強い花の香りがした。それは僕の好きな、ふわりと軽く香るような類のものではなく、もっと攻撃的で鼻につくものだった。思わず手の甲で鼻を押さえる。
気が付けば、一面を白い花で覆われた花畑のような場所にいた。はて、学園の近くにこのような場所はあっただろうかと頭をひねるが、僕の記憶の中にはこの場所は存在していなかった。
空を仰ぐと、空全体がオレンジがかっていて、表面が虹色に輝いている。この世のものとは到底思えないその光景に、思わず息を飲む。
そうだ、ここはこの世ではないのだ。と、不確かな自信がどこからか湧いてきた。この世ではないというより、夢の中と言い換えた方がいいかもしれない。思わずこんなことを思ってしまうくらい、現実離れしていたのだ。

改めて辺りを見回してみる。花畑は延々と広がっていて果てが見えない。オレンジの空は夕焼けのように柔らかく僕を包んでくれている。桃源郷のような美しい光景だったが、ここに存在するのはこの二つと僕だけで、他に生命の気配は感じられなかった。
急に、体の芯に隙間風が吹いたような心寂しさを感じて、とりあえず歩を進めることにした。僕が足を運ぶ度に小振りな白い花が揺れる。この花は何度も見た気がするが名前が思い出せない。薬や毒となる植物以外はあまり詳しくないのだ。

初めは鼻についた白い花の香りも、体が慣れたのか気にならなくなった。それよりも、さっきから歩を進めど景色が全く変わらないことに参っていた。非日常な空間に閉じ込められて、とても居心地が悪く息苦しい。
夢であるならば早く覚めてほしいと思った矢先、遠くの方で影が揺れた。遠目で小さい子供であるとわかった。子供とはいえ、自分とは違うもう一人の人間の存在にひどく安堵し、足を早めて近づいた。

僕の草を踏み倒す物音に気付いたのか、先程までそっぽを向いていた子供がこちらを振り返った。その顔に、思わず声が出る。

「留三郎!?」

鋭い目に、訝しむような表情。顔のパーツの配置も全部留三郎そのものだった。1年生くらいだろうか、頬の肉付きがよくまだ内面からあどけなさが滲み出ている。
小さな留三郎は僕の突然の登場に驚いた様子で、警戒心を露わにし、じわりと後退した。なんとか警戒を解きたくて自ら名乗ろうと思ったが、それでは余計に混乱させてしまう可能性が高いので、やめておく。どうするべきか迷っている僕に痺れを切らしたのか、留三郎がその小さな口を開いた。

「い、伊作には言わないでください」

子供らしい、高い声だった。そういえば留三郎にもこんなかわいらしい時期もあったのかと改めて実感する。敬語も初々しい。それよりも留三郎の口から出た自分の名に、小さな疑問が浮かび上がった。当時の僕に何か隠し事をしているのだろうか。
よく見てみると、留三郎の両手にはピンク色の小さな花束が握られていた。そこらじゅうに生えている白い花とは色が違うだけで形は同じだった。目を凝らして周りをみると、白い花畑の中に少しだけピンク色の花が生えている場所がところどころある。

「大丈夫、言わないよ。君はここで何してるの?」
「プレゼントを…」
「あ、この花束を『伊作くん』にあげるのか」

留三郎が若干頬を赤らめコクリと頷いた。その行動がとてもかわいらしくて、思わず声をあげて感激しそうになった。
どうやらこの世界の僕は純粋に愛されているらしい。五年後の留三郎にも見せてやりたいくらいだ。なんだか気分が良くなって、自分が五年後の伊作であると教えたい気持ちになった。やはり混乱してしまうだろうか。嘘だ。と笑い飛ばすだろうか。

「僕、その『伊作くん』に似てない?」
「え、何言ってるんですか?伊作はもっとかわいいですよ」
「あっそう」

どうやら後者の部類に入るらしい。留三郎は「なに言ってんだコイツ」と言わんばかりのバカにしたような目をして僕を見た。なるほどこの目は昔から健在だったようだ。五年経った今でもたまにこんな顔をする。すると突然目の前の幼い留三郎と今の留三郎が重なった気がした。思わず頬に手が伸びる。僕の手は留三郎の頬を思いきりつねった。

「いひゃひゃひゃ!!」
「あ、ごめん、つい」

手を離すと頬を赤くした留三郎がそこをさすりながら恨めしそうな目で見上げていた。愛想笑いも通じないようで一歩後ずさる。

「僕、もう学園に帰ります」

ギロリと睨まれる。元来から目つきが良い方ではなかったので小さいといえど迫力満点だ。

「ごめんってば待ってよ」

むこうを向いて走り出そうとしていた留三郎だったが、またくるりとこちらに向き直った。何か気になることがあるようで、顔から怒りの表情が消え、無表情で僕に目を向けた。

「そういえば、なんで僕の名前知ってたんですか?」
「…それは…」

言葉が出ない。続く言葉を考えてなかったせいもあるがそれ以上にとても息苦しかった。胸の辺りが重くてまともに息が出来ない。もがく僕を留三郎は不思議そうに見つめていた。

「っ…かはっ…!」

意識が遠退いて周りの風景がぐちゃぐちゃになった。体が沈むような感覚がして目の前が真っ暗になる。


突如鼻に酒の匂いが広がった。目を開けると自室の天井が見える。ああ、アレはやはり夢だったのかと頭の片隅でつぶやいた。
気がつくと首もとには誰かの熱い息がかかっている。背には柔らかい布団の感触がして何者かが僕に覆いかぶさっている。
そこで脳が一気に覚醒した。

「留三郎、どいてよ!」

ジタバタと抵抗すると体にのしかかる人物がむくりと起き上がった。なんだかひどく懐かしく思える。先程の彼より頬の肉がごっそり落ちていて確かに凛々しくなってはいるが、酒を飲んだようで顔に力が入っていなく、へらへらしている。

「こへいたとのんできたんだ…ヒック」
「うわあ…お酒くさい…」

さっきのかわいらしい留三郎はどこへ行ってしまったんだ、と悪態をつく僕を尻目に留三郎はのそのそと僕の布団に侵入してきた。よく見ると忍装束のままで、ところどころ泥がついている。顔が引き攣るのが自分でもわかったが、放っておくことにした。前に一度、やはり留三郎が酔っ払って自分の布団に入ってきたとき、装束を脱がせたら変な気を起こさせてしまったようで最後まで及んでしまった経験があるのだ。

「あ、そうだ。おみやげ」

留三郎が胸元をゴソゴソ漁って『おみやげ』をお披露目する。まずは小石2つと木の枝、筆(「七松」と書いてある)、それからピンク色の花。
体に小さな衝撃が走った。

「留三郎、これ…」
「ヒック…やるよ」

花を差し出す留三郎の顔は真っ赤だ。(酔っ払ってるせいだけど。)
受け取る手が震える。

「…ありがとう」
「…、ヒック」

五年前の留三郎はちゃんと僕に花を渡せたのだろうか。残念ながら昔の記憶があいまいで花のことは覚えていない。ずっと昔の小さな彼らの幸せを願って、僕は酒くさい彼とともに眠りについた。







101202



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