「お待たせしました、カフェラテでございます」

落ち着いた雰囲気の店だ。朝早いのにも関わらず、出勤前のサラリーマンでほとんどの席が埋まっている。それなのに落ち着いていると感じることができるのは、微かに聞こえてくる心地の良いクラシックと、間接照明のように淡く店内を照らす天井の照明のお陰だろう。
俺は軽く会釈をしてカップを受け取り、ちょうど目に留まった窓際の席についた。

そして、無意識のうちに大きく深呼吸をする。コーヒー豆と、ほんのりとタバコの匂いが体中に広がった。

頭が少し混乱している。いや、動揺と言うべきだろうか。原因は仙蔵のあの言葉だ。俺が、その、隣人と付き合ってるとかなんとかいう、ハチャメチャな、
(落ち着け、落ち着け)
図星だとかそんな訳ではない。あり得ない。俺はいわゆる「そっち系」の人間でもないし、あの惚れ薬を使用したのに(失敗作だったが)あいつを見てドキドキしたとかもない。
(そうだ、あり得ない)
カフェラテを混ぜると表面に大きな渦が描かれた。妙に安心感の漂うそのグルグルを見ていると、次第に波立った感情も沈んで行くのがわかる。
(考えすぎだ)
自分にそう言い聞かせた途端、さっきまでの焦りや動揺の様な混乱がサッと引いて、冷水を浴びされたかのように目が覚めた。よく考えればわかることだ。しかし、俺はなぜこんなにも動揺してしまったのだろうか。

まだモヤモヤした気持ちが胸につっかえていたが、二十分程で喫茶店を出た。タバコの匂いが気になったからだ。これがなければ申し分のない店だったのに。今度来るときは禁煙席にしよう。ふいに、後日自分がまた、あの喫茶店を訪れている映像が頭の中に流れた。今よりも薄い装いで、髪も少し短い。俺がカフェラテを頼む隣で、ふんわりとした茶髪の男が、メニューと睨めっこをしている。

(だから、なんで伊作が隣に居るんだよ!)

頭の中の妄想を必死で消した。今日の俺は自分でもよくわからない。おかしい。
きっと疲れているのだ。正直、伊作に対して興味を持っている。しかしその興味というのはあくまで「好奇心」の類いで、異性間に生じるような興味ではないのだ。

部屋に帰っても、消化しきれないモヤモヤ感が体の奥にこびりついていて、居心地が悪い。真っ白のシャツに自転車とかに使う黒い油が付着したような心情だ。何をやっても取れない、こすると余計に広がってしまう。

はたして、こんな状態で伊作と普通に会話をすることができるのだろうか、という不安が頭をよぎったが、幸いなことに朝ご飯を食べ終えたであろう伊作の姿は俺の部屋から消えていた。
今朝使った二人分の食器が、洗われて元の場所に戻っている。

伊作がいないことにひとまず安堵して体の力が抜けた。一日一回の、「実験」に付き合わなければならないため、今日の夕方、あの男と会わなければならないが、まだ時間はある。ゆっくり頭の中を整理することができるだろう。

(ああ疲れた、まだこんな時間かよ…)

精々二人が座れる小ぶりのソファーに横になり、目を閉じる。伊作の部屋で見たソファーよりしっかりして、ふかふかだ。そうだ、あいつのソファーが、と思い出したときには睡魔に体のほとんどを支配されていて、俺は大人しくそれに従った。




「留三郎」

なんだよ、今寝たところなのに、と小言を言いながら目を開けると、俺の頭を悩ませている張本人の顔が目の前にあった。

「うわ、あ、なんだよ」

覗きこむ伊作から思いっきり体を離す。離しすぎて前のめりになり、ソファーから転げ落ちてしまった。伊作はそんな俺の醜態にまるで見向きもせずに不機嫌そうに眉間に皺を作った。

「なんだよじゃないよ。今何時だと思ってるんだよ、待ちくたびれた」

いや、さっき寝たところなんだけど、と返そうとしたが壁に掛けた時計を見て言葉を失った。もう約束の時間を、とうに過ぎている。

「悪い、ちょっと顔洗ったらすぐ行くから」

できるだけいつも通りに接しようと心がけたが、妙によそよそしくなった気がして、ちらりと伊作の顔を盗み見た。相変わらず不機嫌そうな顔をしてこちらを見ているだけで、こちらのちょっとした違いには気づいていないようだ。

「いや、まずご飯を食べようよ。食べ終わったら実験をしよう」

伊作から食事の提案とは珍しいと思い、思わず洗面所に向かおうとした足を止めて振り返る。(と言ってもまだ数回しか一緒に食事をしていないのだが)昨日と今日にかけて本来の時間通りに食事をしたお陰で、胃が正常に機能し始めたのだろうか。
伊作の体内事情はさておき、注文通り顔を洗ってから夕飯を作り始めた。何か食べたいものはないかと聞いても、何でもいいと言われたため、寝過して買い物に行っていないということもあり、冷蔵庫の余った食材を集めて炒飯を作ることにした。
作りながら、冷静に頭の中を整理する。伊作は今回もまたフライパンを操る俺の手元をじっくりと観察していた。集中しているようで、その口からは一言も漏れなかったのが有難かった。

(こいつに勘繰られると厄介そうだからな。意識するな「いつも通り」だ)

しばらくしないうちに夕飯は出来上がり、テーブルに出来立ての炒飯を並べ、二人揃って「いただきます」と、手を合わせた。テレビをつけ、二人きりの食卓に賑やかな音が溢れかえる。しかしいくら芸人が寒いジョークで会場を湧かせていても、二人の間には揺るぎない沈黙があった。この沈黙を居心地良く感じていた昨日が、遠い過去のようだ。伊作の方はリラックスしていて時折テレビを見ながら笑いもこぼれていた。それがせめてもの救いだ。

「…ところで伊作はこれからどうするんだ」

沈黙が苦しくて会話を作ろうと打開しての行動だったが、自分の口から出た陳腐な質問に、苦笑いが漏れる。

「え、これからって…?」
「もし惚れ薬が完成したら、どうするんだよ」

なにどうでも良い質問してんだ、と心の中で自分を責めた。責めたがそれとは裏腹に素直に疑問に思っている自分もいた。その感情がひしひしと表へ出ようともがいている。

「僕には惚れ薬を使いたい相手がいないから…とりあえず学会に発表して、賞をもらって高い値段で売ることにするよ。それから…タイムマシンでも作り始めようかな」

純粋に実験を楽しんでいる科学者の顔で伊作は微笑んだ。

「じゃあ、俺はお前から解放されるってことだな!!」

語尾が妙に上がってしまった。このわざとらしい声を聞いてもなお、伊作の表情に疑問が浮かぶことはなく、困った顔をして口角を上げた。

「そんな言い方しなくていいじゃん。まあそうだね、タイムマシンは一人でも作れるからね。惚れ薬が完成したら、留三郎はもう一生僕と関わることなく全うな人生を歩むことができると思うよ」

ああ、でもタイムマシンを作るのには物理学者とか建築家も必要か、と伊作がブツブツと呟く。その横で、俺は胸に小さな棘が刺さったような、気分の悪い何かを感じていた。伊作の言葉がずしりと俺にのしかかる。
俺は伊作に何と言ってほしかったのだろうか。



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