プシュー、と雨音に負けないくらいの大きくて閉まる音がした。しまった、と思ってももう遅い。ぐん、と気合いをいれて発車し始めた車内で慣性の法則によってぐらつく体を手すりにつかまりながらなんとかたてなおす。

「…乗り過ごしちゃいましたね」

罰の悪そうに肩をすくめてすみません、お騒がせしました、と溢すしぐささえも見とれてしまう。ずっと乗り続けて彼の降りるバス停まで行ってしまおうかな。
信号で車体が止まっているあいださえも大切に思えてしまう。いつしか激しく波打つ心臓は動揺を生み出すのではなくてとめどなくあふれる欲望を生み出していたようだ。

『まもなくー…』

運転手のしわがれた声で次のバス停への到達点をつげられればなんとも複雑なからみあった感情が生まれてしまうのだ。

「じゃ、じゃあこれで。ハンカチは大丈夫ですから、」
「貴女の学校まで、送っていきますよ」
「えっ?」

車体が次のバス停に停まるまでのこり少ない。今なんて彼は発した?送っていく?誰を?私を?学校に?
(ホントは見ているだけでもいいから一緒にいたいけど、)ふるふると首を横にふって、いいえ、それじゃあ遅刻してしまうじゃないですか。と隠した言葉のうらがわにしっとりと本心をしのばせながら。

「だって迷ってしまうでしょう」
「迷いません!」
「入学当初は帰るのにも一苦労だった、違いますか?」

なにごともお見通しのようなするどい真っ赤な瞳に見つめられれば耳の先まで熱くなる。

「なんで知って…」
「なんて、僕の推定でしかないですが。さぁ降りますよ。反対方向はもうすこし行ったところです」
「あっ…」

背後では憎らしいほど素早く扉が閉じ、降りた私と降りるはずでない彼はバス停へととりのこされた。ちいさくじめんをたたく雨、それに溶けていく灰色の排気ガス。タイヤにひかれてしぶきをあげる雨水と、夏にはまだ早い肌寒さ。本来ならうきうきして楽しくなるのに時間がかからないのだが、今のこの状況ではいつもの楽しさに打って変わって申し訳なさで気持ちをふくらませる。

「ごめんなさいっ……気を使わせてしまって……」

いきおいよく頭をさげてへにゃりとお辞儀をするとクスリ、と想像よりもはるかに上品な笑いが溢された。

「いいんですよそれくらい。さ、行きましょう」

ワンタッチの傘をひろげるためにとめられていたボタンをゆびさきでパチン、と弾く。ばさ、と羽ばたくようにひろがってうすいピンク色の傘であめつぶをしのぐ。となりではひとつもすきがなく、無駄がなさげに傘を広げていた。スモーキーブラウンの傘でふわりと差せばうすいいろの影が目もとにおよんで、まるでアイシャドウをしているかのよう。これはべつにけなしているわけではなくて、いっそうするどくて真っ赤な瞳へとくぎづけにした。

「なにか、顔についてます?」
「あ……いえ……」

申し訳なさげな臆病なあいづち。本心ではこんなやつととなりで歩きたくないんだろうな、と被害妄想してみたり。

「そういえば名前をお伺いしていませんでしたね。そして名乗ってもいませんでした……降矢竜持ともうします」
「えと、結木あまね……です」
「結木さんですか、」

ぱしゃぱしゃと濡れたじめんを歩く音はいつになく軽やかなものだ。ゆらゆらと水溜まりが揺れるのもいいし、傘のうえのすべりだいからなめらかに滴るしずくもいい。まさか名前を知ることができてしまうとは。私と彼とでは天と地ほどちがうし、一方的に憧れる存在であったのは間違いがない。できればたくさん色んなことを知りたいのだが、バス停についたらここまでだ。

「つきました。あとはこのバスに乗ってひとつ。きちんとあっていますからご心配なく。ありがとうございました。では」
「あっ…」

返事を待たずにくるりと右足を軸にして見とれるほどきれいに半回転すれば、スモーキーブラウンからちらりとのぞかせた切り揃えたうしろ髪が見えた。
姿が見えなくなるまで目でおっていたい気分であったがバスがきてしまっては強制連行もいいところだ。
嬉しさをかみしめながらバスのかいだんをのぼる、のぼる。逆向きは都心からはなれるせいか人は少ないらしい。足取りをかるくしながら特等席に座ってこっそりとかばんにあった文庫本を手に取る。
「ふるや、りゅうじ」
タイトルをゆびでゆっくりと書きなぞりながら彼のなまえをちいさくつぶやいた。
ふるや、りゅうじ。なんていいひびき。
バス停でまたもや乗り過ごしそうになってしまっていたのに気づくのはまもなくであった。


一日がすぎるのなんてあっっという間。朝あったできごとをあたまの中でゆっくりと再構成していけば自然と口角があがってしまう。
雲の間から少々顔をだす太陽がとてもうらめしくおもえた。ぶあつく真っ黒な雲がもくもくとおおって、ぽつぽつと雨が降りだせばいいのに。もっと雨の日が続けばいいのに。
毎日毎日そうやって思って、今日も晴れなんだね、としょんぼりしていながらいつも通りに自転車をちりりりんと鳴らしながら風のなかを走っていく。びゅう、と髪の毛をさらい巻き上げながらかけていくのも悪くはないけれどやっぱり太陽はにくらしかった。
ぽつ、ぽつつ。
昼休みが終わったあとぐらいから天候は傾きはじめ、むくむくと肥え太った雲でいっぱいいっぱいになった空一面はなんだかむさくるしそうだ。もうちょっと、あと5時間くらい早かったらなあ。帰りは時間がわからないから会えないのになぁ。
帰るころにはだいぶ雨足がつよまり仕方なくバスで帰ることにした。かばんのなかで眠っていたおき傘をよびさまし、ぶんぶんぶん、と振りながらくしゃくしゃになった合成布をピン、と張らせながらひらく。仕方がない、自転車さん、学校でいいコにしておくんだよ。明日には取りにきてあげるからね。
ローファーにはねかえる飛沫はどうも今日は気に入ることができなかった。なんでもっと早くしないのよ……。小さなことでふてくされてしまう私はまだまだ高校生としての自覚がないみたいなようで。おもいっきり空を睨んでやると、ばつが悪そうに思ったのかやや弱々しく降るようになったのだ。

じゅー、ことことことこと。
今日も台所はさまざまなおとであふれる。包丁とまな板の合奏とか、なべの鼻歌とか。ときどき電子レンジが思いきったようにチン、と間抜けな音を出すのはなんともいえずわくわくするものだ。
おそるおそるカーテンをひいてみると、やわらかな春と夏の境目らしい日の光がさしこんでくる。台所の大合奏で少しは気分が向上しかけたのに穴のあいた風船みたいにしゅうううう、としぼんでいくみたい。

「おはよう」
「あらおはよう。どうしたの?寝不足かしら?」
「雨の日はあんなにテンションが高かったのにな」

デリカシーというものがないおとうさんの発言に、おとうさん、もう、ちょっとやめなさいよ!と呆れながらいうおかあさんはエプロンで手を簡単にふいてからテーブルに置いてあった何かを手渡した。

「はい、これ。昨日自転車置いてきちゃったんでしょ?だからバス代ね。片道分だけわたしておくわ。帰りはどうせ自転車でしょう?」

まぁ、私が車で送っていくことも出来るんだけど、バスが好きみたいらしいしね、といたずらっぽくウィンクをかますおかあさんは鋭さの面からしたらピカイチかもしれない。
みるみるうちに口角があがっていき、さっきまでのしょぼんとしていた気持ちがふっとんでしまった。
どうしよう!どうしよう!どうしよう!
急がなくちゃ!身だしなみは念入りに、ハンカチは忘れずに!

「あ、この前おかあさん、ハンカチありがとう!」
「あたりまえでしょ。女の子としてのマナーよ」

にっ、と人差し指をくちびるにあてながらわらう姿はやっぱりなにかを見通している感じがする。
こんなにも晴れた日を好きになったことは今までにないかもしれない。どきどきわくわくを胸にぎゅうぎゅうつめこんで、今日一日の最初の一歩をふみだした。

2://レイニーデイ、サニーデイ

130215剽ャ騎

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