07

学園へと向かう足取りは重い。一ヶ月前の出荷の日にうっかり居眠りをしてしまった私はフェレス卿に捕まり無理矢理制服を着せられ祓魔師の塾へと行かされ、最後には元の服に着替える事すら許されず其の儘帰るよう促された。仕方なく手押し車に元々着ていた服を詰めた袋を詰め込み帰宅すると、私の制服姿を見た両親はほろほろと涙を流したのだった。

何処にも行かないで。一年前悪魔に襲われ出張所から駆け付けた祓魔師に保護された私に、両親は口を開くなりそう言った。何処にも、だなんて。悪魔に憑かれた放蕩息子があんなに怖くて震えが止まりなかったのに、可笑しくて私は笑ってしまった。私は生まれ育ったこの村以外に居場所なんかない。だから何処にも行かない。今までも、そしてこれからも。

何処にも行かないで。母さんと父さんを置いてかないでおくれ。涙を流しながら両親は一年前と殆ど同じ科白を口にした。ふわり、本を呼んでいるような感覚になる。私の事なのに、何処か他人事のように思える。両親が放つ言葉も私にではなく本の読み手へと訴える言葉の様に聞こえる。そう考えたらなんだか可笑しくて口元には自然と笑みが浮かぶ。可笑しくて、可笑しくて、滑稽で仕方なかった。

あのへんてこな塾にもスカートが短い制服にも赤髪の女の人にも、もう関わりたくなかった。私の頭の中の、奥の、そのまた奥で関わってはいけないとサイレンのような警鐘が鳴り響いている。
私の日常はへんてこ塾に通う彼等とは違うのだ。山と共に過ごし、恵みと試練を戴く。春は花と、夏は太陽と、秋は作物と、冬は風と。太陽がぐるりと回って朝と夜が来るように、私も田畑や動物達と毎日向き合わなくてはならない。

ぐだぐだとそんな事を考えていたせいで突然吹き荒れた風に此処と村を繋ぐ大切な手袋の片割れを飛ばされてしまった。慌てて手押し車を押しながら追い掛けるも手袋はやがてどっしりと構えた太い木の枝に引っ掛かってしまった。
ゆさりゆさりと幹を揺らすも太い身体はびくともしない。手袋はその辺に落ちている枝などでは取れない程高い所に引っ掛かっている。助けを求めたくても朝早い校舎には誰も居ないし、食堂のおばさんに頼んだって私が取れない物をおばさんが取れるわけない。其れに、おばさんの仕事の邪魔はしたくない。
これならもっとフェレス卿以外の教師とも挨拶だけでもしておけば良かった。普段の人見知りな性格故の範囲が狭い交友関係にひっそりと溜め息を吐いた。


「お前、前に塾に見学に来た奴だよな」

途方に暮れて地面から這い出ている木の根元に座ってぼんやりしていたせいで目の前に立つ人物の存在に気付かなかった。ハッとして相手を見上げると最初に目に入ってきたのは尖った耳と犬歯のような歯。直ぐに頭の中に悪魔に憑かれた放蕩息子がチラつき俯いて肩を竦めた。

「おい、大丈夫か?」

何も喋らない私に彼は具合が悪いと思ったのか膝を曲げて顔を覗き込んで来る。前髪の奥を見られたくなくて慌てて首を縦に振る。そーか、と言って彼は立ち上がった、と同時に私が制服姿ではない事に気付き首を捻る。此処の生徒じゃねぇのか、とかしえみと似たようなもんか、とか言っているが私にはよく分からないので聞き流していく。一応聞くだけ聞いてみようか。ちょっと怖そうな人だけど、こうして話し掛けてきてくれたのだし話だけなら聞いてくれるかもしれない。


「あの、」

「んあ?」

「木登りは得意ですか」


がさがさ、と枝が互いの身体を叩きあって音を立てる。少しの間の後ぽとりと私の手のひらに落ちて来たのは紛れも無く先程飛んで行ってしまった私の手袋。やっと家に帰って作業が出来る。ふう、と安堵の息を吐き出しながらするすると猿のように木から下りてきた彼に頭を下げて礼を言った。

「や、え、あー…気にすんな、困った時はお互い様だろ」

見た目は悪魔のように怖いけど、良い人だった。人は見掛けによらぬもの、いつか学校の教科書で見た慣用句を思い出した。

「これが無いと帰れないのでとても助かりました。良かったらどうぞ」

作物を卸した際にいつものおばさんから炊き込みご飯のおにぎりを分けていただいた。気持ちは嬉しいのだけど流石に三つは一人じゃ食べきれない。二つを両親への土産にしようと考えていたが、もうそろそろお昼休みの時間だろうし助けてもらった人のお昼ご飯となって午後からの授業の活力となってもらおう。おにぎりもきっとその方が嬉しいに違いない。
傍にある手押し車の中にあるビニール袋から一つずつ丁寧に笹の葉で包まれたおにぎりを二つ取り出し相手に差し出す。刹那、きらりと彼の瞳が煌めいたものの直ぐにうろうろとさ迷わせる。

「い、いや。お前の昼飯だろ?わりーよ、受け取れねぇ」

「食堂のおばさんから三つ戴いたんですが、私三つも食べられないので。貴方が二つ食べて下されば大変有難いのですが」

「そーか?し、仕方ねぇな!お前がそんなに言うなら食ってやる」

私の両手が軽くなった。仕方なくだからな!と言いつつでれでれと破顔しながら嬉しそうにおにぎりに抱える彼に自然と私の口元も綻んでしまう。さて帰ろうかと手押し車の元へ行こうとした私に彼はあー、と呟き私の腕を掴んだ。まだ何か用だろうか、と首を傾けて振り返ると唇を尖らせて何かを呟いている。

「何ですか」

「えっ、あー、あー、と…」

「……」

「…あー…」

「……」

なかなか本題を口にしようとしない。正直早く帰りたいのだが仕方なく何かを言い淀む彼の観察を始める。背は高い。でも太すぎるわけでも、細すぎるわけでもない。所謂普通の体型。男の人とはあまり面識が無いからよく分からない。髪は黒、肌の色はどちらかと言うと色白。瞳は。瞳は…。

「貴方のメ」

「あ?」

「貴方のメは青いですね」

唐突に目の話を持ち出され目の前の彼は少し戸惑っていた。でも良い、私は帰るから彼の感情や考え等はどうでもいい事となりつつあった。

「青は古来不吉なものとされ忌み嫌われていましたが、中世に入りマリア崇拝が始まった頃からそういった考えは減り始めました」

「え、あ、」

「青は"希望"の象徴。貴方のメは母なる海のよう。きっと優しい人なのですね」

手袋ありがとうございました。ぺこりと頭を下げて行きより軽くなった手押し車を引いてその場を後にする。彼はぽかんとした儘ぴくりとも動かない。でも良い、私が言った事は間違ってはいないのだから。久しぶりに知らない人と言葉を交わして自分の意見というものを言えた気がする。小さな達成感に胸を満たされながら私は彼が取ってくれた手袋を嵌めるのであった。

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -