「ナマエちゃんって髪の毛柔らかいよね」
 腰に届くほど長い金髪に櫛を入れながら言ったユイにナマエは「そう?」と首を傾げた。ゆるくウェーブのかかった髪がその動きに合わせて揺れる。
「うん。髪の毛が細いからかな、すごく柔らかい。だからすぐ癖がついちゃうんだね」
 ふたりは嶺帝学院の制服を着ている。時刻は夕方で、間もなく送迎のリムジンが来る。
 寝起きが悪いナマエを起こし髪の毛を整えてやるのが最近のユイの日課になっていた。放っておくと彼女は適当に櫛を通してそのまま学校に行こうとしてしまうのだ。元々癖のある髪質だから多少乱れていても誰も気にしないというのがナマエの弁である。しかしそれではせっかくの美しい容姿が勿体ないので、ユイは自分が櫛を入れることにしていた。一度「そんなことしなくて良いよ」と断られたが「私がやりたいの、お願い」と頼み込んだ。
 ユイは右手で金糸を一房掬いあげて櫛を通した。こうすると不思議といい香りがする。髪の匂いだろうか、それともナマエ自身の匂いかもしれない。仄かに甘くて穏やかな気分になるので、ユイはこの香りが好きだった。
「ユイ?」
「……え?」
「どうかした?」
「うっ、ううん何でもない」
 黙り込んだことを不審に思ったのかナマエが訊ねてきたのでユイは慌てて櫛を動かし始めた。ナマエちゃんの香りを楽しんで呆けていましたなんてバレるわけにはいかない。それでは変態扱いされても文句は言えない。匂いを嗅いでいる時点で変態くさいというのはこの際気にしないことにした。
「ナマエちゃんはいつもこのまま寝てるよね。結んだりしないの? 少しは寝癖がマシになると思うよ」
 セミロングのユイにはあまり関係のない話だが、髪の長い人は寝るときに髪の毛を結ぶか頭に敷かないよう枕より上に置いておくことが多いらしい。身体の下敷きにして寝ると髪同士が擦れ合って傷んでしまうし、睡眠中顔に髪が当たって目が覚めることもあるからだ。
「前レイジに同じことを言われたけど……面倒だし、そもそも髪を結ぶ紐も持ってない」
「そうなんだ。でも、こんなに綺麗な髪だから、傷んじゃうのは惜しいな……」
「どうしてユイが惜しむの」
「だって私ナマエちゃんの髪好きだから」
 からかうような問いにユイは自然とそう口にしていた。へえ、と笑いを含んだ返事を聞いてようやく彼女は自分が何を口走ったのか自覚して赤面する。常々思っていたこととはいえ内に秘めていたのにうっかりしていた。
「ユイは本当に変わってるね。そんなこと言われたの初めてだよ」
 ナマエはまだ笑っていた。ユイはますます居た堪れなくなり口を噤んで黙々と櫛を通した。羞恥心を掻き消すように無心で手を動かす。やがて頬の熱もひいていき、少しずつ冷静になる。そしてふと思った。
 そうだ。何か髪を留めるものを買ってナマエちゃんにプレゼントしよう。そうと決まれば今日の放課後さっそく繁華街に寄って帰ろう。
 先ほどとは打って変わって鼻唄さえ歌いながらユイはナマエの髪を整え終えた。その時丁度レイジが呼びに来たのでふたりは揃って玄関に向かった。




 そんなわけで放課後ユイは神無町の繁華街に来ていた。ここは昼夜問わず多くの人で賑わっている。近くに夜間学校の嶺帝学院があるのも一因かもしれない。ユイと同じ制服を着た女子も何人か見かけた。
 煌々と照らされたショッピングモールの二階。そこに若い女性に人気のアクセサリーショップがある。店内は平日の夜だというのにユイと同年代の女の子たちが沢山居て、その人気ぶりを窺わせる。
 商品を陳列した棚を見て回りながら、ユイは懐かしい気持ちになった。転校する前の高校で女友達とこういった店によく来ていた。といってもユイはあまり物欲がないので女友達に誘われたから通っていただけなのだが。それでも最近は転校だったり同居人が吸血鬼だったりで忙しく、こういう普通の女学生のような生活はめっきりご無沙汰だった。
「今度ナマエちゃんと一緒に来たいな……」
 独りごち、けれど彼女は人混みや喧騒が嫌いそうだから実現しそうにないなと思い直した。澄ました無表情の中、赤い瞳を細めて鬱陶しそうに人混みを眺める彼女の姿がありありと脳に浮かんで、ユイは笑ってしまった。
 それでも今度ふたりでどこかへお出かけしたい。
 最近ナマエと仲良くなったとはいえ、それは屋敷で一緒に過ごす時間が増えた程度だ。遊びに行くことはおろか、ふたりで出かけたことさえない。もっとナマエを知りたい、仲良くなりたいと思っているユイとしては、公営の図書館でも本屋でも何でも良いからナマエと外出してみたかった。今度それとなく誘ってみようとひっそりと決意した。
 ヘアアクセサリーのコーナーに来た。ヘアゴム、ヘアピン、バレッタ、カチューシャ、ヘアバンド。様々な形状や色のものが所狭しと並べられている。次々と手に取り脳裏に浮かべたナマエにあてがってみるがどれもいまいちしっくりこない。目ぼしいものはなく、他の店に行くしかないかなと諦めかけたとき、ふと視界の端に気になるものが映った。
 シュシュだ。無地の淡いピンク色で、縁に細い白のレースが縫い付けられている。飾り気がなく、限りなくシンプルで、だからこそナマエに似合うと思った。きっとこれなら彼女の白に近い金髪によく映えるだろう。これしかないと直感的に判断した。
 レジで会計をして可愛らしいラッピングをしてもらう。封をする赤いリボンを満足げに指でつつきながらユイは意気揚々と帰路についた。




「私に?」
 プレゼントを差し出すとナマエは怪訝そうに首を傾げた。
 帰宅するとナマエは既に屋敷に戻っていた。自室で本を読んでいたので彼女の部屋にお邪魔した次第である。
「そうだよ! 気に入ってもらえるか分からないけど……。開けてみて」
「……わかった」
 細い指が丁寧にリボンを解いて包装を剥がしていくのを見て微笑ましい気持ちになる。やっぱり女の子だ。アヤトだったら絶対に乱雑に破いて可愛らしいラッピングを見るも無残な姿に変えてしまうはずだ。
 中から出てきたシュシュを見てナマエは目を丸くした。
「…………これは?」
「シュシュだよ」
「それは、見たら分かるけど。どうしてこれを私に?」
「学校行く前のこと覚えてる?」
「うん」
「髪を縛るものを持ってないって言ってたから、どうかなって思って。……気に入らなかった?」
 今更になってナマエの好みも確かめず選んでしまったことを後悔した。彼女は気に入らないものを使うほど気が利くわけでも優しいわけでもないだろう。流石に捨てることは無いだろうが、最悪一度も使ってもらえない可能性もある。
 恐る恐るナマエを見ると彼女はいつもの無表情でじっと手の中のシュシュを見つめていた。
 やはり気に入らなかったのだろうか。根は優しい人だからどうやって必要ない旨を伝えるか考えているのかもしれない。ユイは気落ちした。
「……う」
「え?」
「……ありがとう、嬉しい」
「……。えっ?」
 驚いて問い返すとナマエはふいっと顔を背けた。
「も、もしかして使ってくれるの?」
「当たり前でしょ」
「本当に?」
「どうしてそんなことを訊くの?」
「だって私、ナマエちゃんの好みとか分からなくて、気に入らないようなの選んじゃったかなって」
「……ユイがくれたから、どんなものでも嬉しいよ」
 ユイは今度こそ驚愕で絶句した。本当にこれは逆巻ナマエなのだろうか。確かに優しい人ではあるけれど、彼女の優しさは注意深く観察しなければ分からないほど遠回しなことが多く、こんなにわかりやすく言葉に出してくれたことなど皆無と言っていい。
 それによく見ると白い頬にほんの少しだけ赤みが差している気がする。分かりづらいがこれは照れているのだろうか。
 純粋に可愛いなと思った。普段澄ました顔をしている人が照れている姿は新鮮だった。何より自分のプレゼントでこんな表情を見せてくれたことがユイを喜ばせた。
「つけてもらっていい?」
 緩む頬を隠しもせずユイは言った。ナマエは頷き、長い髪を片方にまとめて身体の前に垂らすと、肩の辺りまでシュシュを通して髪を束ねる。
「どう?」
「うん、すごく似合ってる」
 思った通り、色素の薄い金髪に淡いピンクはよく映えた。髪を結んだ姿は普段より幾分幼く見えて急に親近感が湧いた。
 それから毎日ナマエは必ずそのシュシュで髪をまとめて寝るようになった。ユイは自分がプレゼントしたものを使ってくれているのが嬉しくて堪らなかった。




 数日後。ナマエに「学校から帰ったら部屋に来て」と呼び出されたユイは、用事なんて珍しいなと不思議に思いながら彼女の部屋を訪れた。
「これ」
 端的な言葉とともに差し出されたものをみてユイは思考停止する。長方形の黒い箱に赤いリボンが結んである。まさか、という期待を何とか抑え込んで冷静を装う。
「こ、これなに?」
「プレゼント」
 まさかだった。
「……開けても良い?」
「うん」
 逸る気持ちで指が震える。ゆっくりとリボンを解き、黒い箱を開けると、銀色のブレスレットが姿を現した。細い銀のチェーンが二連になっていて、片方は一つもポイントがなく極めてシンプルなもの、もう片方が等間隔でデフォルメの花のモチーフが通された目立たないながら可愛らしいものだった。
「これ……私に?」
 ナマエがこくりと首肯した。
「ど、どうして?」
「この間のお礼に」
「そっそんな、こんな高そうなの! 全然釣り合わないよ!」
「おかしなこと気にするんだね」
「だって」
「……気に入らなかった?」
「えっ? そうじゃなくて……」
 どう見ても自分の贈ったシュシュとこのブレスレットでは値段が釣り合わない。プレゼントは気持ちが大事で値段は二の次という考えもあるが、それは高価なプレゼントをした側だから言える台詞なのだ。
 そもそも見返りを求めてシュシュを渡したわけではないから、お礼なんて大袈裟な、とユイは困り果てた。
「値段もそうだし、こんな可愛いの、貰っちゃうの悪いよ」
「ユイがくれたシュシュも可愛かったよ」
 真顔で言われて何故か照れてしまった。こういうときこの整った顔立ちはずるいと思わずにはいられない。何を言っても勝てない気がする。
「ユイがシュシュをくれたのが嬉しかったから」
「……」
「だから、もし気に入ったら、もらって欲しい」
 素直に嬉しい気持ちと、やはり申し訳ないという気持ちがせめぎ合ってユイは口を閉ざす。確かにこれは可愛い。これをつけてみたいという欲求もある。でも、本当に良いのかな。
 そんなユイの葛藤を見透かしたようにナマエが「ね?」と念を押すと、ユイは無意識に頷いてしまっていた。ナマエの赤い瞳に真っ直ぐ見つめられながら首を横に振るなんて到底出来そうになかった。
「よかった。つけてあげる、貸して」
 言われるがままブレスレットを手渡すと、ナマエはユイの左手首を掴んでブレスレットを巻き付けた。ひんやりしたシルバーの感触や時折触れるナマエの指先がくすぐったくてユイはぷるぷる震えてしまう。
 すぐ近くにナマエがいる。あの仄かに甘い匂いがして頭がくらくらした。
 不思議なまでに心臓が高鳴る。どうして女の子相手にこんな気持ちになるのだろう。ナマエと一緒にいて何度も抱いた疑問だが、ユイは未だにその答えが分からない。自分達は友達のはずだ。けれど胸の高鳴りはまるで恋をしているようで。とはいえ恋愛感情かと言われてもしっくりこない。
「できたよ」
 うんうん考えているうちにブレスレットを着け終わったらしい。ナマエの香りが離れて行ってユイは少し寂しくなった。
 左手を照明に掲げてまじまじと観察する。花のモチーフはどことなくユイのヘアピンに形が似ている気がしないでもない。もしかして合わせてくれたのだろうか、しかしそれを訊く勇気も心の余裕も今のユイにはなかった。
 シンプルだから学校に着けて行っても大丈夫だろう。とはいえ嶺帝学院は服装に関する校則が極端に緩い学校なので咎められることはないだろうが。
「ありがとう、すっごく可愛い」
「気に入った?」
「うん。大事にするね!」
「そう」
 花を咲かせたように笑うユイにナマエもほんの少し口元を緩ませた。
「でも、やっぱり私のプレゼントじゃ釣り合わないから、今度ケーキかお食事ごちそうさせて」
「そんなの気にしなくていいよ」
「……あのね、ナマエちゃんと出かけてみたいの。だからお願い」
「……」
「だめ?」
「私と出かけても楽しくないと思うけど、いいの?」
「うん! それに私、ナマエちゃんと一緒に居られるだけで楽しいから」
 不思議そうにまばたきをするナマエを見てユイは我に返る。とても恥ずかしいことを口走った気がする。またやってしまったと内心頭を抱えた。どうして自分はこう思ったことを口にしてしまうのだろうか。きょとりとした赤い瞳を見れなくて顔を逸らす。頬が熱くなってきた。
「……ユイは本当に変な子だね」
「い、言わないで」
「いいよ、ユイが言うなら、今度一緒に出かけよう」
「ありがとう!」
 赤面したままではあるが嬉しそうにお礼を言うユイにナマエもこっそり笑った。
 後日ふたりはナマエの希望でショッピングモールの本屋へ出かけ、喫茶店でケーキを食べて帰ってきた。財布を出そうとした時には既にナマエが支払いを済ませてしまっていて、尚更申し訳ない気持ちにさせられたユイだが、ナマエの言葉で赤面してそれどころではなくなった。
 また、人混みを前にした時のナマエの表情があまりにも予想通りでユイは笑いを堪えるのに苦労した。




 ユイは知る由もなかったが、ブレスレットには魔界で発掘されたシルバーが用いられており、それには魔除けの効果があると言われている。吸血鬼につけ狙われているユイの受難が少しでも減ればいいという、分かりにくいナマエの気遣いだった。
 その効果のほどはさておき、ユイが毎日肌身離さず身につけ嬉しそうに手入れをしているので、喜んでくれたならそれでいいかとナマエは思った。



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