クモ   カケハシ
 雲 に 梯

叶えられない高望み 



高層マンションの最上階を丸々使った勝呂宅はとてつもない広さを誇る。玄関から道沿いに廊下を進むと先へ繋がる廊下の途中に右へと分岐している。
其の儘真っ直ぐ進めば竜士様専用のお手洗いにバスルーム、竜士様の私室兼書斎、そしてリビングへと出る。
先程分岐していた右側に入り両側にある倉庫を抜けた突き当たりにはキッチンがある。キッチンには更に左右への分岐点があって、此処を更に右へと進めばランドリールームに辿り着く。ランドリールームにはもう一つ扉があり其処を開けると短い廊下と共に使用人用の個室が五つ、その向かい側には男女兼用トイレとシャワールームが並んでいる。一番奥が私の部屋として与えられた。
因みにキッチンから左に進むとリビングへと繋がっているが、此処はキッチンから食事を運ぶ為の通路なので食事以外での使用人の使用は禁止されている。

午後四時半。次郎長さんに言われた通り、私は七分目まで水が入ったバケツと雑巾を持って玄関から竜士様の部屋に繋がる廊下の床拭きを始める。学校の清掃みたいにドタドタと足音を立ててはいけないと言われたので、居間の扉から左右に手を動かして床を拭きながら後退し玄関へと向かう手順を踏む事にした。

取り敢えず竜士様が帰って来る前に終わらせなければいけないので手を動かす。駄目ぇ、これ以上は駄目なのぉお!と聞こえる位に水気を絞った雑巾で必死で床を拭いていく。と同時にひらひらと揺れるメイド服のスカートが非常に邪魔で仕方無い。四つん這いにさせて作業をさせるならどうしてメイド服なんだ!もっとこう…つなぎでも良いんじゃないかと思う。見た目か、見た目重視なのか!

「…ッ、終わった…」

午後六時少し前。玄関の端を拭き終えた頃には私の右腕は酷使したせいか小刻みに震えていた。僅かにびりびりとした痺れすら感じる。初日からなんてきつい労働なんだ…そう考えながら雑巾を畳んでいると突然目の前のドアが開きふわりと外から舞い込んだ風が私の頬を撫でた。
ドアから一歩踏み出して入った来たのは紛れも無くこの家の主である勝呂竜士様だ。ぽかんと口を開けた儘固まる私と同じように彼もまた鞄を肩から提げてドアに手を掛けた儘、私を見て固まっている。

「お、お帰りなさいませ竜士様!」

「…お、おぉ」

取り敢えずお迎えの言葉を掛けるべきと判断した私は雑巾をさっと後ろに隠し、深く頭を下げると其の儘動きを止める。竜士様も我に返ったのか玄関に入り靴を脱ぐ足が視界に入り込む。玄関のマットの上に置いてあるスリッパに足を通して其の儘去って行くのかと思えば、私の前で立ち止まる。膝を折ってしゃがむ竜士様に何をされるのか分からず不安感から首を引っ込め縮こまった。

「何でメイド服…」

「き、着物…一人じゃ着れなくて…」

「誰の趣味やねん、こんなん…」

頭を下げる私のスカートのフリルを指で摘んで弄びながら愉快気に、でも呆れたような声色で呟いた竜士様は直ぐに立ち上がって去って行ってしまった。
竜士様の気配が廊下の奥に消えたのを確認してからやっと顔を上げる。何だったんだろうあの絡みは、そんな疑問を抱きつつバケツに雑巾を入れて立ち上がる。ランドリールームで休憩している他の使用人に竜士様が帰宅された事を伝えなければ。なるべく足音を立てずにバケツを持ってランドリールームに向かいながら私は深い溜め息を吐き出した。