイレを終えて戻って来た金造さんを見て竜士様が切り上げを持ち掛け、皆さんがぞろぞろと出て行くのを頭を下げて見送る。最後に柔造さんがひらりと手を振りながら言って下さった言葉が嬉しくてにっこりと微笑み返した。

洗面台の掃除はまだ二ヶ所残ってるけれど、八百造さん達のお陰で物凄く気合いが入った。毎日次郎長さんからのいびりが酷くて若干やる気が萎びていたのでやっとこのメイド生活にも潤いが出て来たと歓喜し、布巾を握り締めて洗面所を見渡す。今日は鏡もぴかぴかにしてやるんだから!