宵桜に我が言葉は消えたり
彼女が差し出した、小さな蓮の華を象ったもの。硝子のように透き通り、美しく月に煌めくそれを大事そうに白い両手で包み、雪女はふわりと笑った。
「綺麗でしょう? 氷で作ったんです」
見事だ、と言わずにはいられなかった。花弁一枚一枚が薄く儚いが故か、それらがしなやかに寄り添う姿は、まだ見ぬ極楽の華を思わせる。さぞ時間がかかっただろうに。今更ながら彼女の器用さと根気強さに感心する。
「昨夜は暑かったので、少しでもと思いまして。どうぞ、若」
更に近づいた華を見つめて、少し考えた。この華は氷の華である。昨夜に引き続き蒸し暑いこの空気の中でこうして咲いていられるのは、雪女である彼女が持っているからであって。
もったいないだろうと思った。折角、美しいのに。髪にでも飾ったらいいのではないか。艶のある黒髪に、きっと蓮華はよく似合う。そう言えば彼女は困ったような、怒ったような、なんとも言えない顔をした。
「……若の為にと、作ったものですから。それに」
冷たい指に手が絡め取られ、強引ながらも優しく、手の平を開かされた。彼女と比べれば随分無骨な手に、華が咲く。
「氷は少しとけている方が、綺麗なんですよ」
熱を吸うように、氷の表面がなめらかに潤んだ。毅然とした冷気が消え、先よりも強く鮮烈に、けれど柔らかく光を跳ね返す。そうか、何か見覚えがあると思った。
この美しい女に似ているのだ。取り巻く空気や、言葉では表せない何かが。
「――綺麗な妖だよな、雪女ってのは」
彼女の反応はといえば、真っ赤になったり、言葉を探してみたり、しかめっ面になったりと忙しい。けれど最後は、我慢ならないとでも言うように袖で顔を隠してしまった。それを残念だと思う自分がいる。なんとも単純なものだ。
手首の辺りを掴んで顔を覗き込めば、可笑しいほど慌てた反応が返ってくる。それが愛しくて仕方がない。間近で見た瞳と肌が血を滾らせているのか、とにかく冷静な思考が消えてしまっているのは確かだった。その証拠に、あの氷の華は影も形もなく溶けてしまっている。
彼女が何事かを呟く。聞こえないと耳を寄せれば、彼女は一層首を縮めた。
「雪女は、殿方を誑かす妖怪ですから」
なるほどそうかもしれない。だから、こんなにも熱いのか。そんな衝動から溢した言葉を、一陣の風音が吹き飛ばした。
それは慈悲なのか、はたまた説教なのか。狂い咲きの桜を、風は叫ぶようにざわめかせた。