ルキくんはあまりベタベタしない人だ。
 私が勝手に何処かに行くのを許してくれず、基本的に自分の目の届く範囲に置いておこうとするけれど、それ以上は干渉してこない。たまに思いついたように吸血してくる時は、珍しく、主に私を辱めることを言うために饒舌になるけれど、その他の時は無言で私が同じ空間にいても自分の好きなことをしている。あまりにも暇を持て余して彼が読書している時に声をかけると、一応返事はくれるけれど、視線は本に向けたままだ。毎日一緒の布団で寝ているけれどいつも微妙に距離が空いているし、身体が触れることなんて滅多にない。
 何が言いたいかというと、たまには、その、ぎゅって抱き締めて欲しいなって思うんだ。

「あのさぁ、それをおれに言ってどうしたいの? エム猫ちゃんとルキくんの惚気話なんか聞きたくないんだけど」

 コウくんにそう相談したら冷め切った目を向けられた。綺麗な顔が呆れに歪む。

「ルキくんにどうやって伝えたら良いかな、って思うんだけど……」
「はっきり言えば良いじゃん。『人肌が恋しいから抱き締めて〜』ってね?」
「そ、それが出来たら苦労しないよ……! それに、ストレートに頼んだらルキくんはむしろ抱き締めてくれない気がするんだ……」
「ああ……うん。まあルキくんの機嫌次第だね。抱き締めて貰えない挙句後々ずっとからかわれる可能性もあるね」
「だから、確実にぎゅってして貰える方法を考えたいの」

 コウくんの顔がますます呆れたものになっていく。また馬鹿なこと言ってるよ、とでも思われているのかもしれない。けれど立ち去ることなく話を聞いてくれる辺りコウくんって相談役に向いてるなぁと思わずにはいられない。少なくとも「知るか」という台詞で投げ出すユーマくんや、そもそも話を聞いていないアズサくんとは雲泥の差だった。
 コウくんは指を頭の後ろで組んで、ぐーっと背筋を逸らした。

「じゃあエム猫ちゃんがルキくんに抱きついたら良いんじゃない? ルキくんならエム猫ちゃんの欲求不満くらい察してくれると思うよ」
「欲求不満って……」
「違うの? ルキくんに触れられたいとか思っちゃってるのに?」
「……」

 私の今の気持ちを言葉にすると確かに欲求不満ということになってしまうのかもしれない。とはいえそんな表現をされると何だか恥ずかしくなってくる。顔に熱が集まってきて、隠れるように俯く私をコウくんは鼻で笑った。

「……で、でも、ルキくん私のこと振り払ったりしないかな」
「しないと思うけど。でも突進したら避けられるかもしれないね」
「うーん……直接言うのと抱き着くのどっちが恥ずかしいのかな……」
「悩んでるとこ悪いけどさぁ、どっちも同じくらい恥ずかしいよ。それより、エム猫ちゃんはその軽い脳みそで考えるのはやめてさっさと実行してきたら?」
「え? あ、ちょっ」

 コウくんは私の手を掴んでぐいっと引っ張ると私を引きずり始めた。足の長さが違い過ぎて、歩いているコウくんに私は走ってついていかなければならない。転けないように必死に彼の後を追って着いたのは、私の生活している――ルキくんの部屋だった。


   *


 ルキくんはソファに腰掛けて本を読んでいた。日本語でも英語でもない文字で書かれた妙に分厚いものだ。多分私が見ても一ページも理解出来ないんだろうなぁ、と虚しい気持ちになってくる。もし私がルキくんくらい博識だったら会話に困ることもなくて済むのに、と思わずには居られないのだ。二人で居ても無言になってしまう要因の一つは、ルキくんと私の頭の出来に違いがあり過ぎることだと思うから。
 ルキくんはコウくんに引きずられて部屋に戻ってきた私に一瞥をくれただけで、いつも通り一人で読書を進めている。私の存在なんて意識に入っていないと言わんばかりの態度に、私は扉の前から動くこともできず指先を擦り合わせて緊張を紛らわせることしかできなかった。
 でも、ここで突っ立っている訳には行かず、私の目的を達成するためには行動しなければならない。恥ずかしい気持ちを抑えるために三回深呼吸したあと、私は震える足を何とか動かしてルキくんの座るソファに近づいた。本を読んでいる彼の邪魔にならないように、出来るだけ物音を立てないようにして隣に腰掛ける。ルキくんの読んでいる本は近くで見れば見るほど難解なのが分かるもので、隣から眺めているだけなのに目が回りそうになった。

「る、ルキくん」
「なんだ」

 視線は本に向いたまま。
 声を掛けてもこっちを見てくれないことに、普段の私なら寂しさを覚えたかもしれない。けれど、今は恥ずかしさで赤く染まった顔を見られないことに感謝するしかない。おずおずと両腕を伸ばして、ルキくんのお腹の辺りに腕を回した。そのまま力を入れてぎゅうっと抱き着く。
 たっぷり二十秒、ルキくんはいっそ気持ち良いくらいに無反応だった。その間も腕の力を緩めずに抱きついていれば、返ってきたのは深いため息。

「……何の用だ」

 コウくんは、こうすればルキくんは私の気持ちを察してくれるだろう、と言っていたから、わざわざ「抱き締めて」と言葉にしなくて済むようこの行動に出たのだけれど、なかなか上手くはいかないらしい。
 恐る恐る顔を上げれば呆れた顔をしたルキくんと目が合う。私は抱きついているだけで心臓がばくばくして顔が熱くなるのに、ルキくんは全然そんなことないみたいだ。普段通りと言った様子のルキくんが何だか憎らしくなってくる。

「お願いがあるの……」
「早く言え。お前のぐずぐずした態度で俺の貴重な時間を無駄にしてくれるな」

 むっ、としてしまった。
 確かにルキくんの読書の邪魔をしたのは申し訳ないし、彼の時間は私のものより貴重なのかもしれないけれど、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。
 私は苛立ちに身を任せて彼の膝に乗っている本を取り上げると、しおりを挟んでルキくんの手の届かない机の端っこに本を置いた。自分の本を取られた怒りで少し眉間に皺を寄せているルキくんを無視して、先ほどよりも強く抱き着く。彼の膝に乗っていた本という障害物がなくなったため身体を寄せ易くなっていた。

「ぎゅうってしてほしいの」
「……そんなことで俺の本を奪ったのか」
「そんなことじゃないもん……」

 ルキくんの肩に頭を擦り付けながら答えると、彼は私の顎を掴んで視線を無理やり合わせた。

「ほう、ならお前の言い分を聞いてやる」
「……ルキくんって、一緒に部屋に居ても本ばっかり読んでるし、吸血以外では触ってもくれないでしょ?」
「確かに、そうだな」
「だから、たまには、吸血とか関係なく、ぎゅって抱き締めて欲しいなって……思ったの……」

 さっきまで蔑ろにされた苛立ちを感じていたんだけど、先ほどの不機嫌そうな表情から一転、口元に笑みさえ浮かべながら私の話を聞くルキくんの顔を見ていたらその気持ちが萎んできてしまった。ああ、ルキくんったら私のこと見て楽しんでる。私はそれなりに切実に悩んでいるんだけれど、彼にとっては馬鹿な家畜のくだらない要望でしかないんだろうなぁ。そう思ったら、彼の時間を無駄にさせているのも申し訳ないし、私の悩みもくだらないし、そんなこと望むのもおこがましいのかもしれない、という気持ちになってきた。
 自然と彼の腰に回していた腕から力が抜けて、それと同時にルキくんが私の顎から手を離した。変なことを頼むのは諦めてコウくんと雑談でもしてこよう、そう思ってルキくんに背中を向けた、んだけど。

「そう拗ねるな」

 後ろから腕が伸びてきてお腹を拘束された。驚いて固まっている間に身体を引き寄せられ、腰を持ち上げられたかと思うと、ルキくんの足の間に座らせられあっという間に抱きしめられてしまう。

「ル、ルキくん、どうしたの」
「お前が抱き締めろと言ったからしてやっているんじゃないか」
「でも、私がその……頼んでる時、バカにした感じで笑ってなかった……?」
「今でもお前の言っていることは馬鹿馬鹿しいと思っているが……まあ、人間の女なんてそんなものだからな」

 ルキくんが私の肩に顎を載せ、溜息混じりにそんなことを言う。人間の女……って言い方をするということは、ルキくんは今まで「家畜」と呼んで飼っていた女の人か、それなりに深い関係になった女の人が何人か居たのかなぁ……。彼の過去に不満を持っても仕方ないけれど、嫉妬のような感情が胸の辺りにもやもや溜まって行くのが感じられた。
 我ながら可笑しな話だと思う。彼は私のことを餌と思っていて、およそ対等とは程遠い扱いをしてくるのに、そんな彼のことがどうしようもなく、好きなんだ。

「……ルキくん、正面からぎゅってしたい」

 嫉妬心と愛されたいという気持ちがふつふつと湧き上がってきて無意識の内にそう零せば、笑いを含んだ声が返ってくる。

「注文が多い奴だな。……ほら」

 ルキくんが腕の力を緩めてくれたから、私は身体を反転させて真正面から彼にしがみついた。腰に腕が回ってきて引き寄せられ、ふたりの身体に隙間がなくなる。
 ルキくんの身体はヴァンパイア特有の冷たさを持っているけれど、どうしてこんなに落ち着くのだろうと疑問に思うくらい気分が休まった。こんなに落ち着いた気持ちになるのは久しぶりかもしれない。私より大きな身体にすっぽり抱きしめられて、このまま眠ってしまいたかった。

「……お前は、甘い香りがするな」

 片足を眠りに突っ込んでいた私の耳に、とても穏やかな声色の言葉が飛び込んできた。

「甘い……におい? 血の匂いのこと?」
「それもあるが、俺が言っているのは血の匂いのことじゃない。皮膚の下から香る血の匂いに混じって……お前自身の肌の匂いがするんだ。それが、甘い」

 すんすん、と匂いを嗅がれる。ヴァンパイアは人間より遥かに嗅覚が優れているらしい。そんな彼に体臭を嗅がれて、恥ずかしさのあまり逃げるように身を捩るけれど、ルキくんの腕の力が強くなってしまって動くことはできない。

「それに……お前の身体は柔らかいな」
「……それって贅肉が多いってこと?」
「太ってはいないから安心しろ。その分哀しいくらいに胸も貧相だがな」
「……」
「隣に立っている時は、細過ぎて抱き心地が悪そうだと思っていたが、実際こうしてみると中々悪くない」

 はぁ、と溜息を吐いたルキくんが更に腕に力を込めた。

「……らしくないな」
「……どうしたの?」
「キスをしろだの抱き締めろだのと求めてくる人間の女の気持ちはさっぱり理解出来ないが……こうしてお前の身体が自分の腕の中にあることに、俺は安堵を覚えているらしい」
「……どういうこと?」
「分からないならそれで良い。これ以上は教えてやらん」

 続きを催促するように彼の背中をとんとんと叩くけれど、本当にこれ以上説明してくれる気はないらしい。ルキくんは私の首元に顔を埋めるとそのまま黙ってしまった。
 ルキくんの言葉の意味を全て理解することはできないけれど、少なくとも私とこうしていることで安堵を覚えてくれるということは、私と同じでこの時間が心地良いと思ってくれた、ということなんだろう。それだけで十分だ。この行為に喜びを感じているのが私だけじゃないことが嬉しくて、私はすりすりとルキくんに擦り寄って目を閉じた。


(20140106)
知的キャラ特有のストイックさが彼の魅力だと思いますがたまにはこういうのも良いよね、ということで。


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