アヤトのこれに似た話


(どうか私をお助けください……)

 壇上に続く赤い絨毯の上に膝をつき、両手で金色のロザリオを握りしめ強く祈った。お父さんが転勤で海外に行ってからすっかり廃れてしまったこの教会には、祈りを捧げる信者は誰一人訪れない。耳が痛いほどの静寂の中、寂しげに佇むマリア像を見上げる。彼女の白い瞳が慈悲深い温かみと突き放したような冷たさを孕んで私を見下ろしていた。

(どうか、どうか。これ以上この身を穢されることに、私は耐えられそうにありません)

 ある日突然訪れた、吸血鬼の館での生活という悲劇。神に赦されざる存在である彼らは私の皮膚の下を流れる血液にご執心のようで、毎日毎日飽きもせずに付け狙われている生活を送っている。最後の審判の日に天国へいけるよう、私は自分の身を清く保たなければならない。血を吸われないよう私は彼らの魔の手から逃げ回るけれど、失敗した回数は数しれなかった。
 私の身体にはいくつものキバの痕が残っている。それは闇の眷族がこの身を地の底へ引きずり込もうとした証だ。私はもうとっくの昔に穢れてしまっているのかもしれない。けれどそんなことを認めたくはなかったし、身体が穢れてもまだ心が残っている。
 魂だけは、穢させはしない。
 吸血鬼達にばれないように屋敷を抜け出し、住み慣れた教会に足繁く通い始めてからどれほど経っただろう。助けて欲しいと縋る気持ちは日に日に増しているけれど、それと比例するように、マリア様の瞳が冷たさを濃くしていった気がする。
 お前など救う価値はないと言われているような気がして心の底が凍りつく。マリア様の視線から逃れるように私は俯いて、目をぎゅっと瞑った。

(どうか私を、お助けください……!)

 もはや懇願だった。神様がそんなに都合の良い存在ではないことくらい分かっているのに。あの館から逃げようとしても連れ戻されることから抗えない無力な私は、こうして祈りを捧げることしか出来なかった。

 そろそろ帰ろう。吸血鬼たちが私の不在に気が付いてしまえば、今後この教会へ参拝することを妨害されてしまうかもしれない。今の私にとって唯一とも言える心の支えが奪われるのは耐えられない。
 踏み慣らされくたっとしている赤い絨毯から膝を上げて、最後にマリア像を見上げた時だった。
 背後から足音がしたのだ。誰も居ない、来ないはずのこの教会への来訪者。いつのまにか辺りの空気がピンと張り詰めていて、私は湧き上がる嫌な予感を振り払うように、足音の方へ向き直った。
 そこには――。



「愚かだな」

 闇の眷族を拒絶するこの教会で、堂々とした立ち振る舞いをしてみせる彼は、私が暮らす館の住人たちと同じ吸血鬼だった。数週間前突然私たちの前に現れた彼は、私のことをイヴと意味不明な名前で呼び、この身体に流れる血を手にしようとしている。つまりは、敵だ。
 カツンカツンと小気味良い音を革靴が響かせる。彼は教会の中を見回しながら、ゆったりとした歩みでこちらへ近づいてきた。やがてほんの二メートルほど離れたところで立ち止まると、私の背後にあるマリア像を見てから、するりと視線をこちらに移した。

「実に愚かだ。お前の信じる神とやらがお前を救ったことがあったか? 神など居ない。お前も分かっているんだろう」
「……何しにきたの」
「ヴァンパイアがお前のもとに現れる理由なんて、お前が一番よく知っているんじゃないか」

 嘲笑うような声色で言ってから口角を持ち上げる。闇の眷族に神の存在を否定される謂れはない。けれど実際に口に出されると、自分の一番大切なものを侮辱された苛立ちがお腹の底で湧き上がる。

「あなたに血を渡すつもりなんてないし、ここは教会だよ。出て行って」
「お前の処遇を決めるのはお前自身じゃない、主人である俺だ」
「あなたなんか主人じゃない! 出て行って!!」
「五月蝿い家畜だな……逆巻の連中は家畜ひとりまともに調教出来ないのか。口の利き方もなっていない」

 また革靴が足音を響かせる。彼がこちらへ更に近づいてきたのだ。言い様のない違和感と威圧感を与えてくる彼から逃れるように、私は一歩二歩と後ずさる。けれど壇上に続く階段に踵がぶつかり、それに気を取られている内に、彼は私の目の前に来ていた。顎を掴まれ上を向かされる。闇の眷族に触られているのは吐き気がするほど嫌なのに、逃げることは許さないと言わんばかりの彼の瞳が、私の身体を雁字搦めにしていた。
 せめてもの反抗心から吸血鬼を睨みあげる。

「触らないで」
「それはお前の敬愛する神とやらへの操立てか」
「あなたに神様のことを口に出されたくない!」
「くだらない信仰心だな。お前自身は現状から逃れることも出来ない無力な存在だというのに、神に縋ることで救われると信じている。その他力本願さ、反吐が出る」
「あなたに何て思われようと構わない、私は神様を信じているし、あなたたち吸血鬼なんかに穢されはしない!!」
「逆巻の連中に幾度となく吸血されているくせに、自分はまだ純潔を保っていると信じているのか?」
「――、」

 どくん、と心臓が跳ねた。血が逆流していくような寒気が身体を這い回る。胃の辺りから不快感がせりあがってきて、何かを吐き出しそうになるのを慌てて口を手のひらで覆って抑える。
 言われたくないことだった。魂は穢されていないとはいえ、吸血鬼たちのキバは私の身体を蝕んでいる。神様は、穢れてしまった私の身体を、果たして受け入れてくださるのか。……本当は分かっている。赦される訳がないことくらい。
 目を伏せて涙が零れそうになるのを堪える。私の顎を掴む吸血鬼はそんな私を嘲笑った。

「吸血鬼に染められつつあるお前は、普通の人間よりも遥かに、俺たち闇の眷族に近い存在だ。そんなお前がどうして神に赦される?」
「……やめ、て」
「そもそも、お前の信仰心は本物なのか?」

 投げかけられた言葉の意味がわからない。

「本当に神に恥じぬよう純潔でありたいと願うなら、お前はあいつらに穢される前に自ら命を絶っているはずだろう。なのにお前はこうして、息をしている。それこそが、お前の信仰心が紛い物であるという証じゃないのか?」
「なっ、」
「反論があるのなら聞いてやる、言ってみろ」
「……」

 呆然として言葉を失っている私に、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
 自分という人間の土台を築いているものが音を立てて崩壊していく。自分の信じていたものがすべて間違っていたような錯覚が起きた。だって、彼の言っていることは、正論だったから。吸血鬼に穢されたくないと願うのならば、私は純潔のまま死ねば良かったんだ。なのにどうだ、私は神に縋り吸血鬼から逃れたいと願う一方で、こんな単純な逃亡を欠片も思いつかなかった。それは、私が神様への信仰より自分の命を選んだ証拠だ。なんて、罪深い。
 神に愛される資格なんてない。祈る資格すらない。私は自分でも気がつかない間に神様に背いていた。その事実が私のこころに重くのしかかる。
 私は何を信じれば良いの? 何に縋れば良いの?

「……俺なら、穢れたお前を受け入れよう」

 茫然自失の私に届く声は、ぐらぐらと揺れるこころに安心感を与え響いてくる。信じるものを失った私には、彼の落ち着いた声が救いのように思えた。

「……ほんとう?」
「ああ」

 吸血鬼は私の顎を解放して一歩後ろに下がった。そして、手のひらを上にむけてこちらへ伸ばしてくる。

「お前が神を捨てると俺に誓うのなら、この手をとれ」

 私を誘う言葉。それは悪魔の囁きのように甘美で、闇に満ちていて、それでいて私の身も心も満たすような安堵を与えてくれる。無意識に自分の手を伸ばして、差し出される手を取ろうとする。けれどその手に触れる直前に私の身体は固まってしまった。
 ……本当にこれで良いの? この手をとってしまったら、きっともう戻れない。私を引きとめようと頭の片隅で囁いてくるその声は、罪深い私に残されていたちっぽけな良心だった。
 背後に聳えるマリア像へ振り返る。見慣れた白い像。美しく、慈愛に満ちた彼女の白い瞳は、もはや少しも温かさを感じさせなかった。彼女はこう語っていた。お前を救う価値はない、と。見慣れたマリア様が冷たい目で見下ろしてくるのが耐えられなくて、私はもう一度吸血鬼に向き直った。
 もう迷わなかった。私は彼の手をとって、永遠に光の世界を捨てた。




(20131124)
アヤトバージョンも書こうとして失敗しました。アヤトは口が達者ではないのでヒロインに信仰心を捨てさせることは出来ないだろうなと思います。どちらかというと冒頭に繋いであるリンク先の話のように、信仰心は持たせたままヒロインを汚していく方が合っているなぁと。やめてくださいと泣き喚くヒロインの心をズタズタに引き裂きます。


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