ルキくんが学校に通うことを許してくれた日から一週間が経った。夕方起きて、学校で授業を受けて、休み時間にはクラスメートと雑談する。ほんの数ヶ月前までは当たり前だった日常がこんなに楽しいものだったなんて。その嬉しさを思えば、この日常を与えてくれたルキくんに感謝せずにはいられなかった。
 しかし一つ気掛かりなことがあった。この一週間、同じクラスであるはずのアヤトくんが一度として教室に姿を見せていないのだ。もしかしたら、私が屋敷から居なくなったせいで吸血量が足りず、体調を崩しているのではないだろうか。そう思うと心配が募った。
 アヤトくんはいつから学校に来ていないんだろう。隣の席に座る女の子に訊いてみた。

「え、てっきり小森さんなら知ってると思ってた。いつも一緒に登校して来てたから」

 返ってきたのはそんな返事だった。逆巻家の屋敷で居候していたことは他人に話していない。顔の整っている彼ら六人はこの学院の女子生徒から多大な人気を集めているのだ。そんな逆巻兄弟と同じ屋根の下で暮らしているだなんて知れたら、好奇の目を向けられることは目に見えていた。だから、逆巻家の邸宅から無神家の邸宅に居候先を変えたことも話す訳にはいかず、私がアヤトくんの動向を知っていると思っている彼女にどう返事をして良いのか分からなかった。
 曖昧に笑って誤魔化すと、彼女は不思議そうに目をぱちぱちさせてから、うーんと唸った。

「逆巻くんは二週間ぐらい前から来てないかなぁ」
「二週間……」
「うん。ていうか、逆巻アヤトくんだけじゃなくて、他の逆巻くんたちも同じ時期から学校に来てないって噂だよ」
「え、そうなの?」
「うん」

 皆どうしたんだろう。他の逆巻くんもってことは、一応真面目に学生をやっているレイジさんもということだ。彼が二週間も理由なく学校を休むとは考えにくい。六人が揃いも揃って二週間も学校に来ていないだなんて、きっと何かあったに違いない。自分の知らない所で何かが起こっているのかと考えると、もやもやと重たいものが胸に広がった。
 ……ルキくんなら、彼らが今どうしているか知っているだろうか。逆巻兄弟の動向を警戒していたルキくんだから、訊いたら怒ってしまうかもしれない。危険な賭けだけれど、彼の機嫌が良さそうな時にそれとなく聞き出してみようかな……。
 会話の途中で黙り込んで考え事をしていたためか、隣の席の女の子が私の顔を覗き込んでいた。彼女の探るような視線に気づいて、急に黙ってごめんね、と謝ると、彼女はにんまりとした笑みを浮かべる。

「なになに、痴話喧嘩?」
「ちわ……げんか?」
「逆巻くんと付き合ってるんでしょ? 彼顔は良いけど横暴そうだしね、小森さんも苦労してそう」
「? アヤトくんとは付き合ってないよ」
「えー! あんなにずっと一緒に居たのに? そんなはず――」

 彼女は唐突に喋るのを止めた。
 ひどく驚いた顔をして私の後ろを凝視している。彼女の視線につられるように振り返ってみれば、そこには。

「なんだ、オレの話してたのかよ」

 一ヶ月ぶりに見るアヤトくんの姿があった。

「あ、アヤトくん、どうして」
「あぁ? オレが学校に来ちゃわりいのかよ」
「そうじゃなくて、二週間も学校休んでるって聞いてたから……」
「オマエが居なくなったせいで色々あったんだぜ。ったくチチナシのくせにふざけんなってんだ」

 はぁ、と大袈裟に溜息を吐いてみせるアヤトくんは、一ヶ月前とさほど様子が変わっていないように見える。色々あった、というのが気になるけれど、私が募らせていた心配は杞憂だったらしい。その安堵から、内心でほっと胸を撫で下ろした。
 と、後ろから向けられる女の子の視線に気がつく。彼女の驚愕の表情から読み取れるのは色々な疑問だった。二週間ぶりにアヤトくんが来たこととか、付き合っていないと言ったのに「オマエが居なくなったせいで」だなんて意味深な台詞をアヤトくんが零したこととか。目があった彼女は私に答えを求めていたけれど、今の私には上手い返しが見つからない。

「アヤトくんちょっと来て!」
「はぁ? おい引っ張んじゃねえ!」

 喚くアヤトくんを無視して、女の子の視線から逃げるように私は教室を飛び出した。

   *

 駆け足でやってきたのは倉庫の近くだ。ここは廊下の突き当たりにあり、あまり人が来ないので、他人の目から逃れたい今の私にはうってつけの場所だった。
 動揺と走ったことによって息を切らせている私とは対照的に、アヤトくんは息一つ乱していない。数回深呼吸をして気持ちと弾む息を落ち着かせてから、苛立った表情で私を見下ろすアヤトくんに向き直る。

「ひ、久しぶり……」
「おかげさまでな。無神のヤロー共、オマエを妙に上手く隠してたみてえで、町内中探し回ったのに見つけられなかったんだぜ」
「そうなの?」
「ああ。かと思えば呑気に学校に来てるとか、何考えてやがんだあいつら」
「アヤトくんたちはどうして学校休んでたの? レイジさんまでこの二週間学校に来てなかったらしいね」

 そう問えば、アヤトくんはうんざりした様子で息を吐き出した。どうしたんだろう。

「オマエのせいだからな」
「え? よく分からないんだけど」
「オマエが屋敷から居なくなったせいで、オレは旨えメシが食えなくて、何日も探し回っても見つからねーし腹は空くしでイライラして、屋敷の物壊しまくってたら、レイジのヤローがオレのことを牢屋にぶち込みやがったんだ。あのシチサンメガネ、ずっとオレのこと見張ってやがるから抜け出すのも苦労したぜ」
「そうなの……。でもアヤトくんはともかく、どうして他の皆まで休んでたの?」
「知らねえ。オレが暴れてた時に怪我したって聞いたけど」

 ヴァンパイアが怪我をして二週間も休むことがあるのか。何とも不思議な話だった。案外、アヤトくんを見張っていたレイジさん以外は単に学校に来たくなかっただけかもしれないな。ともあれ、皆元気そうで良かった。安心して自然と頬が緩んだ。
 アヤトくんはそんな私を不思議そうに見てから、ニヤリと笑って私の肩を掴んだ。無遠慮なその動作と力加減が少し、痛い。彼の手と顔を交互に見れば、ぐっと顔を近づけてくる。

「ま、そんなうぜえ暮らしとはもうおさらばだな。思いの外簡単にオマエが見つかったし、とっとと帰ろうぜ」
「帰る……?」
「何間抜けなツラしてんだ。って、元からそんな顔だったけ」

 帰る。逆巻家の邸宅に、帰る。
 何だろう、この違和感。この間まで当たり前のことだったのに、アヤトくんの話にどうも簡単に頷けない。
 答えない私なんてお構いなしに、アヤトくんは私の肩を掴んだまま廊下を歩き出した。慌ててどこに行くのか問えば、帰るぞ、とだけ言葉が返ってくる。

「か、帰るって、まだ授業残ってるよ! せっかく二週間ぶりに学校来たんだし、授業受けて行こうよ!」
「うるせえ知るかよ。大体オレは好きで学校に来てんじゃねえ。それに何日オマエの血吸ってないと思ってやがる。もう腹減ってどうにかなりそうなんだよ」

 彼の手を振り払おうともがくけれど、彼は鬱陶しそうに舌打ちをしただけで力を緩めることはなかったし、私より遥かに力のある彼の拘束から逃れることも出来なかった。その間にもアヤトくんはずんずんと歩を進めて玄関に向かっている。
 どうしよう、このまま連れて行かれたらきっとルキくんに怒られる。彼に怒られるのは嫌だ。

「だ、だめ! 私は帰れないよ!」

 咄嗟に出てきたのはそんな言葉だった。アヤトくんはようやく足を止めてくれた。こちらを振り返り私を見下ろす彼の表情は、意味が分からない、といっていた。

「帰れないって何だよ」
「ルキくんに怒られちゃう」
「ルキ? あの黒髪のインテリヤローか。あんなやつほっとけよ、あいつがキレようがオレらには関係ねえだろ」
「私には関係あるからだめなの!」

 アヤトくんの顔が苛立ちに歪む。うっぜえ、ととても低い声で吐き捨てると、空いている手で私の顎を掴んだ。細められた翠の瞳が私のことを射抜く。

「何だよ、あいつに吸ってもらってそんなに気持ち良かったのか? オレよりあいつの方が良いのかよ」
「……別に、そんなんじゃない」
「はぁ? 意味わかんねえ」

 別に吸血が気持ち良かった訳ではない。けれど、あの家を離れてはいけない気がするのだ。
 ……あれ? どうして私はそんなことを考えているんだろう。だって、別に無神家の邸宅での暮らしが安全な訳ではない。ルキくんはヴァンパイアだし、血を吸うためだけに私を飼い、家畜として扱ってくる。私に人間らしい平穏な暮らしは与えられていないのだ。逆巻家の暮らしとそう大差があるようには思えない。
 それに、学校に連れて来てくれるようになってから多少和らいだとはいえ、ルキくんに対する恐怖心は依然として残ったままだ。その恐怖心は逆巻家に居た頃には感じたことのないもので、アヤトくんと一緒に居ればあの精神を削り取られるような苦しみを味わわなくて済む。結局どちらで暮らしていても何かしら私の身は脅かされるのだ。
 ならば、無神家での暮らしを強く望むような私の思考は一体どうなっているんだろう。自分のことなのに自分の気持ちが理解できなかった。

「何悩んでやがる。オマエはオレの餌なんだぜ? あんな連中に渡すつもりはねえし、オマエが嫌だっつっても無理矢理引きずって帰ってやる」

 アヤトくんの低い声で、思考に埋没していた意識を引き戻された。アヤトくんは私の顎と肩から手を離して、腕を握り直している。肩を掴んで引きずるのは無理があったらしい。

「オマエの気持ちなんて関係ないとはいえ、迷った罰ってやつを与えてやらねえとな。家に帰ったら覚悟してやがれ」

 帰る。逆巻家に、帰る。
 やっぱりこの言葉はどうにもしっくりこなかった。胸に何かがつっかえているような違和感と、お腹のあたりがもやもやする居心地の悪さが生まれる。
 ぼうっと突っ立っている私の腕を掴んでいるアヤトくんが今度こそ帰ろうとするけれど、私は無意識にその腕を振り払っていた。

「なっ、」

 振り払われた腕を見て驚いた顔をしているアヤトくん。彼が動き出さない内にと、私はその場から急いで逃げ去った。
 背後から私を呼び止める怒鳴り声が聞こえる。それに一切反応することなく、私は教室の方へ走り続けた。



(20131122)
 


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