濃密な桜のにほゐに埋もれ
「――いいか」
地を這うように低い、けれどどこか艶を含んだ声には、何故か感情が含まれていなかった。質問のような、そうでないような、曖昧な言葉。同意、だったのかもしれない。
そうして、言葉の意味をよく考えないまま振り返った。――今から思えば、考えても考えなくても同じだったのだろう。どう答えた所で、彼はこの行動を止めなかっただろうから。
突然掴まれた手首。彼の手は血が巡り過ぎたように熱かった。
「わ、か」
畳ではなく、その上に敷いた主の布団の柔らかい感触。それに押し倒されて、組み敷かれて、頭の中には疑問と驚愕だけが残る。それ以外は真紅の瞳に奪われてしまったらしく、ただ訳が分からないという風に彼を見上げることしか出来なかった。
何だろう、と思う。何が起こっているのだろう。のしかかる体重は暖かく、夢ではないかと思った。こんなに近くていい筈がない。主と側近はもっとずっと遠くて、冷たい距離に在るべきだ。
こんな距離は、熱すぎる。
「……いいか」
もう一度、同じ問いかけ。
今度はゆっくりと、その言葉が示す行為が意識に染み込んでいく。疑問と驚愕以外にも、羞恥や困惑が飛び出してきた。壁を越えることの意味を、妙に冷静な頭が理解する。
「……っ!」
身体中の熱という熱が、顔に集まってしまうようだった。押さえ付けられた手首には血が届けられていないのか、真逆に暖かい彼の体温を焼けるように熱く感じてしまう。
首を思いきり横に振った。越えてはいけない。越えるべきではない。沸騰してしまった脳味噌で、それでもその直感に従った。溺れてしまう方が楽だろうと、そう思わなかったこともないけれど。
だから痛みを堪えるように彼の眉が寄せられた時、思わず彼の名を呼んでいた。その音は自身で思っていたよりずっと甘く響き、空気を切なげに震わせる。
見たくない。そんな顔は。
理性がなにか、邪魔なもののように思えてくる。いらないんじゃないのか。彼を哀しませてしまうようなものなら、飛ばしてしまっていいんじゃないか。
手を握りしめる。この手首を離して下さったなら、貴方を抱きしめたのに。大切に思えた壁が、彼の表情ひとつでこんなにも簡単に崩れてしまった。葛藤なんてするまでもなく、既に彼へ溺れていたのだということに、今さら気付く。
「……リクオ様、大好きです」
大きく開かれた目は少しだけ昼の眼差しに似て幼く可愛らしく、自ずと笑みが溢れた。
「だから――同じくらい、愛して下さい」
噛みつくように重ねられた唇には、愛情や欲望や、ほんの少しの罪悪が混ざっていて、何故だか少し泣きたくなった。