−痛い、イタイ。鋤を握った手が悲鳴をあげている。先程できたばかりのマメがぷつりと潰れた音が微かに体に響いた。
手が、痛い。しかし僕の手はしっかりと鋤を掴まえたままであったし、体はただ一心不乱に鋤を操り続けていた。
僕は今、庭に穴を掘っているのだ。
穴を掘ることが、こんなにも体力を消耗することだったということは今、身をもって知った。かれこれ一時間程、この作業を進めているが、穴は僕の膝小僧のあたりまでしか達していない。その上、土埃を吸ってしまい喉が痛い。

「伊作、何をしているんだ?」

ガサついた声が僕の名を呼んだ。その特徴的な声色に僕は後ろで僕の名を呼んだ人物がすぐにわかった。そして彼の声がこんなにがさついているのは日頃の穴掘り(彼曰く塹壕掘り)の影響によるものなのではないかと考えを巡らせる。

「穴を掘っているなら手伝うぞ」

返事もよこさずに突っ立ったままの僕を気にすることなく、声の主は目の前に回りこんでニカッと笑った。手にはいつの間にか苦無が握られている。

「ああ、ありがとう小平太。でも大丈夫だよ、僕一人の仕事だから」

「仕事」と呼んでいいものなのだろうか。正直言うと、僕はなぜ自分が穴掘りをしているのかわからなかった。思い出そうとする度に頭の奥が鈍く痛んで行く手を阻む。
そういえば、ついこの間伏木蔵が拾ってきた深手を負った小鳥が死んでしまったのだった。僕は多分、その小鳥のお墓を作っているのだ。いや、食堂のおばちゃんに頼まれて生ゴミを埋める穴を掘っているのだ。いや、違う。僕は、

「そうか。じゃあわたしはここを掘るぞ」

小平太の威勢の良い声が、僕を現実に引き戻した。
僕のすぐ隣で土が舞う。
小平太の、人間の仕業とは思えない苦無捌きに、乾いた土はなす術もなく身を任せるしかなかった。それは、深くなるにつれ水分を含み、質量を増した土にも言えることで、小平太の穴はあっという間に僕のより深くなってしまった。

「もぐらみたいだね」

思わずぽろりと零しても、すでに地中深くを自由自在に動き回っているであろう彼の耳には届くことは叶わず、この場に一人取り残された冷たい孤独感だけが残った。

(嫌だなあ、さっきまで一人だったじゃないか)

潰れたマメが、痛みを増す。手のひらが熱くなり、大げさに脈を打った。マメからじんわりと血が出てきているのだ。
そうしてやがてマメと共に皮膚が硬くなり、より穴掘りに適した手へと進化していく。

倉庫から借りた鋤を血で汚してしまったことに、僕は若干の罪悪感を覚えていた。彼は、あの用具委員長は、委員会の後輩達に血を見せることを酷く嫌っていた。
軟弱な考えだな、と誰かが言ったのを覚えている。確かにそうかもしれない。しかし僕はかえって彼の弱い部分を垣間見えたことによって彼に対する考えが変わったし、そこに惹かれさえしたのだ。

(ああ、この足音は、)

「噂をすれば影」、留三郎の規則正しい足音がこちらへと近づいてきている。僕のことを探しにきたのだろうか、そうだったらいいのだけど。
そんな生温かい僕の気持ちを知ってか知らずか、庭の奥の茂みからひょっこりと顔を出した留三郎は、穴の中に棒立ちになっている僕を確認すると少し顔を綻ばせた。

「伊作、何してんだ探したぞ」

一旦立ち止まり、また規則正しい音をたててこちらに歩み寄ってくる。不運な目にあっても、留三郎が僕を探して助け出してくれるだけで、僕は不運な出来事を忘れることができるのだ。その顔が、僕の握る鋤を目で捉えると腑に落ちないような顔になった。

「お前、穴を掘っていたのか?」
「そうだよ」

留三郎の眉間に、皺が寄る。僕の普段とは真逆の行動に、戸惑っているようだ。

「伊作ならそこらへんを歩けば、穴なんていくらでも作れるだろ」
「そうかもしれないね。よくわかんないけど」

あれ、なんかすごく失礼なことを言われた気がするぞ、と思わず首をかしげた。脳がゆっくりと動いて留三郎の言葉を反芻する。(いさくならそこらへんをあるけばあななんていくらでもつくれるだろ)

「血が出てるぞ」

留三郎が僕の手を引っ掴んで彼の目線近くまで上げた。先ほどまではあんなに鋤を捕らえて話さなかった手が、留三郎によっていとも簡単に剥がされる。久しぶりに触れた人の体温に、僕の心臓は大きく波打った。頭に血が上る感覚がして、掴まれていない方の手で自分の頬に触れてみる。とても、あつい。

「とりあえず、水で洗って消毒するぞ」

鋤を手放してから一気に疲れが体に降り注いだ気がして、僕は大人しく従うことにした。緊張が抜けたからだろうか。そもそも僕はなんで緊張していたのだろうか。なぜあそこに穴を、なぜ、なぜ。
疲れた脳では答えを導きだすことは不可能だった。
留三郎は僕の手を依然として離さない。黙って保健室の方へ足を進めている。僕は右手に留三郎の手、左手には鋤を握っていた。両手からはまだ血の流れる感覚がしている。留三郎の左手は真っ赤に汚れていた。言わずもがな、僕の血のせいだ。きっと汚れるから手を離してと懇願しても、彼のことだから離してはくれないだろう。こういうときは黙ってついて行くのが吉だ。

皮膚の固い、成長途中の青年らしい手が、マメの潰れた僕の手を包み込んでいる。
(ああそうだ、僕はこれが羨ましくて、)

「きみの手は、僕より大きくて、力強くて素敵だね」
「なんだ、唐突に」

怪訝そうな顔をして留三郎が振り返る。

「どうしたらそんな手になれるんだい?僕、頑張ったんだけど」

視線を留三郎に繋がれている自身の手へ落とした。骨と、少々の肉しかついていない軟弱な手だ。

「伊作は伊作だろ、お前はその手で人の命を救えるだろうが」

模範解答のような答えに、小さな笑みが零れる。きっと誰もが同じ言葉を僕に投げかけただろう。例えお世辞でも、「お前の手には、けが人を治すことができる」と。
しかし、なんとなくその言葉を他の誰でもない留三郎が言ってくれるだけで、僕は嬉しかった。意味は同じだけれど、何かが違うのだ。その「何か」とは、頭の最深部ではぼんやりとわかっている気がするが、言葉にできない。

「とりあえず、ありがとう、留三郎」
「とりあえずってなんだよ」

僕の言葉にすかさず反応する留三郎がおもしろい。
もう考えることはやめにした。生まれつき頭を使うことは苦手なのだ。

手が痛い。しかし血は止まったらしく、少し前までのじわじわと脈打つ感覚は消えていた。



110330


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