−別に、今日という日を、この大きなイベントを忘れていたわけではない。むしろ楽しみで楽しみで、バイトが終わったら予約していたケーキを買ってあいつの待つ部屋に帰ろうとか思って柄にもなく一人ウキウキしながら仕事をしていたのに−

本当なら今、留三郎は暖かい部屋で伊作と並んで伊作の作った料理と二週間前から予約していたケーキに舌鼓を打っているはずであった。少なくとも、留三郎の頭の中では。
しかし現実はそれとは全く掛け離れたものであった。留三郎は今、暖かい部屋ではなく、冷たい風が吹きすさぶ街を、全速力で駆けている。予約したケーキを取りに行こうか迷ったが、ケーキを持ったままでは走れないと思い、手ぶらだ。
留三郎は忘れていた。自分がクリスマスに浮かれているように、世間も浮かれているということを。
お蔭さまでバイト先のレストランは親子連れからカップルまで押し寄せ大繁盛、完全に上がるタイミングを逃してしまった留三郎は、結局2時間残業することになった。
仕事が終わった直後、ケータイを確認したら伊作から5件の着信が入っていた。家に帰る予定だった時間から15分後に1件、それから3件、10分置きに立て続けに入っている。最後の1件はその20分後で、現在の時刻からちょうど1時間前のことだ。それ以来、着信はパッタリと途絶えていて、伊作の無言の怒りが、こちらに伝わってくるような気がした。

(怒ってるよな。約束の時間からもう2時間経ってるもんな)

日頃から温厚だと認識されている伊作だが、留三郎の前ではほんの少し短気でワガママだ。その態度に、本当は嫌われているのではないか悩み、仙蔵に相談したこともある。あいつ曰く「心を開いて、甘えている証拠」らしいが。
とにかくこの大遅刻に伊作が怒らないわけがなかった。

(ごめん、本当にごめん。伊作)

マンションのエントランスが視界に入り、そのスピードを上げる。そのまま一気に突っ走り、その勢いで階段を駆け上った。長らく冷気を吸い込みすぎたせいで、喉がちくりと痛み、小さな咳が漏れる。足も次第に動かなくなってきた。ただ、伊作への自責の念が留三郎を動かせていた。

「はあっ…」

マンションの4階に二人の部屋があった。ドアの横に「405 食満」と手書きの表札が貼ってある。伊作宛の郵便物が届かないぞ、と「食満・善法寺」と表記することを勧めたが伊作は首を横に振るだけだった。「それじゃあ何か違う」らしい。

息を乱しながら留三郎はやっとのことでドアの前に到着し、深呼吸する。自分の鼓動が頭に響いてうるさかった。少し息を整えドアノブを引くと、いとも簡単に扉が開いた。てっきり鍵を閉めた上にチェーンロックという二段構えを覚悟していたので、拍子抜けて、ドアノブを掴んだまま、しばらくその場で固まってしまう。
恐る恐る玄関に足を忍ばせ、中の様子を窺った。真っ暗で人の気配がない。ただ、伊作の靴が一式揃えて置いてあったので、どうやら中にはいるようだ。

「た、ただいま」

留三郎はとりあえず靴を脱いで家に上がり、目を凝らした。玄関に上がってまっすぐ進んだ奥にリビングがあり、二人の憩いの場となっている。
そのドアを開け、電気を付けて目に飛び込んできた「憩いの場」の惨状に、留三郎は愕然とした。

色々なものが「崩壊」していた。二人で買ったクリスマスツリーは倒され、土がフローリングを無遠慮に汚している。ローテーブルがひっくり返り、上に置いてあっただろうマグが割れてココアのようなものが零れている。電話も時計も、元あった場所からはかけ離れた場所に転がっていた。カーペットもぐちゃぐちゃに丸められて部屋の隅に無造作に置いてある。とにかく、まるでちょっとした台風が通り過ぎたようなこの部屋の有り様に、留三郎はただ呆然と口を開けるしかなかった。

「なんだ、コレ…」

きっと、いや明らかに伊作がここで暴れたのだろう。いくら電話しても待ち人は出てくれなかったのだ。この惨状からそのときの伊作の心情が窺えて、部屋を荒らされたことに対しての怒りよりも、留三郎の良心の方がチクリと痛んだ。

(寂しかった…んだな)

部屋の隅の赤いソファーの上に、毛布に包まれた何かが乗っていた。表面が僅かに上下している。留三郎がそっと手を伸ばし毛布の端をずらすと、茶色く柔らかそうな髪の毛が出てきた。

「いさく」

さらに毛布を広げると、固く目を閉じた伊作の顔が現れた。その頬にはうっすらと涙の跡が見て取れる。
散々泣いて喚いて暴れて、結局は疲れて寝てしまったのだろうか。

「ごめんな、伊作」

恋人の疲れた寝顔に留三郎はとても参っていた。最近はバイト三昧で、やっとクリスマスに二人で過ごせる時間ができたのに自分は何て馬鹿だったのだろうと、留三郎は過去の自分を悔やむ。
毛布ごと伊作をぎゅうぎゅうと抱きしめると腕の中の伊作が苦しそうに身じろぎした。その顔を覗きこむと猫のように緩く吊り上がった瞳と目が合った。

「伊作!」
「…。」
「あ、んと…遅くなってごめん…」

伊作の目は腫れていて、痛々しかった。思わず顔をしかめてしまう。

「…もうスッキリしたから、いいよ」
「そうか…」
「それより、僕もごめん。留三郎とお揃いのマグ、割っちゃったよ」

伊作の視線がローテーブルの近くで無残に砕け散っているマグに向く。あれは確か、付き合って初めて買ったお揃いのマグカップだった。少し悲しくなったが、留三郎にはそんなこと口に出せる義理がなかったので、ぎゅっと唇を噛んだ。

「いや、いいんだ、新しいの買おう」
「うん…」
「よし、じゃあ予約したケーキ買ってくる」

とにかく一刻も早くこの重い空気を変えてクリスマスパーティーを開始したかった留三郎はくるりと踵を返して玄関に向かおうとした。その手を伊作が掴む。

「留三郎、僕も行く」

伊作がのそのそと丸まった毛布からはい出て素早くコートを羽織る。「もう準備できたよ」と笑う伊作の目尻と鼻がほんのり赤く染まっていて、留三郎は泣きそうになった。

「留三郎、何て顔してるんだよ」
「いや、ごめんな、本当にごめん」
「だからもういいよ。許したから」

グズりそうになっている留三郎の手を伊作が引き、靴を履いて玄関のドアを開ける。開けた途端キラキラと輝く街のイルミネーションが目の前に広がっていて、二人揃って感嘆の声を漏らした。

「あ、そうだ留三郎」
「なんだ?」
「クリスマスおめでとう」

伊作の屈託のない笑みに留三郎はまた思わず「こんなに待たせてごめん」と詫びそうになり、慌てて口をつぐんだ。
二人のクリスマスが、ようやく始まろうとしていた。





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