私は末っ子に嫌われているらしい。
 彼の母親は、逆巻兄弟に四人いる母親の中で唯一今も生存している人物だ。シュウやレイジ、三つ子たちは、因縁は残しつつもある程度母親との決別を終えている。それに対してスバルは母親がまだ生きている分、兄弟の中でもカールハインツに対する憎悪が殊更大きかった。当然、瓜二つと言われるほど似た容姿を持つ私に嫌悪を抱くのも自然な成り行きだ。
 元々静かな空間が好きな私にとって、苛立てばすぐに物に八つ当たりする暴れん坊の末っ子とは相性が悪く、あまり一緒に過ごしたい相手ではなかった。向こうも私を嫌ってくれているし、これまで殆ど接触せずに済んでいた。
 一度だけ学校帰りのリムジンの中でふたりきりになったことがある。スバルは普段兄弟から離れて独りになりたがったり、話しかけるなと他人を追い払ったりする割には、ふたりっきりの空間になると気まずくて仕方ないのか、話し相手を求めて声をかけてくる。それがたとえ憎むべき父親に良く似た容姿を持つ私であっても、だ。
 あの時は散々な目にあった。珍しく絡んで来たなと思いながら相手をしていたら、大声でキレるわ車内で暴れるわ。何故彼があそこまで怒っていたのかは全く思い出せないのだが、とにかくあの出来事以降私は二度とこの末っ子とふたりきりにはならないと決意していた。
 しかし現実とは無慈悲なものだ。



「……んな所で何してやがんだ、お前」
「スバルと目的は一緒に見えるけど」

 今日は授業に出る気分になれなくて、保健室のベッドを一つ占領して時間を潰していた。何もせずただ寝ているだけというのは時間の浪費にしか思えず、ベッドに横たわってから「図書室に行けば良かった」と後悔したが、消毒液の匂いは嫌いじゃない。たまにはこういう怠惰な過ごし方も良いだろうと思って、自分のものには劣るけれどそれなりに寝心地の良いベッドでごろごろしていた。
 二限目終了のチャイムが鳴って暫くした後、何でそんなに音をたてられるんだと疑問に思うくらい五月蝿く扉が開かれた。この無作法な闖入者は誰かと首をあげたら、そこには家で見慣れた白髪赤目のスバルが居たのだ。
 彼は私の姿を認めるとあからさまに舌打ちして、先ほどの言葉を吐いた。

「スバル、ちゃんと授業出なきゃダメだよ」
「オレの目の前でだらけてる奴が言えたクチかよ、うっぜ。オレに指図すんな」
「うん、ごめんね、言ってみただけ」

 レイジの真似事をしてみたら、心底鬱陶しそうに顔を歪めたスバルが吐き捨てるように言う。私は相当嫌われているらしい。いや、彼は他の兄弟に対してもこんな対応だったか? まあ、どちらでも良かった。
 これ以上会話を続けて彼の怒りに触れるのも面倒なので、ごろんと身体を回転させて彼に背を向けた。直後盛大な舌打ちが聞こえてくる。それから、彼が隣のベッドに身体を投げ出した音が響いた。
  このままお互い沈黙を貫けば下校まで関わらずに済むだろう。それがお互いのためになる。そこまで考えたら、少し眠くなってきた。寝てしまおう。私は目を閉じた。

「なあ」

 背中にスバルの声が投げられる。気配で彼がこちらを向いているのが分かった。折角眠りに沈めそうだったのに、邪魔されたことに少なからず苛立ちを覚えて、聞こえないフリをした。

「おい、起きてんだろ」
「……」
「おい! 聞けよ!」
「……五月蝿い、黙って」
「お前が起きてるくせに返事しねえからだろ」

 怒鳴り出すと手が付けられない。無視し続ければ彼がヒートアップするのは目に見えていたから、身体を再び回転させて今度はスバルに向き合った。ベッドの上で胡座をかいているスバルの赤い瞳と目が合う。
 自然と睨んでしまうのは、向こうが私に嫌悪感を抱いているからだ。流石に自分を嫌う相手に好意を抱けるほど能天気な性格はしていないつもりだ。

「……何睨んでんだよ」
「寝たいんだけど、用事は?」
「チッ、クッソむかつく女だなお前は……ッ! まあ良いぜ。お前さ、」

 そこで口を噤む。何か言葉を探しているようで、口を開いては、閉じる。興味のない話の続きを待つのが億劫で、目を閉じて眠りに就こうとしたら、「寝てんじゃねえよ!」と五月蝿い叫びが耳を劈いた。そのままの勢いでスバルが怒鳴る。

「お前、何でオレのこと避けてんだよ、ああ!?」

 ……。こいつは何を言っているんだ。

「スバル」
「んだよ」
「話し相手を間違ってるんじゃない? あんまり引きこもりすぎて兄弟の顔の見分けもつかなくなったとか?」
「馬鹿にしてんじゃねえ! オレはお前に言ってんだよ!」

 本当にスバルが私にそれを言っているのだとしたら、それこそ「何を言っているんだこいつは」という感想を抱かざるを得ない。  頭の軽い末っ子に説明してやるのは面倒だったけれど、無視すれば大声が待っている。気怠いが仕方が無い。

「スバル、父さんのこと嫌いでしょ」
「当たり前だ。誰があんなヤツ……」
「自分で言うのは不本意だけど、私は父さんに似てるでしょ」
「……それが何だよ」
「父さんに向けているような殺気を、似た容姿の私に向けて、嫌悪感丸出しにして、私のことを避けていたのはスバルの方じゃない。流石に私を嫌う相手に優しくするほど性格良くないよ、私」
「は?」

 スバルは本気で訳が分からないという顔をしていた。まさか無自覚だったとでも言うのか。これ以上どう説明すれば良いんだと考えたら頭が痛くなった。

「まあそういうことだから」
「おい待てよ。オレはお前に殺気なんざ向けてねえぞ」
「無自覚なんでしょ。もういいじゃんそれで、めんどくさい」
「ホンットお前はムカつく女だな……! オレの顔見る度に死んだ目えしやがって、腹立つんだよ!」
「あーごめんごめん」
「適当に流してんじゃねえ! おいコラ背中向けんな!」

 もう話を打ち切ろうと寝返りを打ったら、ベッドから立ち上がったスバルが私の肩を掴んで無理矢理視線を合わせてきた。私の機嫌もいよいよ悪くなってきていて、容赦無くスバルを睨み上げれば、らしくもなくスバルは怯んだらしい。
 いい加減寝かせろ、という気持ちを込めて睨み続けると、バツが悪そうな顔をして、スバルは空いている手で顔を覆って唸った。

「じゃあ何、末っ子で甘えん坊なスバルくんはお姉ちゃんに仲良くして欲しいの?」
「だからその棘のある発言をやめろっつってんだよ……クソが……」
「スバルが話しかけなければ良いじゃない。私も平穏、スバルも平穏。万々歳でしょ?」
「あーー! うっぜえ!」

 喚いてから、ぐぐっとスバルの顔が近づいてきた。本当に五月蝿い。

「……親父への殺気が漏れてたんなら、……謝る。オレはお前のことを嫌いと思ったことなんざねえ。別に特別構えってんじゃねえよ。ただ、オレの顔見る度に視線背けるのをやめろ。……なんか腹立つんだよ」
「……ふうん」
「んだよその顔は」
「どんな顔してる?」
「ニヤニヤしてんぞ。気持ち悪ィな」

 どうやら私は笑っているらしい。
 半分とはいえ人間の血が流れている私は他人の悪意に敏感だ。スバルに向けられる殺気に初めは怯えていて、その怯えから目を背けるために、私は彼に対して嫌悪を抱くようになった。長年築かれた負の関係性はそう簡単に覆るものではない。禍根だって残ったままだ。父さんへの殺気を向けられたのは、私の勘違いではなく事実なのだ。それがスバルには無意識だったというだけで。
 けれど、「相手に嫌われていなかった」と分かるのは、少しだけ嬉しい。他人に悪意を向け続けるのは存外しんどいものだからだ。でも、もう必要はないんだ。

「スバルはお姉ちゃんっ子だったと」
「違え」
「お姉ちゃんと仲良くしたいと」
「姉貴ぶってんじゃねえ」
「まあそんなに末っ子が頼むのなら聞いてあげようかな」
「おい聞けよ、にやけんな!」

 いつものように五月蝿いスバルの怒鳴り声だけれど、彼の表情が比較的柔らかいものだったから、まあ良いんじゃないかな。


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