06

最後の授業の終わりを告げる鐘が鳴る。教壇に立つ講師が授業の終わりを告げると塾生はまばらになって去って行く。終わったのなら早く帰ろう、ちらちらと感じる視線に気付かない振りをして立ち上がったものの、私の腕はフードの人に掴まれ其れ以上は動けなかった。

「来い」

私は引かれるが儘に教室を後にした。長い座学のせいで気付かなかったが夕方手前だった空は既に黒く日を落としてしまっていた。両親が心配していないか不安になりつつ腕を引かれ、漸く着いたのは長い廊下の一番端。壁や床が薄汚れている様子からあまり此方に人は来ないのだろう。


「覚えているか?」


ばさり。僅かな布擦れと共に暗い室内に焔のような真っ赤な髪が露になる。


「アタシを覚えているか?」


もう一度、目の前の人物は私に問う。燃えるような赤、私の視界を覆う赤、私を覗き込む赤、不安がる私を包む赤…。
覚えている。去年のあの日、私の村に来た祓魔師達に混じっていたやたらと肌を露出していた若い女性。



去年の夏、月が高く昇る位遅くまで勤しんだ小屋の草刈りの帰り道、私は突然誰かに襲われた。

この村を治める村長の、息子だった。

知恵者と呼ばれ信頼されていた村長とは真逆で、無類の酒好きに加え女癖も悪く何かあれば村長の息子という権力を使う息子は放蕩息子と呼ばれ村の人に忌み嫌われていた。月明かりに照らされ踊るように私を砂利だらけの道の真ん中で押し倒してきた放蕩息子は人間では無いように見えた。

結論を言うと私は無事だった。怪我もしていないし、今もこうやって何一つ不自由無く暮らしている。
放蕩息子は既に人の子ではなくなっていた。毎日権力に物を言わせ村人から酒を奪い、其れが誰かの妻であろうと若い女性であれば見境無く寝床に連れ込んでいた放蕩息子は徐々に精神を悪魔に蝕まれていたという。
そしてじわじわと彼の精神を侵していた悪魔が身体を乗っ取った日、自由な身体を得た悪魔は私を襲った。

「あの日…地方の出張所の様子を見に行っていたアタシもあの村に派遣され、お前への尋問を任された」

赤髪の人が淡々と紡ぐ言葉に合わせるかのように私の頭の中で抑えていた記憶が溢れ出てくる。そうだ、酷い錯乱状態にあった私に赤髪の人は落ち着くまで傍に居てくれたのだ。落ち着いても、思い出すのが怖くて赤髪の人の質問には一つも答える事が出来なかった。

「ヴァチカンの本部に帰った後、あらゆる文献を調べたが」

「単独で悪魔に襲われた一般人が無傷だったケースは一件たりとも無かった」

「祓魔師でもないお前が…どうやって悪魔を退けた?」

赤髪の人の問いによって不意にあの時の感覚が蘇ってくる。
月明かり。皮膚が捲れ醜悪な悪魔の顔が見える。耳元まで裂けた口からはこの世の物とは思えない雄叫び。剥き出しになった尖った歯。私は―――


「鎌」

「は?」


無意識の内にぼそりと呟いた単語を聞き取ったらしい、赤髪の人は一瞬眠たげにな瞳をぱちりと見開き面食らったような表情を浮かべる。

「最初見た時、悪魔だなんて思わなくて…その、山姥かと思って。…草刈りに使っていた鎌で斬りました」

小さい頃から両親が刷り込む様に私に言い聞かせていた「山姥」という子供を拐っては皮を剥ぎ肉を喰らう恐ろしい妖怪の存在。
刷り込みの成果か、あの時私は己の身体にのしかかるソレを山に入った放蕩息子の皮を剥ぎ被った「山姥」なのだと判断した。だから躊躇無く腕や胸元を浅く鎌で切り裂いたのだ。思わぬ獲物からの反撃に怯んだソレは私を襲うのを辞めて山へと逃げていったのであった。

「ふ、」

一通り説明し終えた私に赤髪の人は小さく噴き出した。最初は小さかった笑いは次第にぶるぶると肩を震わせ腹を抱えるまでに大きくなっていく。

「にゃはっ、成る程なぁ。…悪魔をヤマンバと…ねぇ。確かに一昔前のヤマンバメイクっつーのは悪魔に匹敵する位の恐ろしさだよなぁ」

一通り笑い終えた赤髪の人は目尻に溜まった涙を拭いながらけらけらと笑った。どうやら私が鎌で悪魔を追い払った事に笑っているらしかった。


「なら、そのメはソイツの返り血…ってとこか」

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