「俺はコレを飲まなければ殺されてしまう俺はコレを飲まなければ殺されてしまう俺はコレを飲まなければ殺されてしまう」
「嫌な飲み方するなあ」
「当たり前だろよく見てみろよ」

伊作の鼻先にグラスを突き付ける。透明でよく磨かれた清潔そうなグラスの中には、正反対のものが異常な存在感を放っていた。
底には茶色く濁った物体が沈澱しており、水面には小さな枝のようなものが浮かんでいる。泥水じゃねーかと漏らすと伊作がソファーに座りながら不服そうな顔をした。

「君、まさか惚れ薬はこんな色じゃない!桃色だ!とか思ってるの?」
「ちげえよ、これは明らかに人が飲んでいいもんじゃねえだろ」
「ちゃんと消毒してあるから大丈夫だよ」

そういうことじゃなくて、と続けようと口を開いたが、きりがないのでグッと息を飲み、恐る恐るグラスを口に近づける。
その様子を食い入るように見つめながら飲んだらすぐ僕を見てね、と伊作が小さな声で言った。

そう、この惚れ薬は、薬を飲んで最初に見た人物に惚れてしまうらしい。
効力は丸一日。しかし現段階の試作品は分量を調整して、もって30分程度らしい。

「飲むぞ」
ソファーから身を乗り出している伊作に告げ、ほんの少量をゆっくりと口に含んだ。湿った土の味が口いっぱいに広がり、思わず吐き出そうとしたがすんでのところで堪えて飲み下す。
見たままの泥のような味に辟易しながら伊作に目をやった。伊作もこちらを興味深そうに見つめている。しばらく無言で見つめ合ったが、伊作に対する心境の変化は感じなかった。
好きだなんて思わない。ただのおかしな科学者。

「…どう?」
「…いや、別になんとも思わないけど」
「そっか」

伊作は少し残念そうに眉尻を下げたがあまり気にしてない様子で、すぐに惚れ薬を入れた鍋を火にかけた。もっと煮込んだ方がいいのかも。と自分に言い聞かせるように呟いている。

それにしても、あんなまずい薬を実験が成功するまで延々と飲まなければいけないのか。しかも成功とはつまり俺が伊作に惚れるということである。30分程とはいえ、自分が男に惚れるなんて想像したくもない。

「なあ、お前は実験とはいえ男に惚れられるのとか嫌じゃないのかよ」

鍋を掻き回す伊作に問い掛ける。薬に集中していたのか、伊作は突然話しかけられてびっくりした様子でこちらを振り返った。鍋からは赤い煙が立ち上りはじめている。

「うーん、まあ良い気はしないけど仕方ないじゃん。異性は恋愛対象に入っちゃうから実験には向かないんだよ。好きになるわけないものを対象にしなきゃ。あ、君ホモじゃないよね?」
「んなわけねーだろ!ふざけんな!」
「そりゃあ良かった。あ、これからしばらく煮込むから今日はもう帰っていいよ。明日またこの時間に来てよ」

腕時計を見ると、もう時刻は夜の6時を回っていた。タイミング良く腹の虫が鳴り、そういえば今日はろくに食事をしていないことを思い出した。
さっきまでの嫌な出来事は忘れて、美味しい料理を作ろうと自分を奮い立たせる。
伊作に一言言ってこの場を後にしようと思ったが、その一言が思いつかず鍋を操るその背中をしばらくじっと見つめた。

(…細い…)

薄手のニットの上からでもわかる程、伊作の体は細く頼りない。そういえばさっきドラ焼きを見て二日間食事してないとか言っていたような。
これ以上面倒なことはごめんだと思う反面、俺の根っからの世話好きの性がうずうずと良心を刺激している。

「…伊作」
「なに?まだいたの?」
「どうせ夕飯食べないんだろ、俺が作ってやるから来いよ」

伊作はこちらを振り返ったまま、ピクリとも動かない。理解できないといった様子で大きな目は宙を捕らえていた。

「え…いいの?」
「ああ」




伊作の冷蔵庫には賞味期限切れのもので溢れ返っていたが、たまにまだ食べれるものが掘り出され、それを俺の家に持ち帰った。
俺の部屋を見渡し、伊作が感嘆の声を上げる。

「うわ、君の部屋って僕の部屋より大きいんじゃない?」
「いや、同じだと思うけど」

そりゃ実験器具や薬に四方を囲まれて生活していたら段ボールくらいしかない俺の部屋は広く見えるだろう。
あんなにものが溢れてたらいらないものもたくさんありそうだ。

何故か伊作の冷蔵庫には新鮮な卵があったので、オムライスを作ることにした。まだ家具を整理していない為、テーブル代わりに段ボールの上に料理を並べる。そしてその周りに座布団を置いた。

「こんなまともな料理久しぶりだよ」

お行儀良く座布団の上に正座し、小さく合掌していただきますと唱えた伊作が食べながら口を開いた。

「ちゃんと食わねえと体壊すぞ」
「なんか忘れちゃうんだよね」
「…じゃあ俺が作ってやるよ」
「えっいいの?」

自分でも何故こんなことを提案したかわからない。心の奥ではひどく驚いている自分がいた。

「あ、でも僕、お腹空いたこと自体忘れちゃっていつ食事すれば良いかわからないから…」
「…。」
「…時間になったら呼んでよ」
「お前なあ」

大袈裟にため息をついて呆れた素振りをすると、伊作は申し訳なさそうに身を縮こませ、へにゃりと笑った。
仕方ない、とまた一つ小さため息をついた。
どうやら人間として最低限必要な機能が欠如しているようだ。

「わかったよ。そのかわり、お前にもやってもらうことがある」
「えっ何?」
「さっきから俺のこと『君』って呼んでたよな。なんか嫌だから名前で呼んでくれ。食満か留三郎で」
「あ、わかった」

それからしばらくお互い無言でスプーンを口に運んだ。物音は僅かに食器とスプーンが擦れる音しかしていない。しかし良い沈黙だと思った。居心地は決して悪くない。
他人と二人きりでこんな穏やかな雰囲気を感じたのは久しぶりのことで、会って間もないのに(ましてや人体実験の道具にされているというのに)不思議な話である。

「ふーっご馳走さま、すごく美味しかったよ。ありがとう、留三郎」

お腹を摩りながら伊作が笑う。
初めて見る屈託のない笑顔だった。


→4

110211

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