「ちょっと貴女、こんなところで寝ないでください。どこぞの穀潰しを思い出して苛々します。貴女まで私の頭痛の種にならないでくださいよ」
「んー……?」

 ゆさゆさとかなり乱暴に身体を揺さぶられる。折角リビングのソファに横になって気持ち良く眠っていたのに一体誰が、と疎ましさを感じながら目を開ければ、眉間に皺を寄せて私を睨み下ろすレイジの顔があった。

「……なに……」
「何、ではありません。そんなところばかりシュウに似ないでください。ほら起きて、眠いのなら自分の部屋に戻りなさい」

 くいっと眼鏡を押し上げ溜息混じりに命令される。何度か瞬きをして眠気を醒まそうとしたけれど、醒めるどころか益々深くなるそれに、私は逆らわず目を閉じた。
 と、同時におでこを叩かれる。ぱしーんと良い音が鳴った。

「……痛い」
「当たり前です、痛いように叩いたんですからね。ほら、眠気も醒めたでしょう? 起き上がりなさい」
「…………あと五分」
「駄目です」

 ぴしゃりと却下され、仕方なく身体を起こした。これ以上粘ったところでレイジは決して諦めないし、またおでこを叩かれるのも嫌だ。うちの母親役には逆らわないに限る。

「全く、貴女は兄弟の中では手のかからない方だと思っていましたが、寝起きに関しては一二を争う酷さですね」
「次男様のお褒めに与り光栄です」
「褒めていませんしその話し方はやめなさい、腹立たしい」
「ごめんごめん」

 リビングで眠られるのが嫌なだけで起きさえすればそれで良いらしい、レイジは私の向かいのソファに腰掛けると、優雅な動作で足を組んだ。
 レイジは私と同い年だ。ベアトリクスの産んだ二人目の子供であり、長男のシュウと唯一両親が同じ男。母親の外見を色濃く受け継いだシュウとは対照的に、レイジはどちらかというと父親似だった。彼の赤い瞳は私のものとよく似た色をしている。共に父親から受け継いだものなのだから当然と言えば当然だけれど、レイジの瞳をじっと見ていると鏡の中の自分を覗き込んだ気分になる。
 私は他の兄弟から敬遠され、あまり関わりを持たずに暮らしてきたけれど、一応一緒に暮らしているため少なからず彼らに対して何かしらの感情は抱いている。別に存在を無い物として扱っている訳ではないのだ。
 三つ子は五月蝿くて苦手だし、末っ子は思春期すぎて扱いに困る反面、シュウやレイジはそれなりに落ち着いた性格をしているから、一緒に居ても苦痛じゃなかった。三つ子や末っ子は父親であるカールハインツに対する憎しみを隠そうともせず、見た目がよく似ている私にも同じ様な感情を向けてくるから、それが苦手というのもある。少なくともレイジは私に父さんに対する殺意を向けてくることはなかった。
 じっとレイジの顔を凝視したせいか、彼は鬱陶しそうに顔を歪めて「人の顔をじろじろ見るものではありません」と注意してきた。「ごめん」と気持ちのこもっていない適当な謝罪を返せば、それを見透かしたレイジは深く溜息を吐いた。こいつこんなに悩んでたら近いうちに禿げるんじゃないのか?

「……貴女、随分と顔色が悪いようですが?」
「そう?」
「ええ、顔が青白い。もしや、気がついていなかったのですか?」
「うん。最近疲れるなとは思ってたけど」
「呆れたものですね、いくら我々がヴァンパイアで、身体が丈夫であるとはいえ、体調管理は自分でするものですよ」
「ふうん」
「それで。貴女、最後に食べたのはいつなのですか?」

 私のものによく似た赤い瞳が鋭い光を湛えて、私を射抜いた。どことなく呆れを含んだ表情の奥にあるのは、きっと軽蔑なんだろう。
 レイジは他の兄弟たちと違って、吸血の快楽に溺れることを良しとしない。享楽に身を任せるのは自分の情けない姿を晒すことだと思っているらしい。彼は自分がヴァンパイアというそれなりに上等な魔族で、かつ吸血鬼の王の血を引いていることに誇りを持っている。ヴァンパイアとは、純血で高貴な立場の者とは、こうあるべきなのだ、そういう古臭くてお堅い形式を愛し、そこから自分が外れないよう、自分の吸血鬼の本能に混じる悦楽を求める側面を無理矢理押さえつけている。とはいえ彼はヴァンパイアであり、吸血をしなければ生きていけない。だから偏執的なまでにストイックな彼は、吸血を完全に食事と割り切り、必要な時に必要な分だけ、という姿勢をとっていた。
 そういう彼からしたら、自分の体調を崩し餓死しそうになるまで吸血を避ける私は、ヴァンパイア失格なんだそうだ。その評価も最もだと思うし、それで軽蔑されることに異論はなかった。
 追及してくる赤い瞳の光が少しだけ怖くて、さりげなく視線を逸らしてみたけれど、硬い声で名前を呼ばれて返事を催促されてしまう。

「……半年前。適当に見つけた男から」
「……毎度思いますが、餌の質くらい見極めたらどうなんです。どうせその男も口に合わなかったんでしょう」
「まあ。でも、食べられたらそれで良いから」
「そうですか」
「そうなんです」

 レイジが押し黙る。何かを言おうとしている空気が伝わってきて、嫌な予感がした。

「……小森ユイから吸血しないのですか?」

 予感は当たっていた。

「彼女の血は、長い間生きてきた私がかつてお目にかかったことがないほどに極上なものです。空腹でもないのに、側にいるだけで食らいつきたくなる」
「美味しそうな匂いではあるね」
「彼女は貴女の側に居ることを選んだ。四六時中小森ユイに付きまとわれている貴女が、あの香りを側で感じながら、未だに吸血していないことが信じられません。ましてや今は倒れそうなくらいに飢餓を覚えているというのに」

 あまり突っ込まれたくない話題だった。思わず顔を顰めてしまうが、レイジはそんな私にお構いなく彼の疑問をつらつらと並べ立てる。この場を立ち去ろうにも赤い瞳はそれを許さない眼光を湛えていたし、どうあっても私の言葉を聞かなければ気が済まないといった様子だった。

「……何て言うか、食指が動かない」
「嘘をつくな」
「……」
「貴女は吸血さえ出来ればそれが男であろうと女であろうと厭わない人物だ。顔や身体の造形にも全く意識を向けたことがないじゃありませんか。ましてや、小森ユイの血は特別なものです。食指が動かないだなんて適当な理由が通ると思わないでください」

 何でこいつはこんなに饒舌に訊いてくるんだろうか。見下しているのなら放っておいてくれれば良いのに。腹が立って、今度こそこの場を立ち去ってやろうかと思ったが、純血のヴァンパイアである次男様に苛立っても仕方ないと思い直した。

「……ユイに対しては食欲がわかないんだよ」
「どういう意味ですか」
「隣に居るといい匂いはするし、いつも以上に空腹を感じるけれど、あの子を押さえつけて吸血したいとは思えない」
「……」
「あの子の首にキバの痕が残るのを見るのが嫌。血を出しているのを見るのも嫌。……あの子から吸血したら、今までやり過ごしていた吸血鬼の本能が剥き出しになりそうで怖い。そしたら多分、私は止まれない。ユイのことを潰すまで吸っちゃう。それが嫌だから、ユイに対しては食欲がわかないの」

 今度こそ正直な気持ちを話せば、レイジは軽蔑を隠しもせず顔に浮かべた。

「……貴女、まるでかつての穀潰しのようです。全く、どうしてこう私の神経を逆撫でするようにシュウに似てしまうんですかね」
「兄妹だから」
「思ってもいないことを言わないでください」

 きっとレイジの脳裏には、幼少の頃、人間と仲良くしていたシュウの姿が浮かんでいるんだろう。彼の心底うんざりした表情がそれを伺わせた。

「まあ、良いでしょう。死なない程度に吸血はなさい」
「うん」

 レイジは立ち上がると、疲れたように溜息を吐いて去って行った。彼はここに来て何度溜息を吐いたんだろうか。思い出して数えようとして、やっぱりやめておいた。
 さあ、母親役がいなくなったから、リビングでの昼寝を続けよう。


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