十ヶ月後if後日談。特に意味はないが無駄に長い話。無神四人と長女全てのキャラクター性が崩壊。




「……我ながら酷い有り様だな。お前の身体も汚い」

 道路で車に轢かれた烏の死骸を見た人間のような顔で、彼は不機嫌そうに言った。私の身体は血とその他諸々で汚れているし、シーツは血で真っ赤だ。彼の服も私の血がついたせいでところどころ汚れている。彼がこんな顔をするのも無理はない。けれどそんな事実確認をするよりも私は寝たかった。身体が汚れていようがシーツが汚れていようがどうでもいい。六日間狂おしい熱に苛まれ、のたうち回り、一睡も出来ずに過ごしたのだ。精神的にも体力的にも極限まで疲労している。後の片付けを想像すると憂鬱でしかないが、後のことはぐっすり寝てから考えることにしよう。私は目を閉じた。
 直後、身体を揺さぶられる。

「おい、寝るな。まず身体を洗って来い。汚すぎて悪寒がしそうだ」
「……これ、全部君がやったんでしょ……」
「口答えをする余裕があるなら大丈夫だな。片付けはしておいてやる。ほら、早く行け」

 言いながら彼は私に破れた服をおざなりに着せて、手を掴んで引きずると、そのまま部屋の扉を開けて廊下に放り出した。手を離された途端、私の身体はへなへなと力なく床に座り込む。彼は鬱陶しそうに舌打ち一つして再び手を掴むと、ぐいっと引っ張り上げ私を無理矢理立たせた。眠い、寝かせて欲しい。
 それから彼は部屋に戻りタンスから下着と着替えの服を取り出すと、私に押し付ける。彼も六日間一睡もしていないはずなんだけれど、どうしてこんなにテキパキしているのだろう。不思議でならない。 

「ああ、そうだ。他の兄弟に見つからないようにしろ」

 そんなことを言って、扉はバタンと閉じられた。
 眠い。無視してこのまま床で寝てやろうか。そうは思うけれど、気配を察知した彼にことごとく邪魔されるだろうし、何より私はどこかの長男のようにいつでもどこでも寝れるスキルはない。ベッドは彼が片付けている最中らしいから使えないし、他に選択肢もないので、渋々命令に従うことにしたのだった。




 他の兄弟に見つからないようにしろ、というのは、自分の性癖を兄弟に知られるのが嫌だ、ということだろうか。足は動かしつつ自分の身体を見下ろす。破れた服を着ているせいで所々肌が見えている。そしてどこを見ても吸血痕だらけだった。改めて確認すると、よくもまあこれほど吸血出来たものだと、呆れを通り越して感心するしかない。確かにこれほど粘着質な吸血をするだなんて、兄弟には知られたくないかもしれない。これは食事の域を越えている気がしないでもない。
 そんなことを考えながらゆっくり歩いていたら、いつの間にか浴室の前にやってきていた。さっさとシャワーを浴びて部屋に戻って寝よう。ドアノブに手をかける。
 すると、背後から突然ドンッ、と衝撃が走った。ついで聞き覚えのある男の声が「ナマエさん……すっごく久しぶり……」と陰気なトーンで話し始めた。振り返れば私とさほど身長の変わらない男――無神アズサが、私のお腹に両腕を回して抱きついていた。

「ずっとルキとふたりで部屋に篭ってるみたいだったから……心配したんだよ……」
「ああ、うん、ごめんね」
「……でも、ふふ、元気そうで安心した……」
「そう、ありがとう」

 元気そうに見えるのか。
 無神アズサは、初めて図書室で話した時から――正確には、彼曰く『初めて見た時』からだそうだが――私に親近感を覚えているらしく、無意味なまでに懐かれていた。この屋敷に連れて来られてからはそれが加速して、さながら主人に構ってもらいたがる犬のような懐きようだった。絡み方が鬱陶しくて仕方がないのだが、適当にあしらうともっと面倒なことになるのは経験済みなので、私は仕方なく彼の話に相槌を打つことにしている。
 彼は三年ぶりに最愛の恋人に会ったような感極まった笑みを浮かべていた。

「ねえ、ルキとふたりで何してたの……?」
「彼に聞いてよ」
「……俺には、言えないようなこと?」

 眉尻を下げて悲しそうに言われても。説明するのは構わないけれど、そうすると立ち話が長くなって、睡眠がますます遠ざかってしまう。これ以上我慢なんて出来ないので、私はその質問をやり過ごすために黙るしかなかった。それが彼的には気に入らなかったらしく、今度は怒ったような顔をして、私の首筋にぐりぐりとおでこを擦りつけてくる。本当に犬みたいだ。数秒後、その動きがぴたりと止まった。それからすんすん、と鼻を鳴らす音が聞こえたかと思えば、お腹に回されていた腕が緩んで、彼が私から距離をとった。

「……ルキの匂いがする……」

 ぽつりと呟くように零した彼は、何とも形容し難い表情をしていた。
 くんくん、一応自分で腕を嗅いでみるけれど、よく分からなかった。閉め切った部屋に六日もふたりで篭っていたら匂いくらい移るだろう。ましてや最終日はそれなりに至近距離にいたのだ。私が自覚出来ないだけで、匂いが移っているのも当然だと思う。
 ついで、彼はねっとりした視線で舐め回すように私の身体中を観察して、今度は真顔になった。破れた服の隙間から覗く無数の吸血痕を凝視している。

「それ……ルキが、やったの?」
「うん」
「六日も一緒に部屋に引きこもってたのは……これで……?」
「まあ、そんな感じ」
「ふうん……」

 それから、今日一番の笑みを浮かべ、恍惚とした様子で「良いなあ」と呟いた。その言葉や表情にげんなりするしかない。
 彼には自傷癖があるらしい。どうしてそうなったのかとか、いつからそうなのかとか、そういう彼個人に関することには興味がないので全く知らないけれど、彼は他人に痛めつけられることや自分で傷をつけることに愉悦を覚えるらしいのだ。他人が怪我をしていると心底羨ましそうにして傷を観察してくる。人の性癖をどうこう言うつもりはないけれど、まあ、何というか、彼を見ていると世界は広いなと思わずにはいられない。
 いつの間にか再び距離を詰めていた彼が、服の襟首をぐいっと引っ張って中を覗き込んだ。下着を着けていないので彼には首からお腹までが丸見えだ。

「わあ……胸にもいっぱいついてるね……。ふふ、良かったね、ナマエさん。良いなあ、羨ましい……」
「彼に頼んできたら? 吸血してって」

 やんわり彼の手を襟首から離させつつ投げやりに言えば、彼は頭の上に『!』を浮かべたような閃き顔になった。真に受けたらしい。彼は「うん……そうする……!」と普段より格段に弾んだ声で頷くと、廊下をトコトコ歩いて行った。
 ふう。やっとお風呂に入れる。肩に重りを載せられたような疲労を感じる。確実にさっきより疲れている。早く寝たい。浴室の扉に手をかけて、ふと、彼がいなくなった方を見た。さっき適当なことを言ってしまったけれど、あの人は男から吸血するのだろうか。




 一先ず血液と、その他色々を丁寧に洗い流し一息ついたところで、無神アズサに指摘された無神ルキの匂いとやらが気になり、それも完全に取れるよう、何度も何度も身体を洗っては流した。身体を拭いてから鏡の前に立つ。自分の姿を改めて確認して思わず顔を顰めてしまった。吸血痕の周りで固まっていた血液が洗い流されたことで幾分マシな見た目になったけれど、全身穴だらけというのはあまり気持ちの良いものではない。何かの合成画像みたいな様相だと思う。早く消えてくれることを願うばかりだ。その辺りは人間よりはマシな吸血鬼の治癒力に期待しよう。渡されたのは太腿が半分隠れる程度の微妙な長さのニットのワンピースで、下着の上にそれを着込んで、浴室を出た。
 一度シャワーを浴びてしまうと、疲労感や眠気も少しだけ和らいだ。同時に六日間飲まず食わずだったせいで喉の渇きを覚えた。自室へ向かっていた進路を変更してキッチンに足を向ける。中には誰もおらず、冷蔵庫から水を拝借してコップに注ぎ飲み干した。お風呂で火照った身体の中を冷たい水が通って行く感覚がとても気持ちいい。それでも喉の渇きはまだ残っていたから、もう一杯水を注いだ。その時だ。

「おーオマエ、久しぶりだな」

 屋敷で一番図体がでかい男がキッチンに入ってきた。服が泥で汚れている。彼の菜園を手入れした帰りなのかもしれない。私と同じく冷蔵庫に用事があったらしいので、身体をずらして場所を譲った。彼は先ほどまで私が立っていた場所に屈み込み、冷蔵庫の中を荒らし始める。

「そういやルキもここんところ見てなかったな。オマエら一緒に居たのか」
「うん」

 答えてからコップに注いだ水を飲む。冷蔵庫を覗いていた彼の視線が私の方に向けられた。しゃがみ込んでいる彼の目線はちょうど私の腰あたりで、視線は一旦腰にいった後、ワンピースの裾から晒されている足に注がれた。彼の顔が呆れに歪む。

「なんだァ? その痕、全部ルキのかよ」
「まあ」
「へーへーお熱いこって」

 投げやりな調子で言って再び冷蔵庫に視線を向けた。少しの間ゴソゴソと中を漁り、目的のものを見つけたらしい。彼は立ち上がって乱暴に冷蔵庫を閉めると、こちらに向き直り、手にしたものを口で齧り始めた。ささみの燻製だった。

「そういや一週間くれえ前だよな? オマエらが姿見せなくなったのは」
「うん」
「たしか、その頃ルキのやつイライラしてやがったな。さしずめ八つ当たりされたってとこか? オマエも災難だな」

 八つ当たりなのだろうか。一応、彼が不機嫌な時はすぐ察知出来るくらいの観察眼はあるつもりなんだけれど。今回はただ遊びが過ぎただけだろう、と思っていた私には、八つ当たりというのは何ともしっくりこない話だった。
 それよりも、だ。私を『お高くとまったクソ貴族』『カールハインツ様のパクリしやがってこのクソ女』とか散々罵倒して敬遠していた彼が、ここまで普通に話をしてくれるようになるとは思わなかった。他人にマイナス評価を受けるのは全然構わないのだけれど、同じ屋敷で暮らす以上、悪意を持たれるというのは中々に辛いというか、生活しにくいものなのだ。彼もその辺を理解した上で差し障りのない態度をしてくれているのかもしれない。脳が筋肉で出来ているように見えて意外と他人を観察しているようだし。まあ、彼が普通に接してくれるのなら、私も普通に返すだけだ。

「分からない、けど、普通そうだったよ」
「ああ? まあイイか。あんまりルキのやつ怒らせんなよ。矛先がオマエに向いてる分にゃ問題ねえが、オレらが何かされたらたまったもんじゃねえからな」
「うん、気をつける」

 もう一杯コップに水を注ぎつつ答えると、彼は「じゃあな」と背中越しに挨拶しキッチンから出て行った。それを見送ってから、三杯目の水を飲み干した。




 キッチンを出て、今度こそ自室に戻ろうとしていたら、廊下の向こうから無神コウがやってきた。私の顔を見た途端『お!』という顔をする彼に嫌な予感が止まらない。このまま何も起こらずすれ違ってくれ。そう願いながら歩いて行けば、案の定彼は私の肩を掴んで引き止め、笑顔で「久しぶりー」などと言い始めた。

「っていうか本当に久しぶりだね! 同じ家に住んでて一週間近く会わないってどういうことなの? ご飯とかどうしてたの? そういえばルキくんもここのところ見かけなかったんだけどもしかしてナマエと一緒にいた? 二人でなにしてたの?」
「……元気だね……君……」
「そういうナマエはいつになくテンション低いね」

 特徴的かつ軽快な口調でまくし立てた彼は、そこで一旦口を噤むと、私の身体を見回して「ああ、なるほどね」と察したようだ。

「ルキくんってああ見えて粘着質なんだね。身体中キバの痕だらけじゃん。怖いなぁ」
「うん……それで六日くらい寝てなくて疲れてるから……もう行っていい?」
「えーっ、冷たくない?」

 面倒くさい。そして風呂上がりから時間が経ったせいか眠気が再びやってきた。うつらうつらする頭で何とか彼を追い払う算段をつけていたら、私の顔を覗き込んだ彼が少しだけ顔を曇らせた。演技がかったその表情の変化が今は無性に腹が立つ。睨みつけると困ったように肩を竦める。

「ごめんごめん、何かすっごい疲れてるみたいだし、お話は今度ね。じゃあ、おやすみ」
「……ん、おやすみ」

 答えれば、彼は私が来た道を歩いて行った。彼のテンションを見ていると、とある弟を彷彿とさせられて何だか無条件に疲れてしまう。ちょっと苦手だった。




 そんなこんなで自室に戻ってこれた。
 血塗れだったシーツや布団は新しいものに取り替えられていて、床に飛び散っていた血も綺麗に洗浄されていた。およそ一時間半程度でよくここまで綺麗にしたものだ。彼の仕事っぷりに感心する他ない。まあ、そういうことは良い。大事なのは綺麗なベッドが私を待っているということだ。ゴロンとベッドに寝転がり、布団に包まって枕に頭を預ける。温かさと柔らかな感触ですぐに眠気がやってきた。深い眠りに誘う心地よい睡魔に身を預け、私は意識を手放――す前に、部屋の扉が開かれた。
 寝返りを打って確認すると、この部屋を片付けた男が立っていた。彼は当然のように部屋に足を踏み入れると、ベッドのすぐそばにやってくる。微かに石鹸の香りがした。服も変わっているし、彼もシャワーを浴びてきたらしい。
 彼は私を見下ろすと、不機嫌そうに眉を寄せた。

「他の兄弟に見つからないようにしろ、と言ったはずだが」
「ああ、うん、言われた」
「俺のところにアズサが来た。皆まで言わなくとも意味は分かるだろう?」
「うん。……彼のこと吸ってあげたの?」

 少しだけ気になっていたことを訊けば、彼は舌打ちひとつして「俺は男から吸血する趣味はない」と言い切った。ああ、無神アズサは目的を達成出来なかったのか、ごめんね。ぼんやりした頭で記憶にいる陰気な男に謝罪しておく。

「それで、他にもあるだろう」
「ん。全員に会ったよ」
「……」
「ごめんね」
「何の謝罪だ」
「君、弟達に自分の性癖を知られたくなかったからあんな忠告したんだよね。だから、ごめんね、ばれちゃって」
「……ハァ。そう思うのならそう思っていればいい」

 疲れたように溜息を吐いて投げやりに言った。数秒間、妙な沈黙がおりる。じっと見下ろされるものだから、私も見上げていたら、突然彼が私から布団を剥ぎ取った。まだ寝かせてくれないのか、とうんざりしていると、彼はベッドに乗り上げてくる。私の身体を跨いで、顔の横に腕をついた。数時間前散々体験した体勢だ。嫌な予感しかしない。
 彼は服の襟元を掴むと、ぐっと下に引っ張った。柔らかいニットのワンピースは簡単にずり下げられ首元が露わになる。

「それなりに綺麗になったな」

 首筋に顔を埋めると、肌を味わうように舌で舐めあげられる。この人はどうしてそんなにお腹が空いているんだろうか。ちゅ、ちゅ、と音を立てながら吸い付く彼の頭を見ていると、その食欲旺盛さに呆れを感じずにはいられない。

「……そんなに食べてると太っちゃうよ」

 ぼそっと呟く。ぴたり、彼の動きが止まった。はあ、とひとつ溜息が吐かれ、冷たい吐息が肌に当たる。

「食事のための吸血じゃない。ただの味見だ」
「味見……?」

 再び彼の舌が首筋を這い始め、時折戯れのように、既に刻まれている吸血痕に軽くキバを引っ掛けていた。

「女は処女を失うと血の味が変わる。あの時お前の血の香りが変わったからな。必要が無かったから吸わなかったが、今になって興味が湧いてきたんだ」
「ああ、なるほど、それで」
「……噛むぞ」
「ん」

 何故か律儀に断ってから、彼は首筋にキバを穿った。十数時間ぶりの血を抜かれる感覚。短時間でこれほど吸血されても意識を失わないのは、人間と吸血鬼の強度の違いなんだろう。人間だったら間違いなく失血死しているはずだ。こくこくと飲み下す音と、時折彼が漏らす吐息だけが聞こえる。十数時間前に感じていた吸血の快楽とやらはさっぱりなくなっていた。平常状態に戻った今になって改めてあの薬の強力さを思い知らされる。とんでもないものを飲まされたものだ。出来ることなら二度と飲みたくないものである。
 そんなことを考えている内に彼の吸血は終わったらしい。顔を上げて一息ついている。唇が血で汚れていない。冷静な時の彼はとても上品に吸血をするらしい。まあ、私が吸血される時は、冷静でないことの方が多いのだけれど。

「どうだった?」
「ああ、前よりは俺好みだ」
「そ、良かったね。じゃあ私寝たいから、退いてもらっていい?」

 しかし彼は退いてくれない。無表情で私を見下ろしていたかと思うと、腕を離して上体を起こし、ベッドの上に膝立ちの状態になる。寝かせて欲しい。

「お前、あんな目に遭わされて、怯えもしなければ怒りもしないんだな。一歩間違えれば死んでいたかもしれないんだぞ。処女を失ったのだって不本意だろう。それで今のお前の態度かと思うと、図太いというかなんというか」
「……怯えて欲しいの?」
「いいや? 理由を聞いておこうと思ってな」

 と言われても。確かに六日間瀕死の思いだったけれど、怒りは感じていないし、怯えもない。何故かと言われても、感じないものは感じない。強いて言うなら、ユイがアヤトに吸血されているのを見たあの日、私は彼のお遊びに付き合うと決めたのだ。彼が満足して私を殺すか解放するか、どちらかの終わりを迎えるその時まで。だから、あの薬が彼の戯れだと分かっている以上、私にはそれに付き合う義務がある。さて、これを彼に伝えるべきなのか。思考を言語化するというのは何とも骨が折れる作業なのだ。

「まあ、何て言ったら良いのか分からないけど、君が私に何をしようが、私は怒りもしないし怯えもしないよ。勿論殺されたとしてもね。……出来ればあの薬は疲れるからやめて欲しいけど」
「……俺の意思に全面的に従うと?」
「そういうことになるね」
「まるで奴隷だな」

 軽蔑したような表情で吐き捨てる彼に「まるでじゃなくて奴隷そのものかな」と返せば、苦虫を噛み潰したような顔になった。不思議な反応だが、彼にはこういうところがある。自分で私に対して一般的に『酷い仕打ち』と称される行為をしておきながら、全然楽しそうではなく、むしろ苦しそうな顔をする時があるのだ。自分が苦しいならやめればいいのに、彼は自覚していないのか、自覚していてなお実行するのか、とにかくやめない。自分と似ている私を壊して自分を壊す疑似体験をしているのかもしれない、というのが私の推測なのだが、そうなると、彼は自虐行為を繰り返す愚か者ということになる。だからといって私が彼に何かをしてあげる、とかいうつもりはないのだが。
 彼は自分の顔を覆うように片手をあてて、はあ、と深い溜息を吐く。そのまま静止してしまった。何かを考え込んでいるのかもしれない。とりあえず眠たいから退いて欲しい。それを口に出そうか迷っていたら、彼が自分の手を顔から離した。そこには不機嫌そうな表情も苦虫を噛み潰したような表情も浮かんでいない。いつも通りの無表情だ。
 彼は右手を私の眼前に差し出してきた。意図が分からず首を傾げていると、「食事だ」と素っ気ない調子で言われる。

「思い出した。お前、この屋敷に来てから一度も吸血していないだろう。曲がりなりにも俺より純粋なヴァンパイアのお前は、人間の食事など摂取したところで空腹は満たされないんじゃないか?」
「……まあ、そうだけど」
「だから、食事だ。有難く思えよ。この俺がわざわざお前に血を差し出してやるんだからな」

 ほら、と言いながら手を突きつけてくる。確かに、最近空腹を感じていた。風呂上がりに水を飲んでも喉が渇いていたのは、単純に吸血衝動が燻っていたからだ。吸血衝動は吸血以外に緩和手段がない。とはいえ、彼から吸血するのは何となく抵抗がある。今吸血しなくたって死にはしないし、出来ることなら断りたい。それを告げようと口を開けば、声を発する前に指を突っ込まれた。口を閉じるに閉じれず唾液が溜まっていく。

「ほら、噛め」
「へほ、はんはひひゃ(でも、何かいや)」
「……仕方ないな」

 言葉と共に指を引き抜いて貰える。安堵して口を閉じる私をよそに、彼は自分の口元にその腕をもっていくと、思い切り噛み付いた。六日前、熱から逃れるために自分の手首に噛み付いた私みたいな行動だった。違うことと言えば、彼は自分の血液を啜っていることくらいか。私が唖然としている間に、彼は淡々と自分の腕から吸血していく。

「……君、そういう趣味あったん、」

 だ、と言い終わる前に、彼は私の顎を掴むと唇を合わせてきた。口の中に溜めていたらしい自身の血液を私に流し込んでいる。突然やってきた血液に一度軽く咳き込んでしまうが、唇は離れない。唇を閉じることも出来なくて、結局私はこくんと音を鳴らして口に溜まった血液を飲み下すしかなかった。
 血が、身体に、染み渡るようだ。脳裏にいつもこびりついていた吸血衝動が沈静化していくのが分かる。私は食事のスパンが極端に長いから、吸血衝動を抑え込むのも慣れている。それでも、一度他人の血を口にしてしまうと、抑え込んでいる衝動が表に出てきてしまう。
 口に流し込まれた血を全て飲み干し、もっと欲しいと、彼の舌に自分のものを擦り付けた。僅かに残った血液も全て奪い取る。血の味が完全にしなくなるまで続けた。
 彼の顔が離れていって、ほら、と再度腕を差し出される。今度は先ほど彼が自分で吸血していた箇所だ。私はもう何も言わず、ただこくんと頷いて、彼の腕にキバを突き刺した。




 一頻り吸血し終え、彼の腕からキバを抜いて、久方ぶりの他人の血の味に酔いしれた。微かな痺れと共に全身に力が漲るような、心地よい感覚だ。慢性的な空腹が満たされ、今度は睡眠欲がやってくる。依然彼は私の上に跨ったままだが、もう構わない。先ほど剥ぎ取られた布団を手繰り寄せて両腕に抱え込み、横向きになって目を閉じた。
 彼の動く気配がする。寝ている私のすぐ横(正確には横向きに寝ている私の背後)に身体を横たえたようだ。後ろから腕がのびてきて、お腹の辺りを拘束される。閉じた太腿を割って膝が差し込まれた。生で晒したままの太腿に彼のズボンが擦れてくすぐったい。まさかここで寝るつもりなのだろうか。この体勢もかなり寝にくい。が、疑問や不満を口に出すにはあまりにも眠すぎた。後ろからがっちりホールドされたまま、意識は遠退く。


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