長編:「惚れ薬の作り方」のその後のお話です





三日前の特売で買って、ずっと冷蔵庫の奥でつぶれていたレタスの脇には、採れたてのプチトマトが転がっている。赤い実はツヤツヤで張りがあり、生命力の溢れるその姿は、隣の少し黒ずんだレタスとは対照的だった。
「このレタスも、瑞々しいうちに食べてもらいたかったんだろうよ」
レタスに憐れみの表情を向けながら、伊作が大袈裟に言った。「お前、このレタスが考えていることがわかるのかよ」と、以前の留三郎ならそう言ってからかうところだが、実際にそう言ってからかった所、「実はね、最近野菜の気持ちがわかるようになってきたんだよ」と伊作が神妙な面持ちで返してきたことがあるので、それ以来留三郎はからかうのをやめている。
返す言葉がなく、ただ黙って箸を進める留三郎を横目に、伊作はベランダに体を向けた。ベランダでは小さな家庭菜園が出来上がっており、今皿にのっているプチトマトも、窓からの視界を遮るように伸び続けるプチトマトの苗から取れたものだ。
「それにしてもすごいよな、冬でもこんな実がなるなんて」トマトというのは夏の野菜ではなかったか。
「本当は冬の寒さで成長はしないんだけどね。僕の栄養剤が効いているんだよ」
そう言って伊作は意味ありげに苗の根元に目をやった。そこには赤い色をした栄養剤が刺さっている。
 惚れ薬を作るのをやめると言った翌日から、伊作は何故だか野菜を育てることに目覚めたようだった。しかもただ野菜を栽培するのではなく、自家製の栄養剤を頻繁に使っている。そのおかげと言うべきか、本来冬には育たないはずの野菜もぐんぐん育っている。現に留三郎の座る位置からは立派なゴーヤが窓の外にある緑のカーテンからぶら下がっているのが見て取れた。
「野菜は今高いし、ありがたいんだけど、洗濯するとき邪魔なんだよな」
洗濯ものを干すときに伸びきった蔓をひっかけたり、たまに尋常ではないスピードで成長するので蔓がいつの間にか服に巻きついているのだ。
「まあ、うまく共存しないとねえ」
「野菜たちを伊作の部屋のベランダに置くってのはだめなのか?」
「だってこの部屋で食事をするならこの部屋のベランダで育てた方が面倒くさくなくていいだろう?」
決め付けたように伊作が言った。こうなるともう頑として意見を曲げない。
初めのうち、伊作は食事のときだけ留三郎の部屋を訪れていたが、慣れていくうちにしばらく留三郎の部屋で寛いでいることが多くなった。今となっては栄養剤を作るときと寝るとき以外はこの部屋で過ごしている。(変な半同棲生活だなあ)留三郎は改めてそう思う。
「よし、じゃあ野菜はそこに置いていいから洗濯は伊作の部屋でやろう。ということで明日からお前が洗濯係だ」
「えー、嫌だ嫌だ。あ、僕やることあるから部屋戻るね」
「おい、逃げんなっ」
手早く食器をまとめる伊作の肩を掴もうとしたが、留三郎の手は空を切った。伊作はそのまま素早い身のこなしで流しに食器を置き、逃げるように出ていった。
部屋に取り残された留三郎は、無言で皿に残っていたレタスを口に入れた。見た目どおり、水気がなく冷蔵庫臭い。しかし留三郎は顔をしかめながらも食べきった。「どんな野菜でも一つ一つ作った人の思いがこもっていて粗末にしてはいけない」という伊作の受け売りだ。


食器が擦れる音と水が流れる音、それとテレビの音がやけに耳に障った。いつもなら伊作がテレビの前に陣取って一人でツッコミを入れていたり、他愛ない話をしながら二人並んで食器洗いをしている所だが、今日はそれがない。人が一人いないだけでこんなにも静かになるのだな。と留三郎は感心したと同時に少し寂しくなった。

水を止め、引き出しから布巾を取り出して洗ったばかりの皿を拭く。テレビの音がより大きく聞こえた。昼前のワイドショーで、この間起こった爆発事件について司会者が熱心に解説している。とくに興味が沸かず、何も考えずにのろのろと皿を磨くように拭いていたら、隣の部屋から地を揺らすような大きな音が聞こえ、はっとわれに返った。
初めは爆発かと思い、伊作の実験が失敗したのだと早とちりして、すぐに玄関へと走り込んだ。しかしその音がまた、そしてベランダの方からしていることに気付き、急いで踵を返す。
「おい、どうした!?大丈夫か!?」
ベランダの窓を勢いよく開けると窓が頼りなさげにカタカタと軋む音をたてた。土埃が舞っている。留三郎は目を瞬かせながら音のした方に目を向け、唖然とした。
留三郎と伊作の部屋のベランダを隔てていたプラスチックの板に穴が開いている。そして向こうから顔を覗かせる伊作と目が合った。
「あ、うるさかった?ごめん」
伊作はニヤリと笑い、両手で持っている重そうな木槌を掲げてみせた。
「伊作、お前何やってんだ」
「壁を取っ払っている」
「それでか」
留三郎は禍々しいオーラを放つ木槌を指差した。
「これでだよ」
「管理人さんには言ったのか」
「そこまで考えてたらこんなことしないよ」
伊作は留三郎に気を遣ってか、木槌を置いて今度は穴の開いた部分を手で掴み、バリバリと音をたてて穴を広げ始めた。古いプラスチックはいとも簡単に伊作によって壊されて行く。
「これでベランダも広くなるよ」
伊作がプラスチックの破片で手を切らないかヒヤヒヤして見ていた留三郎だったが、繋がった広いベランダで伊作が野菜に水をやり、留三郎がせっせと洗濯ものを干しているところを想像したらなかなか良いものだということに気付いた。そしてその場にしゃがみこみ、なおも広がっていく穴に手をかける。
「あ、そこ尖ってるから気を付けて」
留三郎の行動に、伊作はさほど驚かずに手を休めずにベランダの壁を壊していく。留三郎はそれを間近で見て、留三郎と伊作との心の距離も、またさらに近づいたような気がした。




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