伊作の病気の進行はとても遅いようだった。検査入院をしていた一週間、特に変わったことはなく、ただ時折物忘れが酷くなるだけで他は元気だったらしい。 有効な治療法も見つからず、顔を合わせる度に「退院したい」と詰め寄る伊作に医者が折れ、伊作は今日から一週間、一時帰宅することになった。「あくまで一時的だからね。それと何か異常があったらすぐ連絡するんだよ」という言葉は俺に向けられたものだった。「伊作くん無理しがちだから」院長が笑う。 俺に言われるまで病院に行こうとすら思わなかった伊作であったが、今回検査やら何やらのおかげで一週間軟禁されたことによってどうやらそれに拍車がかかったらしい。院長には愛想よく挨拶をしていたが、タクシーで病院を去る間際に「もう二度と来るもんか」と恨めしそうに呟くのが聞こえた。 「だめだぞ、一時帰宅は一週間だぞ」 「わかってるよ」 ため息をついてタクシーの窓の外を眺める伊作の頬は、入院前より少しやつれて見える。 「ケータイも取り上げられてたんだよ。もうやることなくてさ、仕方ないからずっと国会の生中継を見てた。ここだけの話、日本はこのままだとヤバイね」 伊作は得意げに顎を上げてみせる。痩せはしたものの、原因不明の病に冒されているようには到底思えなかった。いつもの伊作だった。 地元の駅でタクシーを降り、そのまま立ち寄ったファミレスはお昼どきということもあり混んでいた。いつもなら二人で行っても四人席に通されることが多いのだが、今日はきっちり二人席に案内され、どことなく窮屈だ。 「とりあえず、明日から学校行くよ」 メニューを食い入るように見つめながら伊作が言った。 「大丈夫か?一日くらい休んだ方が…」 「いつも休んでたから大丈夫」 「はあ、」 「あー、味が濃いもの食べたい」 いきなり油分の多いものを食べると胃に悪いのではないか、と思ったが伊作の好きにさせることにした。俺も中学生の頃、足の骨折で入院したことがあるが、病院食には参った覚えがある。味が薄くて歯ごたえがなく、そして冷たい。食べた気がしないのだ。 結局ハンバーグを頼んでそれを嬉しそうに平らげた伊作であったが10分経たないうちにみるみると顔色が悪くなった。 「大丈夫かよ、救急車呼ぶか?」 「やめてくれ!胃がびっくりしてるだけだよ!これは胃もたれだ!」 やはりさっき注意しておくべきだったか。しかし伊作の言う通り、ただ胃の調子が悪いだけのようだったのでそのまましばらく様子を見て、腹痛が少し落ち着いた所を見計らって店を出た。 「まずいものを食べて生きていてもさ、『生きてる』って気がしないんだよね。やっぱり美味しいものを食べてそれでお腹が痛くなってこそ『生きてる』って感じがする」 自分で上手いことを言ったとでも思っているのだろうか、伊作が隣で得意げに言った。腹痛はかなり軽くなってきたらしい。 「でもお前も一応病人なんだからな、体には気をつけるんだぞ」 「はいはい」 15分ほど歩き、伊作の家の前に着いた。伊作が鞄の中を漁る姿を目の端で捉える。 「えーっと…鍵どこだっけ…」 「ほら見ろ。俺が注意してやってただろ。いつもいい加減に鞄に突っ込んでると必要なときに出てこないんだ」 きょとんとした伊作と目が合った。 「あれ?そんなこと注意されたっけ?」 「注意したろ、この間…」 こいつ、とぼけてるのか?と思ったがすぐに病気のことを思い出した。いたたまれなくなって目を逸らす。まだ、伊作の病気と向き合うことのできない自分がいる。 「お、あったあった」 そんな俺を尻目に、伊作は呑気に鍵を引っ張り出した。 「留三郎、上がってく?」 「いや、これからバイトだから」 「そう、じゃあまた明日ね」 「また明日」 ドアが閉まったことを確認して踵を返した。先程の伊作の呆けた顔が思い浮かんで、それを振り払うように足早になる。 こうやって思い出がじわじわと抜け落ちて行くのか。それを何もすることができずに見ているしかないのか。 足が重い。まるで泥濘を歩いているようだが体は何かから逃げるようにぐんぐんと風を切った。 「治療法が見つかるかもしれない」と伊作が言っていたが、今の俺には気休めにもならなかった。 110313 |