全てを知り、全てを無くした私の身体に異変が起きたのは猫に名前を教えて直ぐだった。
床から力を吸われているんじゃないかという位身体が弛緩していき、身体を支えきれなくなった私は壁伝いに座り込んだ。
異変を察知した猫又は私の目の前に降り立つとじ、と私の身体を見つめた後ふるふると首を横に振った。

「悪魔になって間もないのに能力を酷使したせいで身体にガタがきている。君の肉体はもう直ぐ滅ぶだろう」

「滅ぶ…?」

「新しい肉体に移らないと君も死ぬ、という事だ」

ぞわぞわと這い上がってくる擽ったい何か、何かが這った跡は麻酔を打たれた麻痺したかのように感覚が無い。力の入らない手で靴下をずらして見ると足が炭化したかのように真っ黒で、表面がぼこぼこになっていた。
突如訪れた身体の終焉に私の思考は止まった儘だった。肉体を移るとは何だ、私が死ぬとは何だ。様々な疑問を浮かび上がるも一つも処理出来ず頭の中でぐるぐると円を描いて回っている。

宛ても無い思考を暫くぐるぐると続け炭化が膝を越えた頃、突如足元に居た猫又がふにゃっと短く鳴いたかと思えば玄関の方へと走り去ってしまった。どうしたんだろう、鼠でもいたんだろうか。思考が猫又に傾きかけた瞬間、私の頭上の割れた窓ガラスが更に破裂音と共に穴を広げた。同時に白い何かを身に纏った何かが家の中に降り立った。ガラスの破片で切ったのか、剥き出しになった白い腕に数本の赤い筋が見える。

「おい!大丈夫か!?」

「……燐…?」

振り返った顔には見覚えがあった。化け物と呼ばれ園児達との喧嘩が日常茶飯事だったあの頃。昔と違って耳と歯が尖っていたものの、気迫溢れる瞳と真っ黒くて丸い頭は間違いなく燐だった。

「…俺の事知ってんのか?」

「忘れちゃった?手裏剣しゅしゅしゅの刑、だよ…?」

「…名前…?おま、どうしたんだその足!?」

辿って来た記憶の中で一際深く印象に残っているフレーズを口にすると驚いたように目を丸めるも、私の足を見ると直ぐに表情が変わった。雪男、と立ち上がり掛けた燐の足を止めたのは玄関に逃げたあの猫又の声だった。

「どうしてこんな所に魔神の息子が?」

「あ?」

    サ タン
「……魔、神…?」

暗闇に包まれた玄関から響く警戒心を孕む声と聞き慣れない単語に首を傾ける。と、同時に思考能力が低下して何も考えられなくなっていく頭の中に疑問が浮かぶ。

「燐…あの猫又の言葉が分かるの…?」

「哀れな少女よ、気をつけたまえ。その少年は悪魔を統べる王、魔神の息子…つまり悪魔だ。君や私より遥かに力のある、ね」

「あ…」

「燐…悪魔、なの…?」

雪男くんを呼びに行こうとした燐の表情が歪み感情が揺れているのが分かる。動揺、している。
大丈夫だよ、怖くないよ。そう言おうとしても上手く口が動かない。ずるりと身体が横に倒れどしゃりと床に倒れ込む。名前!と私の名前を呼ぶ燐の声に混じって視界が青い光に包まれる。

「おお…!」

猫又の感極まる声が聞こえる。青い光と暖かい温もりに包まれるのを感じる。ゆるゆると目を動かして温もりの元を辿ると私は燐に抱き起こされ、何故か青い炎に包まれていた。この炎は…?

「それこそが魔神を示す青い炎…!若君がこの町に来ているというのは真であったのか」

悪魔の統べる王の息子、だから若君?凄いね、燐。燐は王子様だったんだね。燐をよく見てみる。耳は伸びてエルフのよう。臀部からはライオンのような猛々しさを思わせる黒い尻尾が出ている。
青い炎に焼かれながら私はぼんやりと考える、醜いアヒルの子のような話。醜いと馬鹿にされ仲間外れだった灰色のアヒルが成長したら美しい白鳥になる話。
じゅうじゅうとステーキのような音を立てる私の身体に燐が焦った表情を見せる。

「り、…わたし…」

「しえみは平気だったのに!何でだ!」

「わたし、りんと、いっしょ…」

「若君。その哀れな少女は悪魔の甘い囁きによって引き摺り込まれた悪魔落ちでございます」

じゅう。私の身体が焼けて炭になっていく。でも不思議と痛みも無いし怖くもない。これが燐の炎なら、私は其れを受け入れよう。暖かな燐の腕はどんな慰めの言葉より身体の中に染み入る安心感を与えてくれた。
燐の炎に焼かれて制服の下でどんどん炭化が進む身体に猫又が燐にその炎は私に良くない事を伝える。慌てて離れていこうとする身体に必死に縋りつき声にならない声で嫌だと駄々を捏ねる。
両親が死んで孤独だった中でずっと会いたかった燐に会えた。どうせ死ぬなら燐の腕の中で果てたいの。言葉はもう出ない。心の中で訴えると離れようとしていた身体の力が抜け、諦めたように優しく私の身体を抱き締め直してくれた。

「お前っ、本物の馬鹿だろ…!」

ぽたり。感覚の無い頬に何かが落ちる。遠くで聞こえる燐の声に緩やかに意識が揺らめくのを感じる。跳ねるように上がったり下がったりする意識、気を抜くと何処かに飛び立ってしまうような浮遊感。ああ、折角出会えたのに。この温もりをもう少し味わっていたいのに。
眠いよ、燐。物凄く、眠いの…。
青い視界の中で白くぼやけていく燐の薄い唇が四文字の言葉を象る。その声は、もう聞こえなかった。

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