複数人の足音と、ひそひそ囁き合う声。それが徐々に大きくなる。数は四つ。つまり弟たちと一緒に彼女もいるらしい。組んだ足の上に乗せた本から視線を上げないまま、珍しいこともあるものだと心中で呟いた。
 やがて気配が自室の扉の前で止まる。どうやら自分に用があるらしい。数十秒の奇妙な間を挟み、コンコンと扉をノックされる。
「開いている、入れ」
 目で文字を追いながら廊下にいる彼らに声を掛け、待つ。しかしいつまで経っても中に入ってこようとしない。ピンポンダッシュならぬノックダッシュかと思うものの、廊下にある四つの気配はそこから微動だにしない。仕方がないのでこちらから出迎えてやることにした。眉根を寄せながら扉に向かいノブを回す。
「お前たち、揃いも揃って何の用――」
「せーのっ」
 コウの掛け声の直後、パーン! と軽快な破裂音が三つ重なって聞こえ、同時に何かが空中に向けて発射される。突然発された中々大きな音に顔を顰めつつ、そちらを見れば、色とりどりの紙製のテープが何本も弟たちの手元から伸びていた。パーティ用のクラッカーだった。
 肩にかかった紙テープを払い除けながら、どういうつもりか説明させようと口を開くよりも早く、コウたち三人を従えるような形で手前に立っていたナマエが赤い瞳でじっとこちらを見つめて、
「Happy birthday to you , Happy birthday to you , Happy birthday , dear Ruki , Happy birthday to you .」
「…………」
 無愛想な女の口から飛び出したのは誕生日を祝う歌だった。音程も正確だし英語の発音も流暢で歌としてはかなり上手だが、いつも通り冷めた表情である上に声には抑揚がついていないので甚だ不気味だ。僅かに頬を引き攣らせつつ妖怪でも見たような顔でナマエを凝視していたルキだが、ふと視線を下げ、彼女が両手でケーキやティーポットを載せたトレーを持っていることに気付く。ワンホールのケーキには白いプレートが飾り付けられていて、そこに書かれた文字を見てようやく今日の日付とその意味を思い出した。
 四月二四日。自分の生誕日である。
「ルキくん誕生日おめでとう!」
「年取んのがヴァンパイアにとってめでてえかっつーとちっと疑問だけどな。一応言っとくぜ、おめでとよ」
「ルキ……誕生日、おめでとう……」
「……」
「あはは。ルキくんびっくりしてる。とりあえず部屋入っていい? ここで喋ってたら紅茶が冷めちゃうよ」
「あ、ああ」
 コウは使用済のクラッカーをユーマに手渡しナマエからトレーを受け取ると、棒立ちのルキの横をすり抜け窓際にあるローテーブルにトレーを置いた。次にナマエが何食わぬ顔でそれに続き、コウに促されてすぐそばのソファに腰を下ろして欠伸をしている。ユーマは散らばったクラッカーの残骸を拾い上げてゴミ箱に捨てていた。てきぱきと進められていく状況に困惑していると、残ったアズサに背中を押されて自分も部屋に押し込まれ、そのままナマエの隣に座らせられる。コウたちはテーブルを挟んだ向かい側に並んで立っていた。
「妙に手際が良いな……。それに急に誕生日を祝うだなんて、どういう風の吹き回しだ?」
「そりゃあ、この日のためにちゃーんと皆で話し合ったんだから。まあまずは紅茶飲んで、ケーキ食べてよ」
 コウから指示されていたのか、隣ではナマエがケーキナイフで円形のワンホールケーキを八等分に切り分けていた。アズサがティーポットからカップに紅茶を注いでいる。
「紅茶はユーマくんが淹れたから味は心配だけど……ケーキはお店で買ったから安心してね!」
「んだその言い草。オマエなんか紅茶淹れようとして葉っぱ撒き散らしてたくせによ」
「あはははユーマくん。……そういうのは黙っておいてね。あ、そうそう本当は蝋燭も立てようかと思ったんだけど、多分このケーキの面積じゃ収まり切らないだろうからやめておいたよ。ごめんね?」
「……」
「はい……ルキ、どうぞ」
 やや押され気味になりながらも差し出されたカップを受け取り口をつけた。コウの言う通り、紅茶を淹れるのに慣れていないせいか茶葉の味を十分に引き出しているとは言い難かったが、流石にそんなことを口にするほど野暮ではない。三口ほど飲んでカップをソーサーに戻すと、今度は横合いからナマエがフォークで取り分けたケーキを近付けてきた。
 いくら指示を受けているらしいとはいえ、普段からは考えられない彼女の行動に戸惑う。そもそも弟たちはともかく、何故彼女までこの場にいるのか。片手を皿にしているせいか、僅かに前屈みになり上目遣いでこちらを見上げるナマエは、食べないの? とでも言いたげに首を傾げていた。暫し無言で抵抗を試み、助けを求めるような気持ちでコウたちの方を見たが、彼女に指示を出した張本人がそんな助けをくれるはずもなく、それどころかにやにやと愉しげに頬を緩めているものだから苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。結局諦めて彼女に食べさせてもらった。
 既製品なだけあって文句なしに美味しい。けれど何故かそれを味わう気にはなれないまま嚥下し、そろそろ事情を説明させるため「それで」と口火を切った。
「突然何なんだ、誕生日なんて」
 人間は有限の時を生きているからこそ、成長し、そして老いる時間を大切にする。けれど永遠を生きるヴァンパイアにとって、誕生日を迎えて歳を重ねることはさほどおめでたいことではない。ある程度身体が成熟すると、人間年齢でいう十代後半から二十代で容姿の変化がほぼ止まってしまう彼らは、年齢という概念が希薄なのだ。若く見えていても実際には数百年生きている。ルキたちは元人間だったから、純正のヴァンパイアたちより年齢は低いが、それでもかれこれ二百年以上の時を過ごしてきた。せいぜい百ならともかく、数百の単位になるともう年齢を数えるのさえ面倒になってしまう。
 ヴァンパイアになって最初の十年ほどは自分の誕生日にもそれなりの思い入れがあったが、一向に変化のない容姿や長すぎる時の中で時間感覚が曖昧になっていく内にそんな気持ちはなくなった。それはルキだけでなくコウたちも同じはず。実際に前回の誕生日は自分さえそれを忘れていつの間にか終わっていたのだ。何故今回に限って突然、しかもケーキを買ってきて紅茶を用意し、その上恐らく非協力的であっただろうナマエを懐柔してまでこんな計画を立てたのかが、どうにも解せなかった。
「言いだしっぺは……コウなんだ……」
「そ。最近になって、ふと『こんな身体でも生きてて良かったな』って思ったんだよね。アダムが目覚めて、おれたちの役割はもう終わっちゃったけど、こうして家族で平凡に暮らせるのが幸せなんだろうなぁって」
「……」
「そう思ったら、改めてルキくんたちに会えて良かったな、って思った」
「コウ……」
 彼は照れ臭そうに笑って指で頬を掻いた。
「で、こいつがルキの誕生日祝いてえっつーからオレとアズサもそれに乗ったってワケだ。丁度似たようなこと考えてたところだったしな」
「うん……俺もそう」
 それからコウはふっと息を吐き、どこか真剣さを含んだ微笑を浮かべる。
「ルキくん、生まれて来てくれてありがとう。おれは許される限りずっときみの弟でいたいって、一緒に暮らしていきたいって思ってるよ。これからもよろしくね。……ヴァンパイアがこんなこと言うのも変だけどね」
 コウを見ると、やはり照れ臭いのかそれを隠すようにウインクされる。ユーマやアズサの方を見れば、彼らはそれ以上何も言わないものの、その穏やかな笑みからはコウと同じ気持ちが感じられた。
 頭の中で弟たちの言葉を反芻し、噛みしめる。胸の奥が温かくなるのを感じた。
「ああ。……ありがとう、俺もだ。お前たちに会えて良かった。これからもよろしく頼む」
 柔らかい微笑を湛えてそう返せば、三人の顔が嬉しそうに綻んだ。
 永遠の時を厭い、ゆったりとした生の中で死を望むヴァンパイアにとって、未来というものは価値を持たない。ましてや『生きていたい』と願うことなどあり得ない。人間を辞めて二百年余り、もうヴァンパイアの価値観に染まり切っていたと思っていたのに、こんなところは未だに人間のようだ。それはかつてあの方の為にアダムになることを切望した自分たちにとっては喜ばしくないことのはずだが、それでも良いと思えた。完璧なヴァンパイアになれずとも、数奇な運命の下で巡り合えた弟たちとの生活をこれからも続けていきたい、そう願う自分で居たい。




「じゃ、おれたちは次の準備してくるね!」
「まだ何かあるのか?」
「今日はおれたちがルキくんにご飯作ってあげる! まあルキくんのに比べたら美味しくないかもしれないけど」
「いや、お前たちが作ってくれるだけで嬉しい。こういうのは気持ちが大事だからな。……この紅茶もな」
「チッ、こんな時でも一言多い野郎だな……」
「そう悪く受け取るな、ありがとうと言ってるんだ」
 ユーマはそっぽを向いてけっと吐き捨てた。しかし頬はどこか赤い。
「じゃあルキくんはケーキ食べて待っててね。ナマエ、あとよろしく」
「ん」
 淡白な返事を受けて、コウはユーマとアズサを引き連れて部屋を出て行った。「アズサくん、今日は絶対唐辛子入れちゃダメだからね」「うん……俺、頑張るよ……舌がいっぱい痛くなってルキに喜んでもらえるように……」「ねえおれの話聞いてた? アズサくん? ねえ?」「こりゃ力尽くで止めるしかねーなぁ」喧騒がリビングの方へ遠ざかって行く。
 それに耳を傾けながら、嬉しいサプライズに素直に感謝と喜びを覚える。次にあいつらの誕生日がきたときはお返ししてやらないとな、と平凡で幸せな未来に思いを馳せた。
「嬉しそうな顔してるね」
 隣からナマエがこちらを観察していた。相変わらず冷たい顔をしているが、どことなく不思議そうな表情にも見える。
「ああ、嬉しいに決まってる」
「ヴァンパイアなのに、そんなに誕生日が好きなの? それとも、ヴァンパイアになっても君が人間みたいだから?」
「誕生日自体が嬉しいわけじゃない。俺だってヴァンパイアの端くれだ、何百年も生きて今さら歳を重ねて喜ぶような価値観は持っていない」
「じゃあどうして?」
「あいつらの気持ちが嬉しいんだ」
「……ふうん」
 納得したのかしていないのか判断をしかねる返答だったが、それきり彼女は口を噤んでしまった。それならばと、今度はこちらが疑問をぶつけてみることにした。
「そういうお前は、どうしてコウの話に乗ったんだ?」
「彼に誘われたから」
「それにしたって、読書と寝る以外ほとんど何もしていないお前が、わざわざあいつの指示に従ってまでこんなことをしているのがどうにも理解出来ない」
 歌まで歌っていたしな、と内心で付け足す。
 ナマエは視線を空中に彷徨わせて、暫く言葉を探すように黙り込んだ後、ぽつりと漏らした。
「君が、どんな反応するのか見てみたかったから」
「……お前の妙に上手いが不気味な歌を聴いて?」
「そうじゃなくて。人間みたいな考え方をしている君だって、自分の生まれた日については私と同じ感覚でいるんだろうと思っていたから。コウたちが誕生日の事で盛り上がっているのが不思議だったし、じゃあ君は彼らに誕生日を祝われてどんな顔をするのかなって」
 赤い瞳がまた自分の姿を捉える。
「君がそんな顔して喜ぶなんて、思ってなかった」
 一口ルキに食べさせたきり放置していたフォークを手にとって、またケーキを取り分ける。
「私は生まれた日の価値とかよく分からないし、君たちが話していたこともいまいちピンと来なかったんだけど。……でも」
「……?」
 先ほどのように空いた手を皿代わりにして、フォークを差し出してきた。
「君の隣にいるのは落ち着くから、今この瞬間それが終わってしまうって考えたら、少し寂しいなって思うよ」
 淡々と紡がれた言葉が予想外で面食らう。
 ルキと違って彼女は生まれた時からヴァンパイアだ。半分は人間の血を引いているから、例えば逆巻兄弟のような純血に比べれば人間に近しい価値観を持っているものの、それでもルキよりも遥かにヴァンパイアらしい。更に生を疎み惰性で呼吸をしているような彼女は、ただでさえ死を望む同族たちの中でもとりわけ命に無頓着な人物だ。その彼女から、まるでこの先も生きて共に居ることを望むような言葉が出てくるなんて想像だにしなかった。
 絶句し、目を見張って赤い瞳を見返す。彼女は少し逡巡してから続けた。
「ルキ、誕生日おめでとう」
「……」
 その声が身体の隅々まで染み渡っていくような心地がした。弟たちから贈られた祝いの言葉とはまた違った感覚だったが、そこから生まれたのは紛れもなく喜びの感情だった。胸が熱いもので一杯になって、一瞬息が出来なくなる。
 ヴァンパイアにとって死は祝祭の始まり。それは分かっている。永遠の命に嫌気が差したことも一度や二度ではない。それでも、まだ彼女と共に生きていたいと思った。いつか彼女との約束を果たし――そして自分もまたその隣で眠る日まで。
 一度瞼を下ろし、深く息を吐いて、また彼女と視線を交わらせ、
「……ああ、ありがとう」
 柔らかい眼差しで微笑み、そう答えた。
 こちらにフォークを差し出す手に自分の手を重ねて、指が摘むフォークをするりと抜き取った。不思議そうにまばたきする彼女の目の前に、今度は自分がそれを差し出す。一口大のケーキとルキの顔を交互に眺めて、金色の髪を揺らしながら首を傾げた。無言で促すよう薄い桃色の唇にケーキを近付ければ、しばらく迷った末に小さく口を開いてケーキを食べた。もぐもぐと頬を動かして咀嚼し嚥下する。それを見てからルキがケーキを切り分け再び差し出すと、こてんと首を傾げた。
「君は食べなくていいの」
「もう腹が膨れてしまった」
「ふうん」
 開いた口にケーキを放り込み、食べるのを見届ける。
「君って小食なんだね」
「……そうだな」
 頬を緩めて相槌を打ちながら、彼女の唇についたクリームを親指で拭ってやり自分で舐めた。
 弟たちと、そして彼女の気持ちが齎した幸福感で、もうこれ以上何も入りきらないほど身体は満たされていた。分かりやすく言葉にしなかったからとはいえ、それを食事の話と受け取っている彼女の変な鈍さを微笑ましいなと思いつつ、ルキはまた彼女にケーキを与えた。
 この穏やかな日がずっと続けばいいと、そう願った。


Happy Birthday Ruki !


20150424(0420)
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