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いつもの様に麦藁帽子を被って手押し車を押す。とうもろこし、トマト、南瓜、茄子。夏野菜と呼ばれる類の野菜と牛乳、鶏卵を詰め込んで私は学園の敷地内を歩く。夏休みの真っ最中、生徒の殆どはまだ里帰り中の筈だが祓魔塾は別だ。先日の林間合宿から始まり実践訓練や強化授業を経て祓魔師の試験に挑む。らしい。
合宿であの青い炎を見た直後、情報処理が追い付かず意識を手離してしまった。再び目を覚ました時には全て終わっていた。医務室のベッドで寝込む私を無表情で見下ろしていたフェレス卿はあの炎が何なのか、青いメの彼―奥村燐―の正体、彼が何をして、どうなったのかを淡々と説明してくれた。
しかし私には話の半分も理解出来なかった。
魔神と藤本神父。取り敢えず父親が二人居るのは分かった。最終的に思ったより複雑な事情なのだなという憐憫の情を抱いた。其れだけだった。

回想をしている間に食堂に辿り着いた。樽に座って林檎をかじる赤髪の人も、うつ向く私に話し掛けてきた青いメの人も居なかった。いつもと変わらないのに、ぽっかり穴が空いたような虚無感だけが胸に残っている気分になる。何故だろう、本能で塾との関わり合いを拒否していたのに。あの時は溶けて暖かい心地好さを感じていた胸の奥は、生温い風が頬を撫でる度に徐々に冷えていった。
きっとフェレス卿はこれが狙いだったのだろう、あの無表情な顔の中で爛々と輝く瞳が剥き出しになった私の紅いメを見つめているのを見てようやく理解した。
私を塾に参加させ塾生と交流を通して情を移らせ、事件に巻き込んで…。私に祓魔師への関心を持たせ塾へ入れさせる。理由は分からないけど、フェレス卿は私を祓魔師にさせたいらしい。



出荷を終えて帰って来て数日。農作業に全く身が入らず両親に迷惑ばかりかけてしまう。草刈りの時も、牛や鶏の面倒を見ている時でも、田んぼの稲の具合を見ていても頭の何処かに必ず塾生の誰かが居る。今何をしているだろうか、合宿の一件から気まずくなっていないだろうか。そんな事が頭をよぎるとどうしようもなくフェレス卿、何なら赤髪の人や青いメの人、他の塾生達の顔が見たくなる。

紳士なのに道化なフェレス卿も
何処か私に甘い赤髪の人も
お兄さんが大切な眼鏡の先生も
口は悪いけど優しい三白眼の人も
人懐こい垂れ目の人も
場の雰囲気を和らげる坊主の人も
不器用な優しさを持つ眉毛の人も
ほわほわして天然なおかっぱの人も
無口を貫き通すパペットの人も
過酷な運命を背負う青いメの人も

私には個性が強すぎた。彼等は私の何もない心に強烈な印象を植え込み異常な早さで根を張り巡らせていく。
触れたら戻れなくなりそうで、此方においでと言われたら迷わず手を取ってしまいそうで、怖くて。
触れてもいいのだろうか。彼等はこの忌々しいメを受け入れてくれるだろうか。
もしも、皆が受け入れてくれるのであれば私もこのメから解放されて晴れてスタート地点に立てるような気がする。この真っ赤な眼球は私のものだと心から受け入れられる、これは一年前のあの日から初めて私が抱いた希望であった。


明くる日。夜も明けない内に私は旅行鞄二つと学園へと繋がる手袋を篏め、お気入りの麦藁帽子を目深く被って古ぼけた我が家の玄関に立っていた。
両親には山神様に会いに行くという書き置きと宝石が篏め込まれた首飾りを残して来た。首飾りはあの事件の後放蕩息子から送られてきたものだった。所謂口封じ、無言の圧力というもの。
私が魔障を受けた後も村人から陰口を叩かれながらも私の面倒を見てくれた大切な人達。いつの間にか私と同じようにこの紅いメに縛られていた両親を解放してあげたかった。
でも私は馬鹿だからこうするしか他に手が見つからなかった。嗚呼、黙って出て行くこの親不孝者を許して欲しい。

断られても死に物狂いで食らいついてやる。そう決意しながら私は住み慣れた家に別れを告げて玄関のドアを開ける。ドアの向こうには最早見慣れた学園の中庭。中央にある噴水の傍に、正装と言い張っては道化の様な格好をしたフェレス卿が立っていた。



「こんな夜中にうろついたらまた悪魔に襲われますよ」

ドアを潜って学園の敷地に入った私をフェレス卿は何も言わずに迎えた。パタリと扉を閉めるとその場に持っていた鞄を下ろして軽口を叩くフェレス卿に近付く。

「今回はフェレス卿に用事があって来ました」

「ほう。何事ですかな」

「私を塾に入れて下さい」

深々に頭を下げる。垂直になった上半身に麦藁帽子が重力に耐えきれず石畳の上へ落ちる。其れをフェレス卿が手袋を篏めた手で拾い上げる。その先は頭を下げている為分からない。

「お言葉だが、貴女は一年前村の村長の息子にとり憑いた悪魔に襲われてから殻に閉じ籠り歩みを止めた。一年経っても変わらず現実から目を背ける貴女に祓魔師になるには荷が重いだろうし、何より覚悟が足りない」

低く感情の無い絶対零度の言葉が私の全身に氷柱の如く突き刺さる。道化気取りでも其れなりに優しかったフェレス卿の面影は言葉だけを見れば何処にも居なかった。

「祓魔師は生半可な気持ちでなれるものではない。ごっこ遊びと勘違いしている覚悟の無いお子様は早急に帰りたまえ」

膝に添えた手を力強く握る。フェレス卿の言う事は確かに正しい。私の様なひ弱な人間では寧ろ祓魔師になれる事の方が奇跡に近いだろう。其れでも、可能性があるならば縋りたかった。私が前に進む為に。

「これが私の覚悟を示す証拠です」

そう言って私は顔を上げてフェレス卿に証拠を差し出す。其れを見たフェレス卿は――笑った。
最初は口元を押さえて。途中から肩を震わせ、最後には腹を抱えて笑った。いつかの赤髪の人のようだ、と呆れ顔で考えていたらコホンと咳払いをされた。どうやら笑いは一先ず引っ込んだらしい。

「失礼。ああ、可笑しくて可笑しくて。夜中にも関わらず笑ってしまいました」

「そうですか」
       ・・「しかし確かに其れは貴女の覚悟を示す最大の証拠。良いでしょう、祓魔塾への入門を許可します」

しかし、とピッと人差し指を立てて入門についての条件をつらつらと述べるフェレス卿。よく見るとご自慢のシルクハットに私の麦藁帽子をちょこんと乗せていた。アンバランスな其の組み合わせに、私は真面目な話の途中にも関わらず思わず吹き出してしまったのであった。

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