外では虫が涼しげな声で鳴いている。ふわりと撫でるような優しい夜風が髪を弄ぶのを感じながら、伊作は音を立てないようにすり鉢の中で薬草をすりつぶした。
衝立の向こうの彼は半時前に眠りについた。かすかに穏やかな寝息が聞こえ、伊作は安堵のため息を漏らす。ここの所、留三郎は悪夢にうなされていた。いつもの寝相の悪さに加え、聞いたことのないようなうなり声にぎょっとした伊作がたまらず覗きこむと、大量の冷や汗を浮かべて苦しむ姿があったのだ。
翌朝、うなされていたよ、と指摘しても、留三郎は「いつもの戦う夢だ」と言って伊作を軽くあしらうだけだった。顔にまだ疲れが残っているその様子から余裕は一切感じられず、隠すつもりならもっと上手く隠せよ。と心の中で文句を言った程である。
その日から、極力留三郎の安眠に貢献しようと夜中に臭いのきつい薬を煎じるのを控えたし、無駄な物音をたてないように努めた。今日、こうしてひっそりと薬の調合をしているのも、ついさっき思いついた、眠り成分の強い薬を作ろうと思ったからだ。(一番の理由は、ただ単に眠れないからだが)
音をたてないように薬草をすり潰すのは思っていたより難しく、力のいる作業だった。息を詰めて目の前のすり鉢とすりこぎに集中する。額にじわりとした汗の存在を感じ、手を止めて一息ついた。(駄目だ、全然はかどらない。でも明日には完成させたいしなあ)
先程は微塵も感じられなかった眠気が、伊作のすぐそばまできている。伊作は大きな欠伸をして、すり鉢を抱えたまま壁に寄り掛かった。
少しでも風通しを良くしようと開け放たれた戸から見える空は、墨を垂らしたかのような真っ黒な闇と、小さな光る粒が満遍なく散らばっている。毎日同じように夜が巡ってきて、毎日この星空を眺めているが、そのたびに伊作は息を飲み、圧倒されるのであった。
虫の遠慮がちな鳴き声以外に、他に物音はない。今日は、とても静かだ。

――留三郎の寝息が聞こえない
すぐさま振り返ると、衝立の上からこちらを見つめる双眸が闇に浮かんでいて、伊作は「ひっ」と声をあげて持っていたすり鉢を手から滑らせてしまった。「ごとり」と鈍い音がして粉にした薬草が舞い、周辺の畳に降りかかる。
「留三郎、起きているなら声をかけてくれよ」
声が上ずっていることが自分でもわかりながら、その瞳に訴える。返事はなく、ああ、寝ぼけているのだな。と伊作は察したが、それに反して留三郎の影はのそりと起き上がり、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてきた。月明かりに照らされた留三郎はいつも通りの姿で、床に入ってまだ半時だが、頭頂部に小さな寝ぐせをこさえていた。
「…眠れないの?」
「いや、悪夢を見た」
留三郎の言葉に、伊作は目を丸くした。この前はうなされていたことでさえ否定していたのに。そしていつもは感じることのない重く、息苦しい気配が留三郎の方から僅かに漂ってきていて、伊作は眉を潜めた。
隣にどかりと座ったその横顔をじっと見つめ、悪夢の内容を言うように促す。しかし留三郎の口は固く結ばれ、視線は虚空を捕えていた。
「どんな夢だったんだ?」
沈黙を貫く留三郎に痺れを切らせた伊作が問いかける。しかし、まるで伊作の声が届いてないかのように、留三郎はぴくりとも動かなかった。
「留三郎?」
伊作は留三郎がどこかへ行ってしまうような気がして焦りの色を浮かべながら、その腕を掴んだ。寝巻の裾越しに、逞しい腕が確かにそこに存在していて、一握りほどの安心感が生まれる。しかし彼の意識は、ここではないどこか別の場所に行っているようだった。その瞳は、夜空に劣ることのない闇を湛えていた。その闇が、じわりと滲む。
(留三郎が、泣いている)
突然のことに驚いて固まってしまった伊作の首に、留三郎の手が伸びた。そのまま無遠慮に首元を掴まれ、部屋の空気が一気に張り詰める。留三郎に絶大な信頼を寄せる伊作だったが、この時ばかりは「殺される」と覚悟した。

「お前が…お前が殺される夢を見た」
伊作の首を捕える手が震える。手から力が抜け、それでも弱弱しく掴もうとしている姿は、傍から見ると、留三郎が伊作に縋っているように見えた。
能面のように微動だにしなかった表情は崩れ、人間味を帯びた留三郎の様子に伊作は一先ず安堵し、首に繋がっている大きな手に触れる。
「大丈夫だよ、だって僕は――――」
「生きている」と言おうとしたが、何故だか言葉にならなかった。
「夢だったら、夢だったらよかったのに」
留三郎の悲痛な嘆きが、伊作を混乱させる。やめてくれ、そんな悲しい声を出さないでくれ。伊作が放った言葉はまたしても空気に溶け、ふさぎ込む留三郎の耳には入らない。
(だって、こうして触っていられるだろう)
触れた留三郎の肌はひんやりしてなめらかだった。その感触に伊作は満足し、目を閉じる。今の彼には自分が生きていようがいまいが、こうして留三郎に触れていられるだけで十分だった。



110926



(幻想的な、夢の中にいるような留伊:雅さん)
リクエストありがとうございました。
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