本のページが捲れる音が静かな部屋に響く。乾いているその音は部屋の壁や床、家具などに吸い込まれ、部屋はまた変わらない静寂を取り戻す。
この屋敷は普段から部屋にある時計の秒針が聞こえるくらいには静かだ。それは今日も変わらない。読書の邪魔が入らないそんな環境でナマエは昨日ルキに勧められた本の山から適当なものを一つ手に取り黙々と読んでいた。
その適当に手に取った本を読み進めていくと最近勧められて読んだ本とは毛色が違うことに気がついたが、別に読むのをやめる理由にはならない。いつもどおり最後まで読み終わり、ナマエはゆったりとした動作でその本を閉じた。
座っているソファから背だけを離して近くの机に置いてあるまだ目を通していない本を手に取り、先程まで読んでいた本と交換する。続けて読むか少し休憩しようか迷ったナマエが壁に掛かっている時計を見ると、もう食事の時間が近いことを示していた。
読書に夢中になっていたわけではないが思ったより時間が過ぎていたことにナマエは一度瞬きをし、手に取った本をそのまま机の上に戻した。すると、ほぼ同時に静かだった屋敷の廊下から足音が聞こえてきた。ナマエにとって聞き慣れた足音を響かせる男は迷うことなくナマエがいる部屋の前に立ち、ドアにノックをすることなくドアノブを捻った。


「ナマエ、食事の時間だ」

「…いま行く」


ナマエが顔を上げると予想どおりルキがドアの横に立っていて、待っているから早くしろと言わんばかりの視線を投げかけていた。返事をしてソファから立ち上がりルキと廊下に出てドアを閉めると、どちらからともなくダイニングに向かって歩き始める。
廊下を歩いていると微かにルキが作ったのであろう料理の匂いがしてくる。自然と漂ってくるその匂いにナマエは昨日の昼食を思い出した。確かボロネーゼパスタだったことにコウが「どうしてボンゴレビアンコじゃないの!?」と文句を言っていたような気がする。それと同じような匂いがするということは、今回は昨日と同じボロネーゼを使った別の料理なのだろうかとナマエは特に興味なさそうにしながらもそんなことをぼんやりと考えていた。
無神家の食事の時間はナマエも把握しているので普段はルキに呼ばれずともダイニングにいることが多い。しかし決して時間に正確であるということでもなく、寝坊する日もあれば読書に夢中になっていることもある。だからこうして廊下でルキとナマエが二人並んでばらばらと二人分の足音を鳴らしながらダイニングへ向かうのはよくあることであるし、また、その途中でルキが時間を守らないナマエに対して皮肉を口にすることも珍しいことではなかった。


「…それで、俺がお前を迎えに行くまでにお前はどの本を読み終えたんだ?お前が時間を忘れるほどだからな。さぞ興味深い本だったんだろう」

「……そうだね。最近君に勧められて読んだ本とは少し変わってて、色んな意味で興味深い本だったよ。読むのに少し苦労した」

「なんだそれは。お前がそんな感想を述べるような本を貸した覚えはないぞ」

「…そんなこと言われても、あれはそういう本だったよ」


部屋のドアを開ける前にナマエが丁度何かの本を読み終えたことを見抜いているかのようなルキの発言にナマエが何の気なしに答えると、ルキは予想外の言葉を返してきた。
貸した覚えがないと言われても借りた本の山の中にあった本を適当に手にとって読んだとしか認識していなかったナマエはルキを見上げながら首をかしげた。


「シェイクスピアの恋の骨折り損。覚えてない?」

「ああ……少なくともお前に貸すつもりがなかったのは確かだ。今回はウィリアム・ジェームズの本を中心に貸した気でいた」

「間違えたの?珍しいね」

「昨日は書斎の本の整理をしていたからな。お前に貸す本もそのとき選んでいたから、そこで混ざったんだろう」

「…そう」


ルキの説明に納得したのかそもそも初めからどうでもいいのか判断しかねる曖昧な相槌をナマエがうつとそこで会話が一度途切れた。それを気にすることもなく二人は変わらぬペースで廊下を歩き、階段へと差し掛かる。
読書の疲れもあってか階段をのろのろと降りながらナマエが眠そうに欠伸をしていると、不意にルキが再び口を開いた。


「ナマエ」

「ん…なに」

「意図して貸したわけではないが、その本の話はお前と多少なりとも似通ったところがあったんじゃないか?俺も昔一度読んだだけで細かいことまでは覚えていないが、確か学問のために禁欲的な生活を送っていた男たちが、外国から来た女たちに惚れてしまうという話だっただろう。…まあ、お前の場合は学問のためではなく、自分のために禁欲生活をしていたわけだが」

「……こじつけにも程があると思うけど」

「多少だと言っただろう。お前はもう少し諧謔的な思考を持った方がいい」

「君の発言はユーモラスと言うより、悪意が含まれたジョークと言うほうが的確だからね。私が諧謔的思考を持つ必要はないでしょ」


飄々と減らず口を叩くナマエだったが、ルキはナマエがそうして自分の言わんとしていることにうんざりし、触れられたくなさそうにしながらその感情表現の乏しい顔を歪めているのが心地よかった。
図らずしてルキに揶揄されるような話題が始まってしまったことにため息をつくと、ナマエは先程より若干足早に階段を降りていく。のんびり歩いていたらますます不愉快になるだけだ。
しかし目敏いルキがそれに気付かないはずもなく、階段の踊場で腕を掴まれてしまう。ナマエは仕方なく立ち止まって振り返り嫌そうにルキを睨み上げるが、ルキにはまるで効果がなかった。


「そういえば話していて思い出したが、その話の中で学問に熱を上げる国王を皮肉った言葉があったな。覚えているか?」

「……忘れた」

「“光が光を求めると、光から光をだまし取られる。つまり闇の中に光を見つけるより前に、ものが見えなくなって、世界が暗くなってしまうのです。”…だったな。本を読むために目を酷使してはそのうち視力を失い、結局学問における真理も見失ってしまうだろうという皮肉だったよ。……よかったな。お前がお前の光を失う前に、俺がお前の目を覆い隠していて」

「…………そうだね」


細かいことまでは覚えていないなんて言いながらもルキは本の中の言葉まで引用し、少しばかり饒舌になりながら嫌味っぽく言葉を並べていく。そんな彼の言葉をナマエは一間置いて肯定した。
それがこの場を終わらせたいがための適当な返事ではないことに気付けないほどルキはナマエの表情を読めないわけではない。しかしナマエの本意までは汲み取れずルキが目を細めると、ナマエは僅かに微笑みを浮かべた。


「……なんだその顔は。言いたいことがあるなら早く言え」

「…君だって、そういう意味では私と同じようなものでしょ。同じだから、一緒にいるんだと思ってたんだけど」

「ああ…そうだったな。俺たちの大きな違いといえば、相手から目隠しをされ、同時に相手のことも目隠しすることを自ら望んだかどうかぐらいだ」

「そんなの、今はもう大した差じゃない」

「だといいんだがな」


言いながらルキはナマエの頬に腕をつかんでいない方の手を添え、親指で下眼瞼を撫でた。
ヴァンパイアでも流石に目が見えなければ生活に支障をきたすから目玉を抉ることなどはしないが、この瞳が今すぐにでも触れられるところにあることにルキは不思議と安堵した。
ナマエの赤い瞳がルキを見上げ、首はかしげないまでも「まだ何かあるのか」と無言でルキに問い掛ける。この話をもう少し続けていたい気分ではあったが、ここでこんな話を続けたところで意味はないし、何よりダイニングで三人が待っている。今更急いだところで文句が飛んでくるのは避けられないが、このまま自分が作った料理が冷めるのは望ましくないと考えルキはナマエに触れていた両手を離した。


「…少し長話をしてしまったな。早く行くぞ」

「うん」


そう言ってルキがナマエに背を向け階段を降り始めると、遅れてナマエが後ろから付いていく。
今日のメニューは何を使ったものだったか普段はどうでもよくてすぐに忘れてしまうれけど、今日のメニューの中で使われているであろうボロネーゼの匂いがやけにナマエを誘う。階段を降りてその料理を作った男の隣に並ぶと無意味に料理の名前を聞こうかとも思ったが、結局階段を降り終わってからお互い何も言葉を発することはなかった。
目的地へのドアの向こうからじれったそうに会話する声が聞こえるのを感じながら、二人はダイニングへのドアを開いた。



end

―――

ナマエちゃんにとってユイちゃんを失うことによる闇は何よりも耐え難いものだけど、ルキくんの手によってナマエちゃんにもたらされた闇は以前よりもずっと心地よいものであったら可愛いなっていう話。蛇足だけどメニューはラザニアがいいなと思います(どうでもいい)
お話を書かせて頂くのとっても楽しかったですし嬉しかったです。素敵な二人を提供してくれた秋桜さんに今一度感謝を。ありがとうございました!

20150317
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