※モアブラ後半的な関係性
※ヒロインが病んでる



 放課後の廊下にて。
 コウくんは彼のファンである女子生徒たちに囲まれていた。私は彼を中心に形成される人の輪から四歩離れたところで、彼の帰りを待つ。彼女たちはコウくんといつも一緒に居る私に対して敵対心を隠そうともせず、嫉妬と殺意をのせてこちらを睨みつけてくる。コウくんも当然それを承知の上で、敢えて私に「この場で待つこと」を命じた。
 お前は無神コウに相応しくない、身の程を知れ、思い上がるな、お前は遊ばれているだけだ。そう無言で語ってくる彼女たちの視線が怖くて、逃げるように私はじっと自分の足の爪先を見つめていた。それでも身体の側面にはびりびりと彼女たちの念のようなものを感じた。
 女の嫉妬とは恐ろしいものだ。陰湿で、粘着質で、精神力を削り取るような力を持っている。ただ睨まれているだけなのに私の心臓にはちくちくと痛みが走っていた。心臓を壊しそうで壊さないその絶妙な悪意の裁量は、針をあてられた風船が割れそうで割れないような緊張感のある光景を想像させた。
 コウくんは自身を囲む女の子たちの壁の向こうにいる私をさりげなく観察して、俯き曇った顔を見てはとても満足そうに笑う。嘲笑としか言いようのない彼の笑みに、私は更に惨めな気持ちになっていく。
 私は彼が好き、それも、どうしようもなく。でも彼はそうじゃない。血を奪うためだけに私を飼い、気紛れに私を弄び、そして飽きたら捨てる。私がどんなに楽観視しても未来には暗い絶望しかなくて、それが分かっているのに彼のそばから離れられない。もしかしたら、もしかしたらいつか彼も同じ気持ちになってくれるのでは、という淡い期待に縋って、私は心臓の悲痛な痛みから目を逸らすのだ。
 この拷問のような時間がいつから始まって、何度繰り返したのか、もう分からなくなってしまった。そしていつも通り、この時間は彼の一言で終わりを告げる。

「それじゃあおれはそろそろ帰るから」
「えーっ、コウくんもう行っちゃうの?」
「ごめんね? あの子が寂しそうな顔をしておれを待ってるから、さ」

 コウくんが女子生徒たちの意識を誘導するように、演技がかった仕草でこちらへ視線を向ける。釣り上がった幾つもの瞳が殺さんばかりの鋭さで私を睨みつけた。
 全員の悪意を一身に受け身体を縮こませる私に歩み寄ろうと、人の輪を掻き分けていたコウくん。彼の腕を、ひとりの女の子が掴んだ。彼はテレビや雑誌で見せているような完璧な笑顔を貼り付けて、「どうしたの?」なんて優しく問うている。私にはあんなに優しい声で話しかけてくれたことはない。何日も一緒に暮らしている内に、あの笑顔や声が作り物だと分かったけれど、その作り物の優しさすら向けて貰えない私は一体どれほど惨めな存在なんだろうか。

「ねえ、いつも一緒に居るけど、あの子は誰なの? コウくんの何なの?」

 ふふっ、と心底楽しそうに笑って、彼は内緒話でもするように、その女の子の耳元に唇を近付けた。顔が真っ赤になる女の子に囁いた声が、不思議と私にまで届く。

 ――あの子はね、おれの大事なペットだよ

 その言葉の意味が分からず、けれど憧れのコウくんに囁かれた嬉しさで思考を停止させている女の子の腕をやんわり外させると、コウくんは今度こそ私の元にやってきた。隣に立って、わざわざ見せつけるように私の肩を抱くと、ぐっと自分の方へ引き寄せる。

「じゃあまたね!」

 挨拶の返事を背中に受けながら、コウくんは私の肩を抱いたまま踵を返して玄関に向かう。彼への黄色い声と同時に、私の背中には幾人もの負の感情が投げつけられていた。
 肩に触れる手はひんやりと冷たい。
 玄関前に停まっているリムジンに乗り込むと、コウくんは途端に笑みを消して、深く溜息を吐き出した。頭をがしがし掻き毟りながらあー、と低い声で唸っている。車内の温度が下がった気がした。

「ほんっとうざい。くっそ、勝手に触りやがって……」

 ぶつぶつと呟きながら腕の辺りを摩っている。先ほど女の子に掴まれたところだ。彼女の想いを踏み躙るようなその光景が、自分自身の彼への想いの末路と重なって見えて、私はその情景から逃げるためにぎゅっと目を瞑った。

「……はっ、何でそんな顔してんの?」

 すぐ近くで声が聞こえ、はっとして目を開ければ、目の前にコウくんの顔があった。

「……ううん、別に、何でもないよ」
「あっそう。どうでも良いけどさ、おれイライラしちゃったから血、吸わせて?」
「……うん」
「ふふっ、素直な子は好きだよ? たくさーん気持ち良くしてあげるからね」

 肩を掴んで座席に倒され、コウくんが上に乗り上げてくる。相変わらず不器用な彼はリボンを外すのに苦労しているようで、何だか微笑ましいなあと思っていたら、不貞腐れた顔で「……破って良い?」と言われてしまった。破かれなくて済むならその方が良いので慌てて自分でリボンを解き首元をくつろげて首筋を差し出した。
 キバが肌に刺さり、彼が血液を飲み下す音と共に私の身体にじわじわと快感が広がっていく。座席に背中を預けているというのに、背もたれを掴んで体を支えていないと身体が何処かへ飛んで行ってしまいそうだった。
 何度目かの吸血の後、顔を上げて私を見下ろしたコウくんの唇は、零した血で真っ赤に染まっていた。舌で唇についた血を舐めてから、満足そうににこにこ笑う。
 女の子たちに見せていたアイドルとしての笑顔ではなく、吸血鬼としての嗜虐性に満ちた笑みだ。私に見せてくれるのはこんな酷薄なものばかりで、自分はやはり彼の餌でしかないのだと自覚して悲しい気持ちになってしまう。

「あー美味しかった。エム猫ちゃんも気持ちよかった?」
「……うん」
「なぁにその不満そうな顔」
「ひとつ、聞いても良い?」
「ん?」
「……コウくんはどうしてファンの子たちに囲まれている間、私をその場で待たせるの?」

 心が押し潰されそうな気持ちに耐えられず、今まで溜め込んでた言葉が零れてしまった。こんな面倒なことを言ったら彼に見放されてしまうかもしれないのに。今に彼の笑顔が消えて罵倒されてしまうに違いない。そう思ったのだけれど、私の予想に反して、コウくんは笑みを深めただけだった。

「そんなの決まってんじゃん。おれがファンの子たちに囲まれて、それを離れた所から見てるエム猫ちゃんの顔が惨めで可愛いからだよ」
「……」
「ふふっ、傷ついた? エム猫ちゃんって可哀想なくらいブサイクだけど、嫉妬してたり傷ついてる顔はすっごく可愛いよ。見てて安心する」

 どう肯定的に受け取ってもまったく褒められてない言葉が返ってきて、予想していたことなのに落ち込んでしまう。彼の右目は人の思考を見透かす能力を持っていて、あの拷問のような時間、私の心がズタズタに引き裂かれているのは当然知っているはずなのだ。そう、それを敢えてしてるのも、初めから分かっていた。
 私の心を壊して喜ぶコウくん。なら、私が最後まで壊れたら、彼は喜んでくれるんだろう。



 場所は倉庫。
 女の子たちから浴びせられる罵声は、耳に入るだけで脳を素通りしていく。無言で突っ立っている私が気に食わないのか、グループのリーダー格とも言える女の子が私の胸ぐらを掴み上げて、頬を打った。じわじわ痛みが広がる。
 何か訳の分からないことを喚いて、女の子の内の一人が私の頭上でバケツをひっくり返した。水が入っていたらしく、私の身体は頭から足元までぐっしょりと汚れてしまう。
 バケツを放り投げて、最後に捨て台詞を喚いて、彼女たちは出て行った。
 服の裾を絞って水気を抜こうとしたけれど、あまりにもずぶ濡れすぎて全く効果はなかった。拭くものも持っていないし、このままここにいても仕方がないので、倉庫の外に出てしまうことにした。

「あーあー随分派手にやられちゃって」

 そこにはコウくんが立っていた。ずぶ濡れの私を見下ろして、空色の瞳に愉悦を湛えている。ゆっくりと、叩かれた方の頬を手のひらで撫でた。

「腫れてるよ、わかる?」
「……コウくん、どうしてここに」
「エム猫ちゃんがボロボロになった姿を見るためかな?」

 周りに人が居ないからか、コウくんは素に近い表情をしていた。あははっ、と軽快に笑って、私の叩かれた方の頬を、今度は思いっきりつねり上げる。叩かれた時の比ではない痛みに眉を寄せるけれど、やめてくれる気配はない。

「ふふっ、痛そ〜」
「……」
「おれのことで虐められちゃったんでしょ? じゃあ、おれが慰めてあげなくちゃね」
「……知ってたの?」
「もっちろん。エム猫ちゃんが中に連れ込まれた時からずーっと見てたよ」
「知ってて、助けてくれなかったの?」
「え〜? 何でおれがエム猫ちゃんを助けてあげる必要があるの?」

 ……ないね。ごめんなさい。
 その言葉は声にならなかった。分かってる、私はコウくんのペット兼おもちゃでしかない。助けて欲しい、守って欲しい、そんなことは望むだけ無駄なのだ。
 私は、もしかしたら、という淡い期待に縋ってこれまで過ごしてきた。けれど、それも無駄だと真正面から認識したら、心臓にじくじくと嫌な傷みが広がった。傷みは止まらない。
 ぱあん、どこかで風船が弾けた音がした。


   *


 エム猫ちゃんの嫉妬する顔が好き。
 だってそれはおれのことが好きで好きで仕方ない証だから。おれの義眼は他人の思考を見透かせるから、彼女が口にしないだけでおれのことを好きなのはちゃんと分かってるけど、そんなものよりもずっと、嫉妬している顔の方が彼女の想いを伝えてくれる。
 軽い暴力をふるっても、突き放しても、決しておれの傍を離れないのを見る度に、おれは「ああ、愛されてるなぁ」って実感がわいて、安心するんだ。おれも好きなのかって聞かれたらそれは分からない。ただの餌かって言われたらそれはちょっと違うから、きっと大切ではあるんだと思う。
 とにかく、おれはエム猫ちゃんを逃がさないよう、彼女の心が変化していないことを確かめるために、何度だって嫉妬させてやるんだ。
 ……でも、最近様子が変なんだ。
 おれがいつも通り廊下でファンの子たちに囲まれ、エム猫ちゃんを放ったらかしにしていても、全然悲しそうな顔をしないんだ。おれのこと好きなんだよね? そう思って彼女の思考を覗いてみても、ちゃんとおれへの想いは存在していて、それどころか前にも増して大きくなっていた。
 そのことに安心すると同時に、じゃあどうして、前みたいに悲しそうな顔をしないんだろう。不思議に思ったから、訊いてみたんだ。そうしたら、ここ最近見たことがないくらい明るい笑顔で、

「大丈夫、ちゃんと分かってるからね」

 だって。何が?



 屋敷に戻ってきて、自室に帰ろうとするエム猫ちゃんの手を引っ張っておれの部屋に連れてくる。小さな身体をベッドに押し倒して、ちょっと待ってと言われるのも無視して吸血した。
 最近イライラが収まらない。逆巻さん家の皆さんがおれたちに向けてぴりぴりと殺気を放っているからだ。エム猫ちゃんを奪い返してやるぞってね。返してあげるつもりなんてさらさらないけれど、純粋な吸血鬼と、おれたちみたいな人間から吸血鬼になったやつには越えようのない力の差があって、おれたちがどれだけ警戒していてもあの貴族サマたちへの牽制としては今ひとつ物足りない。
 あいつらが本気を出したら奪われるかもしれない。そんな恐怖心が、おれの神経を逆撫でし続けていた。腹の辺りがむかむか気持ち悪くて、何かを蹴り飛ばしたくて仕方ないけれど、それをやったらあとでルキくんに怒られちゃうから、我慢しないとね。
 それよりももっと簡単で確実なストレス発散方法が、エム猫ちゃんの血を吸うことだ。
 喉を濃くて甘い血液が通っていく度に背筋にぞくぞくと気持ちいいものが走っていく。飲んだだけでこんな気分になれるって本当にすごいよね。さすが魔王の血を引く女の心臓って感じ?
 よほどおれががっついていたのか、エム猫ちゃんが「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。

「ああ、ごめん。痛かった?」
「……ちょっとだけ。コウくん、どうかしたの? 何だか焦ってるみたい」
「逆巻さんたちの殺気がピリピリしてて当てられてるみたい。でもエム猫ちゃんは気にしなくて良いよ」
「……そう?」
「うん、だからいっぱい気持ちよくなってて」
「……ん」

 頷いて微笑むエム猫ちゃんが何だかすごく可愛くて、おれは思わず彼女の身体をぎゅーっと抱きしめた。おれと違ってごつごつしてなくて、柔らかくて、いい匂いがする。肌の下から香る甘ったるい血の匂いに混じって、シャンプーだかボディーソープだかの清潔そうな匂いもした。
 深呼吸するようにエム猫ちゃんのいい匂いを肺一杯に吸い込んでいたら、エム猫ちゃんがくすぐったそうに身を捩った。それからおずおずとおれの背中に手を回してくる。そういえば彼女から抱きついてきたのは初めてかもしれない。何だかおれという存在を受け入れて貰えたような気がして、先程までのイライラは吹っ飛び嬉しさが胸いっぱいに広がった。
 嫉妬させて想いを確かめるのも良いけど、こうやって抱き合って穏やかに過ごせる方が幸せかもしれない。満ち足りた幸福感に身を任せながらそう考える。
 今まで可哀想なことをさせちゃったな。これからは嫉妬させるなんて、やめてあげようかな。ずっとこのままで居れたら、おれはきっとそれだけで満足だ。
 そこまで考えた時、どんっ、と、背中に衝撃が走った。

「――っ?」

 エム猫ちゃんに抱きついたまま、身体から力が抜けてしまう。腕の拘束が緩んだためか、エム猫ちゃんはおれの下から抜け出して、ベッドの上に座った。

「……な、なに」

 起き上がろうとするけれど、やっぱり力が入らない。ずりずりとシーツの上で顔をずらしてエム猫ちゃんを見上げれば、彼女は嬉しそうな顔で笑っておれを見下ろしていた。でも、何かがおかしい。人間であるはずのエム猫ちゃんの笑みは、体温が全て無くなってしまったかのように冷んやりしていて、大きな瞳にはおれの這いつくばる姿がうつっている筈なのに、何処か遠くを見ていてピントが合っていない。

「……なに、したんだよ」
「ちょっと痛いと思うけど、我慢しててね」

 おれの質問には答えてくれず、エム猫ちゃんはおれの背中に手を伸ばすと、何かを掴んだ様子だった。意味が分からず混乱しているおれをよそに、彼女はその腕を上げる動作をする。それと同時におれの中からずるりと何かが抜けていく感触がした。
 エム猫ちゃんが手に持ったものを見せてくれる。銀色のそれが何か認識する前に、ぽたり、と赤い液体がおれの頬に落ちた。

「……な、んで」

 長い刃物。 これを、刺されたのか。
 そう自覚した途端、傷口から堪え難い痛みが駆け回った。まるで右目を抉り出した時のような激痛に、口から呻き声が漏れる。
 なんで、なんでエム猫ちゃんがおれを刺すの?

「ごめんね、痛かったよね」

 痛ましい表情でおれの背中の傷を眺めるエム猫ちゃんは、本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
 何でエム猫ちゃんがおれを刺したのか、分からない訳じゃないんだ。おれがファンの子たちを使ってエム猫ちゃんに嫉妬させている間、彼女の心はズタズタに引き裂かれていたんだ。『見えていた』から知ってる。すごく傷ついて、今にも壊れそうだったのも知ってる。
 それでもおれは、他に彼女を引き留める術も、想いを確かめる術も持っていなくて、彼女の壊れそうな心から目を逸らして、何度も繰り返してきたんだ。
 恨まれてる。それは当然かもしれない。

「ねえコウくん」
「……う、ぁ」
「安心して、コウくんのこと、恨んでなんかいないから」

 彼女の眼球には他人の思考を読む力なんてなかったはずだけど、不思議とエム猫ちゃんはおれの考えていたことに的確な言葉を出した。
 恨んでないって、どういうこと?

「……、」
「ヴァンパイアのコウくんが、銀製でもないこんなナイフくらいで死んでくれないのは分かってるけど、私、もう、我慢出来ないの」
「が、まん……?」

 嫌な予感がした。痛みに歯を食いしばりなんとか上体を起こす。エム猫ちゃんは、おれの血で真っ赤に汚れたナイフを両手で握っていた。

「コウくん、好きだよ。ずっと好き。誰にも渡さない。……でも、私は人間で、コウくんヴァンパイアだから、そんなことが無理なのは最初からからわかってるんだ」
「……」

 呪詛を紡ぐような口調で好きと繰り返しながら、切っ先を、自分の薄い胸に当てる。
 まさか、

「だから、見てて。コウくんを永遠に私のものにできないなら、コウくんの記憶の中でずっと生きていたい」
「……ユイ、まって」
「絶対忘れさせてあげないから」
「まって、ねえ……待ってよ! ……くそっ」

 ナイフを奪い取ろうと身体を動かすけれど、痛みで思うように動けず、おれの身体は呆気なく崩れ落ちてしまう。やめろ、と声にならない息を喉から漏らしながら腕を伸ばすのに、腕は届かない。
 ユイはにっこり笑って、

「さようなら」

 ――ナイフが、胸に突き刺さった。
 数秒もしない内に、ユイの心臓が止まったのがわかった。ナイフと肉の隙間から血液が流れ出し、真っ白なシーツを赤く染め上げていく。麻薬みたいに中毒性を持った甘ったるい血の香りが部屋に充満していって、おれの頭の中がくらくらした。
 どさり、音を立てて、小さな身体が崩れ落ちる。腕を伸ばして揺さぶってみても、返事は返ってこない。……当然だ。
 頭の中が真っ白になって、目の前の光景から現実逃避しそうになる。気が狂いそうになって、叫び出したいのに、身体に力が入らないおれは叫ぶことすら出来なかった。
 おれは、どこから間違っていたんだろう?



癒えぬ傷跡を望んだくせに




(20131214)
明るい話が書きたいです

thanks title:亡霊


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