※もう少し先の時間軸の話


「エっムねっこちゃーん!」

 廊下の先を行く小さな後ろ姿に声をかけて駆け寄ると、エム猫ちゃんはこっちを振り返って「どうしたの、コウくん」と首を傾げる。おれはどんな女の子をもメロメロにさせちゃうような我ながら完璧な笑顔を浮かべて、後ろ手に持っていたものを彼女に見せた。
 ピンク色の袋に赤いリボンが巻かれた、程よい重さのそれ。カサカサと小気味良い音を鳴らしながら中の物が揺れる。エム猫ちゃんはその袋とおれの顔を交互に見て、次第に顔を赤く染めた。

「あ、あのコウくんこれは」
「別におれからエム猫ちゃんに愛の告白しようだなんて思ってないから安心してよ」

 エム猫ちゃんの考えていたであろうことを先に否定してやると、彼女は慌てたようにそうだよね、と何度も首を縦に振る。期待してたのが丸わかりの反応が何とも滑稽で、彼女の自意識過剰さに笑いがこみ上げてきた。あはは、と笑っているおれから恥ずかしそうに顔を逸らして、エム猫ちゃんはそれで? と半ば強引に話を変える。

「今日学校で女の子から貰ってさぁ、いっつもテレビ見てます応援してます受け取ってください〜ってね? で、開けてみたらこれがなんとびっくり手作りのウイスキーボンボン!」
「手が込んでるね、よっぽどコウくんのことが好きみたい」
「当たり前でしょおれを誰だとおもってんの?」
「……」
「ま、そんなことはどーでも良いんだけど。手作りってさぁ、おれ食べる気しないんだよね。だって何入ってるかわかんないじゃん?」

 エム猫ちゃんの顔が曇った。哀れむような目でおれの手のひらの上に載せられている袋を見ている。これをくれた女の子のことを気遣っているんだろうが、その目がおれの言葉を責めているようで無性にイラついた。

「……でもせっかくだから食べてあげた方が良いよ。コウくんのこと想って作ってくれたんだよ?」
「おれはこんなの貰い慣れてんの。でもま、エム猫ちゃんがそんなに言うなら食べてあげても良いかな。その代わり」

 その先を伺うような顔でエム猫ちゃんがおれの顔を見上げてくる。おれはリボンを解いて中から一つ取り出すと、エム猫ちゃんの口元に押し付けた。

「何が入ってるかわからないしエム猫ちゃんが毒味してよ。エム猫ちゃんの身体がどうもならなかったら、食べてあげても良いよ?」
「……そんな、その子の想いを踏みにじるようなこと、出来ないよ」
「じゃーこれはゴミ箱行き、か」

 演技がかった口調でわざと彼女の罪悪感を駆り立てるようなことを言う。こうすれば優しいエム猫ちゃんは断れない。彼女は困り顔でおれの指に摘ままれたウイスキーボンボンを見つめて暫く考えたあと、おれの思惑通り「分かった食べる」と言って口を開けた。エム猫ちゃんの口にウイスキーボンボンを放り込む。小さな口が閉じられて、もぐもぐ食べてから、おれににっこり笑ってみせた。

「美味しいよ」
「そう? じゃ、もう一個食べさせてあげる」
「え? ちょっと待――んぐ」

 無理矢理口に押し込めば、吐き出すわけにもいかないエム猫ちゃんが困惑した顔のまま咀嚼する。もぐもぐしてる姿はリスを連想させて、ちょっとは可愛いと思ってやっても良いかな? なんて考えたりする。

「ねえ、美味しいからコウくんも食べなよ」
「おれはあとで食べるから。はーいもう一個どーぞ」
「……」

 もう一個、もう一個と食べさせ続ける。まるで生まれたばかりのヒナに餌をやる親鳥の気分だ。
 そのうちどんどんピンク色の袋が軽くなって、やがて中は空っぽになった。バカだよねえ、エム猫ちゃんったら。おれがこんなもの食べるわけないじゃん。下水道で生活していたおれは、食べ物がどんなに汚れていようと変なものが入っていようと虫がわいていようと、腹に入れることが出来る。じゃあ何でこのお菓子を食べたくなかったのかと言うと、これをくれた女の子の深ぁいおれへの想いがキモチワルカッタからだ。
 おれの言葉にすっかり騙されたエム猫ちゃんは、内心で彼女を嘲笑うおれに気づくことなく最後の一個を飲み下した。

「どうだった?」
「……」
「……エム猫ちゃん?」

 あれ? エム猫ちゃんの様子がおかしい。白い頬が薄桃色に染まって、おれを見上げる瞳がなんだか熱っぽい。そういえば今気づいたけど、つんと鋭い匂いが辺りに漂っていた。これお酒の匂いだ。ウイスキーボンボンのお酒の量が少し多かったのかな。
 お菓子に入ってるくらいのお酒で酔っちゃうとか、どんだけアルコールに弱いんだよ。

「エム猫ちゃん? 大丈夫?」

 彼女の肩に手を載せて揺さぶると、足元がおぼつかないエム猫ちゃんがおれの方に倒れこんできた。避ける暇もないまま彼女を受け止める。うわーこんなとこルキくんに見られたら何言われるんだろ。ルキくん部屋に居てよここには来ないでよ、と念を送るがそれは気休めだ。

「ちょっとしっかり立ってよ」

 肩を掴んで引き剥がすけれど、放っておいたら今にも倒れそうだ。別にこのままエム猫ちゃんを廊下に放置しても良いんだけど、ユーマくんとかアズサくんが見つけて持って行っちゃうかもしれない。そうなると事情を知ったルキくんにこってり絞られるに違いない。ルキくんに怒られるのはごめんだ。
 しょうがないなぁ、エム猫ちゃんをルキくんの所まで連れて行ってあげよう。そう結論付けて彼女の肩を抱こうとした時、エム猫ちゃんがおれの服を掴んで胸に頭を埋めてきた。

「えーなになに、おれに構って欲しいの?」
「……ん、」
「? 何て言ったの?」

 呟くエム猫ちゃんの声が小さ過ぎてよく聞き取れない。エム猫ちゃんは服を掴む力を更に強くして、頭をぐりぐりとすりつけてきた。何だか本物の猫みたいだ。かーわいい、おれ小動物みたいに従順にしてるエム猫ちゃんは意外と好きかも。せっかくだからと彼女の背中に腕を回してやると、さっきから呟いてる内容がやっと聞こえた。

「……ん、ルキ、くん……」

 ……。はああ。やってらんない。
 ってことは何? エム猫ちゃんはおれとルキくんを間違えてんの? 酔っ払ってるくらいで間違える? ふつーさぁ。
 おれの胸に頭をすり寄せるエム猫ちゃん。これは完全に肌の触れ合いを求めている行動だ。別にいやらしい意味じゃないけど、エム猫ちゃんはルキくんとの触れ合いを求めているらしかった。端的に言うと、欲求不満?

「もー勘弁してよね」

 今度こそエム猫ちゃんを引き剥がした。おれを見つめる瞳は熱に浮かされていて、うっすらと涙の膜を張っている。発情したメス猫みたい。でもエム猫ちゃんが発情している相手はおれじゃなくてルキくんだ。そう思うと何だか面白くなかった。さっさとルキくんの部屋に連れて行ってしまおう。
 エム猫ちゃんの腕を掴んで引っ張り歩き出す。ふらふらした足取りのエム猫ちゃんが転びそうになるがおれはそれを無視した。

   *

 扉を開けておれを迎えたルキくんは、おれの後ろで顔を真っ赤にしているエム猫ちゃんを見て呆れたような顔をした。

「酒でも飲ませたのか」
「さっすがルキくんよく分かったね。ウイスキーボンボン食べさせてあげたんだけどさぁ、ちょっとお酒が多かったみたいでこのとーり。もー勘弁して欲しいよ」
「手間をかけたな、そいつは俺が引き取ろう」
「そうしてそうして」

 エム猫ちゃんの腕を引っ張ってルキくんに差し出せば、彼はエム猫ちゃんの腰を抱いて身体を支えてあげていた。ルキくんを見上げるエム猫ちゃんの目は先ほどにも増して熱っぽい。欲求不満です、って表情で語ってる。

「厳しく調教するのも良いけどさぁ、たまにはちゃんと構ってあげてね。エム猫ちゃんってば、ルキくんに触られ足りなくて欲求不満みたいだから」

 ルキくんはおれの顔を訝しげに見た。おれの言葉の意味を考えているみたいだ。そのあと腕に抱いたエム猫ちゃんに視線を移して、わかったと答えた。

「じゃーね、ごゆっくり」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ〜」

   *

「あれ絶対わかってない顔だった」

 部屋に戻りながら先ほどのことを思い出して独り言を零した。きっとルキくんはおれの「触られ足りない」って言葉を「吸血され足りない」って解釈してる。
 あーんな潤んだ目で見られて何で分からないんだろう。あれっていわゆる恋する女の子の目じゃん? 今日おれにウイスキーボンボンをくれた女の子とそっくりな目だったし。本当にルキくんって鈍感だなぁ。自分のことになると普段の鋭さが嘘みたいに消えちゃうんだもん。そのくせ自分のことは理解してますって顔してるから、結局自分の感情に全然気づかない。

「なんかエム猫ちゃんが可哀想になってきた……」

 今頃たっぷり吸血されてるであろう酔っ払いに、心の中で同情した。ルキくんにわざと紛らわしい言い方をしたのはおれだけの秘密だ。



(20131124)


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