「今回のは自信作だから、ちょっとは味わって飲んでよ」

夕飯を済ませた俺たちは、伊作の部屋に移動した。部屋に入るなりすぐ、伊作は用意してあったグラスに惚れ薬を注ぎ込み俺に差し出す。
受け取りたくないというのが俺の率直な意見だが、受け取るしか道は残っていなかった。きっと受け取らなかったら、伊作は何らかの方法で復讐してくるだろう。たとえば俺の部屋に忍びこんで食べ物に毒を盛るとか。

今日の惚れ薬は透き通ったピンク色をしていた。昨日のあの泥水からよくここまで持ち直したな、と素直に感心したと同時に、色々な薬品が入っているのではないかと小さな不安が芽生える。

「大丈夫だってば。一応留三郎の体のことも気にして作ってるんだよ」

伊作がまるで俺の考えていることがわかっているかのように言った。それでも渋る俺を見て、小さくため息を漏らしながら続ける。

「昨日あんなに嫌がってたから飲みやすいようにしたんだよ」
「・・・。」

そこまで言われてしまったら、さすがに飲まなければいけない気がしてしまう。意を決してグラスに口を付け、ゆっくりと傾けた。惚れ薬もそれに従い、のろのろと重力のままにこちらへ流れてくる。そして薬が俺の唇に到達する一歩手前、玄関の方でガチャリと音がした。突然のその音に、二人揃って玄関の方へ目を向ける。グラスを持った手は下に降ろした。

長身の男がドアを開け、無言で突っ立っていた。片方の手にはスーパーの袋をぶらさげている。その体からは言い知れぬ威圧感が滲み出ていて、思わずのどが鳴った。

「ああ、長次」

固まる俺をよそに、伊作が親しみを込めた声色でその男の名を呼んだ。知人の家に来たとは到底思えないその出で立ちに、一瞬強盗かと思ってしまったが二人は知り合いのようだった。
長次と呼ばれたその男は、一度頷いた後、ゆっくりと丁寧な所作で靴を脱ぎ、これまた丁重に靴を並べた。その動作からは纏う雰囲気とは違い、穏やかそうな人格が垣間見れて、自然に肩の力が抜けた。

「留三郎、この人は長次って言って僕の友達。たまに食料を届けにきてくれるんだ」

「長次」が伊作の隣にきれいに正座をして小さく会釈をした。彼の頬にある大きな切り傷に目を奪われていた俺は、慌てて頭を下げる。

「いつもありがとう、長次」

伊作が礼を言いながらスーパー袋を受け取り、漁り始める。一番上に卵が乗っかっているのが見えた。そこでふと、壊滅状態だった伊作の冷蔵庫に新鮮な卵があったことを思い出した。そうか、この長次と言う男が届けていたのか。

卵以外はすべてインスタント食品だった。彼も、伊作の冷蔵庫がどんな有様か知っているのかもしれない。きっとこうやって差し入れをしていくうちに生鮮食品は駄目だと学んだのだろう。なぜまだ卵を与え続けるのかわからないが。

長次は伊作が嬉しそうに袋の中身を物色するのを見届けると、のそりと立ち上がった。それを袋に夢中だった伊作がすかさず呼びとめる。

「長次、これからは生ものも頼むよ。留三郎が僕の分の食事も作ってくれるんだ」

それを聞いた長次がゆっくりと瞳を俺に向けた。感情が窺えないその瞳に射抜かれ、わけもわからず愛想笑いをするが、長次の顔はピクリとも動かない。しかし敵意は感じなかった。
そこでふと、頭にひっかかるものがあった。長次の顔に見覚えがあるのだ。どこで会ったかはわからない。そもそも会ったことのある確証もない。ただ、ぼんやりと既視感だけが渦巻いていた。

そんな俺をよそに、長次は手短に伊作と別れの挨拶をした後、入ってきたときと同じペースで玄関へ向かい、丁寧に靴を履きこちらに一礼して部屋を後にした。類は友を呼ぶとはこのことを言うのだろうか。伊作に負けず劣らずアクの強い人物だった。

「なあ、今のやつと友達って言ってたけど一体どこで出会ったんだよ」

俺の周りにも個性の強い奴はいる。だが二人は極めて異質だった。少なくとも会ったら二度と忘れることができないような、そんな感じだ。そういう奴らの集会とやらがあるのだろうか。

「長次とは大学で知り合ったんだよ。まあ、僕は今休学中だけど」
「お前、大学行ってたのかよ」

意外な事実に、まるで頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。よく考えれば当たり前だ。伊作は俺と同い年で、大体その年齢だったら大学に行っているか、一足早く社会に出ているかのどっちかだ。しかし彼の作る「惚れ薬」と言う存在が現実離れしていて、それに伴い俺の中の伊作自身も常識とズレていた。今更「大学生でした」と普通なことを言われても、なかなかすんなりと飲み込めない。

「よし、実験の続きをしよう」

伊作が「待ちきれない」と言った様子で、目に見えてそわそわし始める。俺はまだ長次の存在が消化しきれなくて、色々と尽きない疑問を抱きながらも再びグラスを傾けた。
伊作も、普通の大学生のように寝坊をしたり、単位のことを心配したり、友達にノートを借りたりしていたのだろうか。変わり者とはいえ、初対面の俺を家に入れたりしたことから考えて(実験台目的だったが)人付き合いに不自由しないタイプだろう。
伊作はどんな大学生活を送っていたのだろうか。長次とはどのくらい仲が良かったのだろう。
ふいに、先ほどまでの長次に抱いていた感情がどす黒いものに変わった感じがした。少なくとも、長次は俺より伊作のことを知っているのだ。

ピンク色の液体が、俺の口の中に収まった。仄かに甘いが、やはり若干薬臭い。しかし昨日の泥味とは比べ物にならないほど改善している。

「どう?僕のことどう思う?」

飲み下して、伊作の顔をまじまじと見た。色々な記憶を反芻しても、自分の気持ちが良くわからない。しかし、長次の顔を思い出した途端に、伊作への感情が確かに色づいた気がした。

(俺はさっき、長次に対して嫉妬した・・・?)

出会って間もない、何の非もない青年に俺は黒くて醜い感情を抱いている。おそらく、俺の知らない伊作を知っていて、今なお近くにいることに関してだ。
実験台として長次を使わなかったのも、伊作が長次のことを大事にしていると考えれば納得がいく。それがさらに嫉妬の感情を煽りたてた。
ああ、そうか、俺は、

(伊作のことが好きなんだ)

「留三郎?大丈夫?」

何も言わない俺に、見兼ねた伊作は心配そうに顔色を窺ってきた。途端に脳がこれまでにないスピードで活動して、最善の出口を探しはじめる。

「あ、いや、えっと…何にも思わない。今回も失敗だったみたいだ」

これは惚れ薬のせいかもしれない。しかしそれでも伊作に対して「好きだ」と伝えるのは、抵抗があり、その上心のどこかでは「惚れ薬のせいではない」と主張する自分がいた。



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