どしゃり。私の身体は力無く床に倒れ込む。
下へ下へと潜り込む冷気のように私の身体の力も下へ下へと抜けていってしまう。

「どうやらあの悪魔は君に最低限の能力しか与えなかったみたいだな」

とん、と割れた窓ガラスの側にお行儀良く座っていた猫又が軽やかに床に降り立った。
尻尾をゆらゆらと揺らして力が抜けて動けない私の周りを探るように見て、私の正面に立つ。真っ暗なのに不思議と目は猫又の姿もはっきりと映し出していた。

「足から壊死していっている。記憶を得る為に連日能力を使ったから、身体が限界を迎えたんだろう。君はもう間もなく死ぬ」

死ぬ。そう言われてがつんと頭を鈍器で殴られるような衝撃が走る。
何とか身体を折り曲げて視線を足元に落とすと、ハイソックスを越えて膝辺りが真っ黒になっている。これが全身に回ったら、私は死ぬのだろうか。

突如、何かが発射される音と玄関の扉が蹴破られる音が聞こえた。その音に驚いた猫又は慌てて窓ガラスから去って行ってしまった。お別れの言葉すら交わせずに。薄情猫め、二つに分かれた尻尾の片方を食べてやろうか。
そんな事を考えている内に居間の扉が開かれ床に転がる私がライトで照らされる。どうやら入って来たのは一人のようだったが、眩しくてライトの先の人物が見えない。

「……名前、さん」

「……ゆき、お…」

フ、とライトが消えた為そろそろと視線を上げてみれば其処には黒いコートを身に纏い短身の銃を構えた雪男が其処に居た。
最後に会ったのは幼稚園の卒園式。正十字学園の入学式で代表で挨拶をした時はかなり驚いたが、きっと彼は私の事など覚えていないだろうと決めつけて接触はしなかった。

「……久しぶり」

「そんな悠長な事言ってる場合じゃない。足から物凄いスピードで壊死していってる…!」

雪男の手が最早感覚すら感じない私の足に触れたようだった。もういいの、諦めたように漏れた言葉にギロリと雪男が私を睨み付ける。

「何を諦めているんだ!最悪足は無くなるけど…今なら助かる…!」

「…違う。…ごめん、雪男、私…悪魔に…」

もう殆ど無い気力を振り絞って其れだけ言うと雪男には伝わったらしく目を大きく見開き、其れから辛そうに眉を寄せた。
たどたどしくもゆっくり、私がこうなった経緯と伝えた。両親が死んだ悲しみから悪魔に甘言に惑わされ悪魔落ちになった事、無くした記憶を取り戻す為に何度も能力を使っていたら身体がついていけずこうなってしまった事。一番最初に見た記憶は眼鏡を取られて泣いてる雪男を助ける記憶だった事も。
全て話し終えた頃には太股辺りまでの壊死が胸に達していた。腕を伝い首を越えて頭をやられれば私は死ぬ。痛みはない、怖くはない。でも、全身真っ黒なんて姿は雪男には見せたくなかった。

「…ゆきお…。たのみ、が」

「……何」

眼鏡に阻まれ雪男の表情は分からなかった。短く返って来た言葉は怒っているのか、悲しんでいるのか、呆れているのかすらも理解出来なかった。恐らく全部だろうけど。
殺して欲しい、と。全身が壊死する前に貴方の銃で頭を貫いて欲しい。そう頼めばとうとう雪男の顔がくしゃくしゃに歪んだ。

「…僕は。知っていました、貴女がこの学園に居る事も、貴女のご両親が亡くなった事も。でも、兄や目先の事ばかりに囚われて貴女を見ている事が出来なかった…!」

分かってるよ。もう舌も唇も動かないので死んだ瞳で訴える。
雪男は何よりも燐を尊敬して慕っていて…好きだった。兄が化け物と呼ばれ蔑まれようと、自分がいじめられようと弱音を吐く事は無かった。
そんな雪男を私も心の何処か奥で尊敬していたのかもしれない。何を言われても燐と雪男を守っていた理由が何となく分かった気がした。

立ち上がった雪男が眼鏡を上げて何も言わずに私のこめかみに銃口を押し当てた。
大丈夫、雪男は強い子だからきっと燐を守れるよ。
あの時の様な泣き虫雪男はもう居ない。だから私が居なくても大丈夫だよね。
…雪男。あまり背負い込まないでね。また会ったと思ったら悪魔になっていた私の事なんて忘れてもいいから。
だから、だから。
少しの間だけお別れしよう?

「ゆ、き…」

「あ、…がと…」

「……!」

雪男、有難うって言ったつもりなのだが彼には届いただろうか。その目で確認する前に私は強烈な眠気に襲われ、静かに目を閉じる。
雪男はいい子だからちゃんと頼みは聞いてくれる。遠くなる意識の奥から響く銃声に私はようやく笑えたのだった。

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テーマ「人外ファンタジー」
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