今日はもし人もや我を思ひ出づる




 彼女は花だ。僕はそう思う。

 立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。日本には古来からそうした女性が多く生きていたのだろうか。現代の感覚では到底追いつけないような瑞々しい感性を、彼らは当然のように身につけていたらしい。富んだ者の小さな箱庭には儚い風情が、働く者の大地には純朴な生命力が。それは季節を楽しむのに充分過ぎるほど、鮮烈に溢れていたに違いない。

『拝啓 リクオ様』

 文箱の中の一つに目を止めて、拾い上げる。気づくか気づかないかくらいの薄さで桜色に染められた紙。初めは目の錯覚かと思ったほどだ。その上に整った文字が流れるように綴られていた。名は体を表すと言うが、もしかすると字も同じなのではないだろうか。紙上の字は洗練され、美しいとすら言える。

 彼女の美しさは儚く淡く、それでいて芯の強い優しさを纏っている。それに幾度も見とれていたことを、きっと彼女は知らない。もちろん気づかせるつもりもないけれど。
 ――彼女の雰囲気は雪にも桜にも似ていた。笑顔を見ると、心踊るような、懐かしいような、なんとも言えない気持ちになる。そして次の瞬間には消えてしまうような、言い様の無い不安だけが残るのだ。

 花は綺麗だ。彼女も綺麗だ。
 花はただ尽くしてくれる。彼女もまた、見返りの無い愛をくれる。
 花は、刹那に散る。彼女は――どうだろう。

 若次第です、と。そう言ったのは誰だったか。なんにせよその言葉は頭に深く浸透し、解決法を見つけてくれた気がしていた。
 俺が守ればいい、なんて。そんな子供でもあるまいし。無力を自覚していなかったなんて言い訳にもならないのだ。
 彼女は花のように献身し続けている。己の消耗を省みず、命尽きるその瞬間まで。止めて欲しいと思いながら、けれど自分に止めさせるほどの影響力があるとは思えなかった。彼女にとっての自分の立場は、きっとこの家の大多数と同じ高さにある。つまり悪く言えば、取るに足りない、ということなのだ。だから――

 するりと文から何かが滑り出た。栞のような大きさの、半紙に似た薄い紙。何かのメモ書きだろうか。裏返してみれば、細く消えてしまいそうな字でこう書いてあった。


――今日はもし人もや我を思ひ出づる


 続きは、なかった。そのことが何を意味するのかは分からない。けれどこの一文は知っている。朧気だった記憶が鮮明になるのを感じた。
 読み上げるのは静かな女教師の声。そう、これは確か授業で。

――今日はもしかしたら、貴方も私を思い出してくれているかもしれない。

 まさか、と思う。そんな、まさか。
 これは待ち詫ぶる恋の歌だ。密かに挟まれていた。隠すように、けれど微かな期待をのぞかせるように。

 彼女は花だ。――そう思っていた。
 けれどその姿を想えば想うほど、ただの少女にしか思えなくなるのだった。



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